いち花歯科は花盛り

 いよいよ、本日オープン。今までは、自宅の玄関を出て階段を下りると1階が仕事場。通勤に要する時間は数十秒なので、白衣のまま通勤していた。これからは、歩くと10分程の距離。雪が多くクルマでと思ったが、健康のために初出勤は徒歩。30数年ぶりに「職場へ通う」という新鮮な気分を味わった。

 土日の引っ越し片付けで、仕事ができるだけのスペースは確保したが、院長室・スタッフルームは物置状態。落ち着くには、まだしばらく掛かりそうだ。というか、息子が院長で私は勤務医。ということは私は、これからどちらの部屋に居たらいいのかしら。

 オープンを祝って頂き、沢山の豪華なお花が届いた。こんなにも沢山のお花に囲まれたのは生まれて初めてのこと。アッチに飾りコッチに飾り、収まりきらずキッズスペースに並べてみた。なんという豪華な雰囲気だろう。まるで、お花屋さんか温室にいるみたい。

 多くの人に支えられ、これからも頑張ろうという気運が盛り上がってくる。世界に一つだけの花という意味で「いちか」と名付けたらしいが、「一か八か」の「いちか」にならぬよう願うばかりです。オープンにあたり、支えて下さった多くの方々に感謝です。

引っ越し前

 周りにナンにもない1400坪の空き地にポツンと建つまん丸い外観。

 アプローチには、階段とスロープ。

 受付内部は一段低くなっている。

 3つあるトイレの一つ、婦人用。

 診療室内部。

 ユニットは5台。

 まだ片付いていない消毒コーナー。

感傷に浸って

 あと1日半働くと、住み慣れた診療所ともお別れです。先代から私に代が変わるとき、私の思いのままに建て直してから30年間。雨の日も風の日も景気のイイときも悪いときも、ずーっとここで頑張ってきました。予約制でない時代は、一日百人なんてこともザラで先代と私と弟で目の回るように仕事に追われていたことも。

 私一人になってからも、一日70人くらいの患者さんを診て自分の城を守ってきました。今から思うと隔世の感があり、自分の年とともに患者さんも高齢化し減少し、今でこそちょうどよい診療システムに落ち着いた頃、息子が自分の思いのままに自分の城を建て、これから守っていきます。

 こうして時代は流れ、親から子へと受け継がれていくのが自然の摂理なのでしょう。私は人生の下り坂を歩んでいくことになりますが、寂しさはありません。肩の荷が下りた気楽さといえば隠居じみていますが、どこかフッと気が抜けた安寧な気分を楽しんでいます。

 とはいえ、まだまだオマケで働かなければならず、感傷に浸る暇はなさそうです。この週末は引っ越しに追いまくられ新しい環境に慣れるための訓練もしなければならず、ただただ息子の言われるままについて行くだけです。

 そうは言っても、この病院での最後の患者さんを見終わったとき、どんな想いが私の胸によぎるのだろう。

もういくつ寝ると

 慌ただしい年の瀬が過ぎてゆく。年賀状のプリントに追われながら、餅をついたり松前漬けのスルメと昆布を切ったり正月を迎える準備で過ごしている。あと明日、札幌へ出かけると今年の雑用から解放される。

 

 年賀状といえば、小学生の頃から30歳を迎える頃まで毎年、版画を彫っていた。ゴム版画であったり木版画であったりシルクスクリーンなど、手をかけなければ気持ちが伝わらないとでも思っていたのか、ただ好きなだけでそうしていたのかわからないが結局、付き合いが増えて枚数が多くなるに連れ、ワープロやパソコンを使うようになった。やはり味気ないが、何百枚も版画を刷るには時間と労力がついていかない。

 今から40年も前の版画の原版が残っている。眺めていると毎年恒例の楽しかった記憶がよみがえる。いつかまた時間をもてあますような人生を迎えたら始めてみたいと思っているが、いつになることやら・・・

貼れないカイロの悲劇

 いつまでも寒く雪の多い日が続いている。ついに先週は1日たりとも家で夕飯を食べることが出来なかった。それでも夜遅く帰ると雪掻きに精を出している。

 

ママさんダンプ 今のところ「ママさんダンプ」の出番はないが大量に雪を運ぶには欠かせないアイテムだ。このネーミングはユニークだが、なぜ「パパさんダンプ」ではないのだろう。このメーカーの人が名前をつけるとき、自分が雪掻きをやりたくないばかりに、雪掻きは女の仕事だということを主張したかったのかもしれない。それとも、ブルドーザーのパワーイメージからダンプように馬力ある自分の奥さんを連想したのだろうか。

 家に居ると必要ないが、カイロがあると暖かい。このところ衣服に貼るタイプが主流だが、ただ安いという理由で家人が貼らないタイプのものを買ってきた。10個で38円!これはお買い得だ。ところがクッツカナイのでズボンのベルト付近にハサんで使う。

貼れないカイロ

 ただ心配なのは、腰の部分にハサんでいるのを忘れてトイレに行った場合、ズボンをおろしたとたん水の中へポチャンとなるのが怖い。

「水に落ちたらマズイんじゃないの?熱が出るかもしれない」
「火が出るんじゃない?」
「えー、そしたらケツがヤケドするじゃん」

 という会話のあと、怖くなり腰にハサむのをやめてしまった。ところが貼るタイプの場合、貼る面が決まっているからイイのだが貼らないタイプにも裏表があるらしく知らずに使っていたらお腹にヤケドをしてしまった。やはり便利なモノにはコストがかかる。

怒れる森の精

 チェンソーで伐採するときの必須アイテムは、厚手の手袋・ゴーグル・帽子・マスク。これで排気ガスや怪我から我が身を護るのだが、雨が降っていると、マスクのせいでゴーグルが曇り視界が悪くなる。やむなくゴーグルを外して作業したのがマズかった。

 飛び散る削りクズが目に入り汚い手で擦ってしまった。そのあと切った木を押し倒そうとしたとき、枝がはねて目ん玉を直撃。痛いのなんの一瞬クラクラしてウズクマルほど。しばらく難なく過ぎたが、夜になって痛みだし一晩中涙が止まらず苦しみのなか一睡も出来ずに朝を迎えた。考えてみたら木クズが入った目と枝が当たった目が同じだったからイイようなもので、これが別々なら両目とも痛くなっていたところ。

 朝一で眼科に行ったが、削りクズはすでになく上マブタの裏側に炎症があり水晶体に傷が出来ているとのこと。クスリを差してくれたが痛みは治まらず。両目をつむっていると楽なのだが、無事な目でモノを見ようと少しでも動かすと患部に激痛が走る。結局仕事にもならず、一日中両目を閉じて過ごしていた。二日経って、やっと少し楽になったが今夜の札幌での会議も眼帯をしながら片目で運転するのは危険と判断し家内に送り迎えを頼んだ始末。

 自分の不注意の怪我とは思うが、これだけ苦しめられるとメッタヤタラに切り過ぎた私に対して、森の精が怒りの鉄拳を下したのかしらと思えてしまう。でも、こうしてブログを書けるくらいに回復したので大丈夫ですからあ・・・

詩人になるとき

 今日も一日雪が降っている。道路に積もった雪がシャーベット状に融け、クルマがシャーと音をたて通り過ぎてゆく。この季節の当たり前の光景だが、陽が落ちはじめると気持ちも暗く感じてしまう。夜が更けると暖かな団らんにユッタリとくつろぐのだが、季節が移ろう時期の薄暮には心を動かす力があるようだ。

 こんなとき私は、詩人になる。なんちゃって・・・

友、遠方より来たる

 朝から降り続いた雪は、夜になっても降り止まず、外は冬景色。

 初雪の日には、イイことがあると書いた私には「デカイ・ディスプレィ」が届いただけではなかった。そんなことは消し飛んでしまうほどの嬉しい訪問を受けた。先の衆院選で「民主党の現職と戦って、小選挙区で勝利を収めた新人」は、全国でもただ一人。30年来の友人だ。

 国会では、予算委員会が始まっているが、新人ながら道連会長の立場にある彼は、道内の活動にも精力的に取り組んでいる。ほんの合間を縫って、今夜は、昔の仲間と飲んで語った。市議、道議、市長を経験し、衆議院議員として今一番、脂ののっているオトコと一緒に時間を過ごすと、こちらまで元気になってくる。

 そんな彼と話していて、いろいろな面で勉強になった。民主党がやろうとしている「子供手当」、5兆2千億円の予算が必要だが、これは現在の文部科学省の予算全体(文教関係費・科学技術振興費)に匹敵するモノだそうだ。学校教育、科学振興すべてを賄えるほどの金額を、ただ配ってしまうくらいなら、学校給食費を無料にするとか、体操着など必要なモノを全額負担するとか、義務教育ではなくても高校生をかかえる家庭に対して援助をするとか、まだまだ他に使い道があるんじゃないの?と思えてくる。

 だいたいが、外務省の年間予算はODAを含めても6千5百億円程度の規模なのに、5兆2千億というのは途方もない数字だ。2兆円規模の定額給付金の時でさえ、バラマキだと反対していた民主党が、もっと狭い範囲の国民に、その2倍半ものお金をバラマクというのは、何か話が違うんじゃないのかなあ・・・

 もともと民主党が勝った選挙ではなく、自民党が負けた選挙。目先の票ほしさに広げた大風呂敷は、すぐにバレルのだが、選挙が終わるまでは気付かない麻薬みたいなものだったのだろうか。気付いた時には、既に遅しという感がある。

 選挙前に「景気回復までは上げることはできないが、選挙情勢が悪くとも消費税の議論はさせて欲しい」と言った自民党。「4年間は消費税の議論すら必要ない」と言い切った民主党。選挙が終わって3日後、鳩山さんは、連合の中央執行委員会で消費税について「政治不信が払しょくされたときには国民の皆様にもご負担をお願いするようなことも将来出てくる可能性があろうかと思う」と、将来の税率引き上げはあり得ると云い、「真剣にこの問題を取り上げ、将来の年金などを含めて社会保障の議論を進めて結論を見いだしていきたい」と、この4年間の消費税の議論は封印しないとオッシャッタ。言ってることと違うだろうが。やはり、政治家は嘘つきだ。これじゃ、いつまでたっても政治不信なんか払しょくできる筈がない・・・

 政権を担うということは、責任が伴うということに気づいたのかしら。結局は、無責任な目先の票クレクレのための言葉に国民がダマサレタたということなのか。

 などなど話は尽きず、久しぶりの再会に「あの若かった頃の情熱」を思い起こした。そういえば、道連青年部の役員だった頃は、30代前半だったもんなあ。♪あの頃ボクも若かったあ~

 懐かしい友と楽しい時間を共有できた初雪の日。やはり、今年もイイことが起きてしまった。北国に暮らしていてヨカッタなあ・・・

土に感謝する心

 先日、カリンを送って頂いた長野の知人から便りが届いた。自家菜園では、大根と青首ビタミン大根と聖護院大根の収穫時期だそうだ。羨ましいなあ。それだけ種類があったら、沢山の漬け物が漬けられそう。

 便りの結びに「もうすぐ初霜の季節。土に感謝して終わり、寂しい季節になります」と書かれていた。土に感謝する心。美しいなあと思う。

 畑で作物を育てると収穫の喜びを味わえるのはもちろんだが、楽しみは、それだけではない。土とふれあうと心が和らいでくる。私たち農耕民族のDNAのなせる業なのかしら。本職で農業を営んでいる人には苦労も多いのだろうが、私のようなお気楽農夫にとっては、農作業は楽しい。いわゆる趣味の園芸という範囲だからだろう。

 土にふれると心がきれいになると言った人がいる。土と向き合うときは無心でいられるからだろう。そのうえ、土の香りは心をいやしてくれる。湿った土、乾いた土、コケや雑草、石ころなどあらゆるものが雑多に入り混じって合成された「ほわっと匂う土の香り」には、コンクリートやアスファルトじゃ決して味わえない何かがそこにある。まさに自然そのものの香りであり、生命の源である。

 何も大げさに考えなくても、プランターひとつでトマトやラディッシュを栽培したり、鉢植えの観葉植物で土とふれあい、毎日変化してゆく様を眺めているだけで優しくなれる気がする。心が疲れたら、雲を眺めるか土にふれてみるといい。きっと、そこにある温かさに気づき、自然のパワーに驚かされるはず。

 家にきたとき、高さ10センチもなかったパキラだが、今では、こんなに大きく成長した。まさに土に支えられ、土から命をもらっている。

月見酒

中秋の名月

 昨夜も娘達と散歩。見上げると雲ひとつない夜空に満月がクッキリ。そういえばラジオで「今夜は中秋の名月」だと言っていた。お月様を見ていると、なぜかロマンティックな気分になってくる。家に帰って家内に「月がキレイだから見てみろよ」と誘ったら「寒いからイヤだよ」とツレナク言われてしまった。やはり、ロマンティストは男の特権かも。「♪ワガママは男の罪、それを許さないのはオンナの罪」だもんな。

 月見酒を1杯と思いたったが、夕食後でもあるし、今さらビールでもなく日本酒や焼酎でもない。なにか軽いモノをと探していたらピッタリのモノを見つけた。7月に仕込んだ「グミ酒」が納戸に眠っているじゃないか。ほどよく色づいているので、サラシで漉してビンに詰めた。

グミ酒 グミ酒

 早速、ロックでやってみる。ウンメェー!普段あまり甘い酒は呑まないのだが、これはイケル。梅酒のようだが梅酒ほど酸味がキツクなく、どちらかというとアッサリ系の果実酒だ。「味は?」と聞かれると「グミだべさ」と答える以外ない。水やソーダで割るとお子様でもイケル。

 ベランダで月を見ながら呑むには寒すぎて、結局、ただの宴会になってしまった。なんたって、もとはホワイトリカー。結構、酔うわ・・・

 ココで豆知識をひとつ。♪ツーキノーサバァクヲーハァールーバァルトォーという童謡。「月の砂漠」ではなく、正しくは「月の沙漠」。「沙漠」とは砂浜という意味があるらしい。なんとなくアラビアンナイトの王子様とお姫様を連想していたが、千葉県御宿海岸の風景らしい。

 そういえば、「お月様」という記事で「月に簡単に行ける方法」を書いたっけなあ。今度やってみよ・・・

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