大根の干し方を見れば

 毎年恒例の大根干し、今年は40本。1本の紐で二つの輪っかを作り、重ねて二重にしたところに大根を通して絞る。これを繰り返し下から編んでゆく。昔は2本の縄を平行に垂らしスダレ干しにしていたが、最近は手を抜いている。子供の頃、どこの家でも大根はスダレ干し。まさに秋の風物詩だった。たぶん、軒先に吊るすと外から丸見えなのでキレイに干していなければ、だらしない家だと思われる風潮だったのかも。そういう意味では外から見えないとはいえ、ベランダに乱雑に吊るされた大根を見るかぎり私はかなりダラシないようだ。自分でも、そう思うのだから間違いない。

大根干し

薪を積んで冬を迎える

薪棚 薪棚

二重煙突 二重煙突

薪ストーブ

 急に涼しくなってきた。日中は暖かだが夜は寒い。最低気温が6℃台の日もあり、9月下旬から10月上旬並みの気候らしい。今週に入り、すでに3回もストーブを焚いた。夜6時頃、火をつけると寝るまで暖かい。というか暑すぎるので、家中の部屋のドアを開けっ放しにする。本格的にストーブを焚くのは、もう少し先になるが、はたしてストックしている薪で足りるのだろうか。昨シーズンの終わりに燃焼効率のいいストーブに取り替えたので、薪の消費量が減るといいのだが。

人間は忘れる生き物だから

 長い間、WOWOWに加入していた。加入当時は「アナログWOWOW」、デコーダーという機器を接続してBS-5chに合わせる。目的は映画やライブ。毎月届く雑誌の番組表から、これはと思うものをベータマックスに録画予約。いつの頃からかWOWOWもデジタル放送になったらしく、新聞のテレビ欄に「WOWOW・WOWOW2・WOWOW3」と3つの番組表が掲載されるようになった。我が家で視聴可能なのは「WOWOW」のみ。オーディオルームのブラウン管テレビはWOWOWデコーダーとビデオデッキ専用、VHF/UHFやBSのアンテナと繋がっていないのだからしょうがない。

 そうこうしている内に茶の間のテレビが壊れ、買い換えたタイミングで「WOWOWデジタル」に乗換えた。しばらくしてテレビを視る暇もないほど忙しく、家を留守にすることが多くなり、結局、観もしないWOWOWは解約することに。結果、一方的に流される番組を選んで観るより、観たい映画をレンタルで借りてくるほうが性に合っているということに気づいた。

 セミリタイアして時間に余裕ができ、今はamazonプライムとNETFLIXでアクション映画やサスペンスにハマっている。amazonの場合、以前観たことがあると「続きをみる」か「もう一度みる」と表示されるが、NETFLIXにはない。観はじめて途中で「あれ?これ、前に観た」と気づくのだが、観たという記憶だけで内容はほとんど覚えていない。だから、結局ハラハラしながらラストまで楽しむことができる。歳のせいなのか人間の忘れることができる能力のせいなのか、同じ映画を何度も楽しんでいる。

 人の記憶が次第に薄れてゆくのは、より幸福でいられるためだと思う。悲しいことやツライことを経験しても、時の流れとともに忘れ去り流されてゆく。いつまでもツライ想いを持ち続けていると、積もり重なり押し潰されてしまうのだろう。本来、人間は忘れる生き物なのだとか。しかも歳をとると、ちょっとだけ忘れるスピードが早くなる。そのうち映画のストーリーだけじゃなく、ご飯を食べたことまで忘れてしまうのかしら。それはそれで幸せな自分の時間を生きてる証なのかも。

平面バッフルスピーカー

 昔ながらの水銀体温計、最低でも5分は脇に挟んでジーッとしているのはツライ。電子体温計の場合、ほぼ1分。しかも計測が終わると、ピピッという音で知らせてくれるスグレモノ。

 昨年11月に10日間ほど入院したが、その電子体温計のピピッとなる音が聞こえないことに気づいた。看護師さんに渡された体温計を脇に挟んでいると「はい、鳴りました」と言われるが、自分ではまったく気づかない。朝の検温を自分で記録しようと脇に挟むが、いつまで経ってもピピッといわず壊れてんじゃないのと思うがちゃんと計れている。

聴力検査 テレビの音量が以前より大きくなっているのはわかっていたが、まさか聞こえない音があるなんて思いもしなかった。退院後、体温計を使うこともなく不自由なく過ごしていたが、なんと「ためしてガッテン」で「難聴が認知症の原因」という番組を視てしまった。

 内耳にある蝸牛という器官に音の振動を感じる「有毛細胞」という毛が並んでいるらしい。この細胞は音を電気信号に変えて脳に伝える働きをするが、年齢と共に毛が減少し高齢になると高い音が聞こえづらくなると。

 まさに、これだあ。原因は、毛だったのかあ。

 じゃあ、どうしようもないじゃん。と開き直っていたが、耳鼻科で耳掃除をしてもらったら聞こえるようになるかもと家内が勧めるので、淡い期待を胸に受診。耳の中はキレイですと。ヘッドフォンをかけて聴力検査。低域に異常なし、中域がやや聞こえづらく高域はかなり聞こえてないという結果。「毛ですか?」と聞くと「毛です」。「対策は?」と聞くと「ありません」。低域が正常なので補聴器を使うと、その部分だけ大きくなって余計聞こえにくくなるらしい。

アルテック 淡い期待を裏切られ、結構ショック。何よりもイイ音で聴きたいと長年連れ添ってきたオーディオ機器。ジャズでシンバルの響きを如何に生音に近づけるか、自然で伸びやかなベースの響き、つばきが飛んでくるようなサックスの音色の臨場感etc.いろいろと無理難題をシステムに求めてきたが、期待に応えてくれても自分が聴こえてないんじゃ意味がない。実に寂しく悲しい。ということは必要ないじゃん。結局、ヤケになってMcIntoshのパワーアンプとコントロールアンプ、Altecのスピーカーを手放すことに。

 手元に残ったのは、レコードとCD、レコードプレーヤー、CDプレーヤー、サブ機のAccuphaseのプリメイン。スピーカーがないので、しばらく音のない生活が続いていたが、今は倉庫となっている1階の旧診療室、待合室、院長室、医局員室それぞれの天井にBGM用スピーカーが埋めてあることに気づいた。

 開業以来30数年間、休診日以外毎日鳴っていたスピーカーだが、移転後8年ほどは全く音出しなし。脚立に登り天井に固定されたナショナルのマークがついたカバーを外すと、薄いバッフルに固定されたスピーカーが出てきた。スピーカー本体はサランネットを兼ねた薄く黒い紙で包まれているため埃をかぶることもなく意外とキレイ。松下製の六半いわゆる16cmのフルレンジ、Hi-eff EAS-16P90SNと書いてある。マグネットが小さいのでオーディオ用というより、壁や天井に埋めて使用する館内放送用のものらしい。

 1階の天井から回収したのは全部で5個。とりあえず音が出りゃイイ訳で一番簡単に平面バッフルに組み込むことに。平面バッフルというのは、穴を開けた板にスピーカーを取り付けただけのもの。板のサイズは大きければ大きいほどよく、いろいろと面倒な計算式があるのだが、いっさい無視。今や木工所と化した技工室にストックしてある端材を加工して自立できるように工作。チャチャチャと半日仕事で完成。

平面バッフルスピーカー自作

 40年前の放送用スピーカー、小ぶりの板の平面バッフル、期待するほうが無理。わかっていても一発めの音出しは常にワクワク。

 ベニー・ゴルソンのスターダストというアルバム。ウーン、ぜーんぜんイイわ。フレディ・ハバードのフューゲルホーンが前に躍り出てくる。たしかにロン・カーターのベースに迫力はないが、なんたって16cm。もともと高域が聴こえにくいせいか、逆に全体としてはバランスが取れている。館内放送用ということでレンジが狭くアナウンスやボーカルの帯域が明瞭に聴こえるよう特化しているのかも。また平面バッフルでボックスがないため、今風のスピーカーのように低音に負荷をかけて強調せず素直で自然な響きが広がる。これはこれでアリ。結構、音楽が楽しめるスピーカー。40年経ってもこの音質を維持できる松下通信工業、恐るべし。

平面バッフルスピーカー自作

 レンガで転倒防止、ターミナルなしのケーブル直付け。洗濯バサミでケーブル固定。

平面バッフルスピーカー自作

 耳のイイ若い人が聴くには物足りないかもしれないが、歳で毛が薄くなった耳にはちょうどイイ。音楽が心地イイ。レコードやCDまで手放さなくてヨカッタなあ。

関連:平面バッフルスピーカー(2)
関連:歳をとるのは寂しい

不便であることも楽しい

薪棚

 夏から秋にかけて整理していた間伐材や倒木。薪にするため乾燥していたが、あまりにも大量なので結局、自宅にも薪ストーブを設置することにした。もともとは、鉄筋コンクリートでセントラルヒーティングの我が家。簡単に煙突を外だしできる仕様ではないため、ベランダへ出るドアを潰し新たな壁を作りメガネ石を埋め煙突を通した。ストーブは部屋のど真ん中に置きたかったので、茶の間と隣の部屋の壁を取っ払い二間続きの大きな部屋に改装。

薪ストーブ 薪ストーブ

 山荘で乾燥しておいた玉切り丸太を運び込み、自宅で薪割り。とてもじゃないがマサカリを振りかぶる気力も体力もなく、電動薪割り機を購入。やはり文明の利器は素晴らしい。5トンの油圧パワーでバリバリ薪を割ってくれる。割る必要のない細い木は、バンドソーでカット。ベランダや玄関や1階の旧待合室やストーブの周り、家中あちこちに薪が積み上げられていく。不思議なもので、薪棚がいっぱいに埋まってくると何故か安心する。

電動薪割り機 バンドソー

 今まで、スイッチひとつで可能だった室温調節。大幅に手間が増え、かなり不便になったが、ストーブの前に座り揺らめく炎を眺めるだけで湧きいづる心の安らぎは、そんな苦労をも補ってあまりある。

薪 薪

人生の秋

人生の秋

 完全防寒対策で山荘へ行く。この時期、雑草の成長は遅く、ほとんど草刈りを必要としないが落ち葉が降り積もり散らかり放題。あまり美しい景色とはいえない。葉の落ちた木々を眺めていると、人生も秋を迎えたようで寂しい気分になる。

 ヤルべき仕事は沢山あるが急ぐわけでなし、ストーブにあたりながら休憩する時間のほうが長い。というか、一度ストーブにあたり始めるとなかなか離れがたくなる。ストーブ脇の自作ベンチに腰掛け、ただボーッとしている。ただそれだけが目的のように座り続け、来し方に思いを馳せる。最近のこと、少し前のこと、昔のこと。いろいろ想いは廻るが、行く末にまでは及ばない。

 こうして過ごす時間は、落ち着いて静かに流れていく。寂しいのかといえば、幸せな気分に満ち足りている。今、自分は人生の秋にいる。

敬老の日

 我が家では、来客があるとララが吠えるのでチャイムが鳴る前にわかる。土曜の午前、ドアを開けると見知らぬ人が立っていた。民生委員だという。今まで縁がなかったせいか、民生委員という人と会うのは初めてのような気がする。用向きを尋ねると「カワハラさんが65歳になったので」「いえ、まだ64ですが」「今年度中に65になりますよね」「まあ、来年の2月には」

Q救ちゃん 要は、市役所の事業らしく65歳を迎える人に「緊急用の連絡カード」を配っているらしい。このカードに必要事項を書き入れ、専用ケースに入れ冷蔵庫の中に保管してくれと云う。冷蔵庫の扉にマグネット付きの「Q救ちゃんシール」を貼っておくと、万一の時、私がしゃべれない状態でも救急車の人が冷蔵庫を開け必要な情報を手に入れることが出来るのだそうだ。確かに便利といえば便利、あって困るものではないが私は独居老人ではないのに。

 今まで自分の年齢を意識したことはなかったが、民生委員の人に老人であると烙印を押されたような気がして「かなりのショック!」

 結局、云われるままに必要事項を書き入れケースにしまい、イン・ザ・レイゾウコ。午後から用事があったのでJRで札幌へ出た。駅からホテルまでタクシーに乗ると、途中で運転手さんが遠慮がちに私に聞く。「失礼ですが、お客さん65歳過ぎてますか?」「はあ?まだ64ですが」「そうですか、残念でした。65歳を過ぎると高齢者割引で10%オフなんですよ」。云われて目の前を見ると助手席のヘッドレストの裏に「高齢者割引」の広告がブラ下がっている。確認するには、免許証や保険証が必要らしい。

 運転手さん曰く「なかなかお客さんに年齢って聞きにくいんですよね、特に女性の場合には」。そうだろうな、50代の人が65過ぎてるか?なんて聞かれるのはイヤだろうし、老けて見えるご婦人の場合、きっと車内は気まずい雰囲気になることもあるんだろうな。私の場合、1個違いの残念賞だったので気まずくなることもなく、会話もはずみ今朝の民生委員の話を聞かせてあげた。「いやあ、年寄り扱いされたみたいでショックだったんだよねぇ」と結ぶと、それから急に運転手さんが「お気を悪くされたのなら申し訳ありません」と気を使い始めてしまった。イヤ、別にそんなつもりで云った訳では。

 明日は「敬老の日」、ナニか今までとは違う意識で過ごす休日になるのかしら。

歳を取るということ

 せっかくの連休だが、各地で大雪の予報。テレビでは高速道路の通行止めを知らせる交通情報が流れている。こんな日は、何処へも出掛けないのが一番。ということで、レコードとCDの整理で一日を過ごす。埃を払いジャンルごとにアーティストをABC順に並べてゆくのだが、結構大変な作業。以前に整理しているので大まかに並んではいるが、1枚1枚確かめながら順に収めてゆく。途中で気になるアルバムを目にすると作業を中断して、聴き惚れてからの作業再開。結果、遅々として進まないが別に急いでる訳でもなく、部屋中に散らかったレコードやCDに囲まれて幸せな時間を過ごした。

 レストランや病院など人が出入りするところではBGMが流れている。バックグラウンド・ミュージックの名の通り、雰囲気を壊さぬよう静かな音量に設定されていて、最近ではジャズが流れる居酒屋さんにも違和感を感じなくなった。私の職場にもBGMが流れている。その昔、有線放送で440チャンネルのプログラム選び放題という契約をしていた。最初は、面白くあちこちチャンネル回していたが、結局、常に聴くチャンネルは固定されるようになり、コストを考えるとモッタイナイということに気づき止めてしまった。その後、自分でiPodに曲を入れBGMとして利用するのだが、そうなると当然、自分好みの選曲ばかり。CDの棚から好きなアーティストを引っ張り出してきては何百曲もジャズを入れ続けた。よーしこれで好きな曲ばかり聴きながら、気分よく仕事が出来るぞ。と思ったのだが、これがイケなかった。というのは、仕事中とはいえ趣味である大好きなジャズ、特にマイルスやウィントン・ケリーがかかる訳で、目と手は仕事をしていても耳はBGMに集中するという事態に陥ってしまう。これではイカンということで、どうでもイイ軽音楽で耳障りの悪くないものをというコンセプトで曲を総入れ替え。結果、BGMに気を取られることはなくなった。

 大きく分けると積極的に聴く音楽と、環境に聴かされる音楽がある。タバコを吸っていた時期、自分の煙は気にならないが他人が吐き出すのは煙たく感じていたのと同じように、聴きたくない音楽は雑音にしか感じない。そこで、BGMは聴き流す以前に背景のように意識の外に置くようになってきた。というか、歳のせいで耳が遠くなったのかもしれない。これはこれで都合良く、嫌な音楽は聴かなくてもイイし、人の悪口も聞こえてこないので老いてゆくのもイイことに違いない。

 

人生最高のウェスト更新中

防風チノ  秋が深まり、最高気温が20度を下回ると肌寒くなる。ユニクロやドッカーズの綿パンを愛用してるが、冬物に衣替えしようと裏地が起毛の暖かい綿パンを出してみた。

 お腹がキツクて、まったく入らない。去年は余裕で履いてたウエスト85cmだが、キツクてチャックも上がらない。たしかに太ってきたなという自覚はあったが、まさかここまでヒドイとは。

 大きいサイズを仕入れるため、ユニクロへ出掛けた。「暖パン防風チノ」、風を通さない暖かいパンツ。裏地が分厚くいかにも暖かそう。サイズ88cmを持って試着室へ。

 うーん、なんとか履けるには履けるんだが、チョオーっとキツイかなあ。この上になるとウエスト91cm。余裕のユッタリサイズなのはわかっているが、自分的に許せないメタボの診断基準90cmオーバー。まあ、痩せればイイんだしと自分に言い聞かせ、88cmの色違い3本をお買い上げ。合わせて約1万2千円、履けなければタダの布ッ切れ。なんとか痩せなければと思いつつ体重計に乗ってみるが、もっか人生最高の体重を更新中。

将来の夢

 掃除の行き届いた部屋は、空気が張りつめ清々しい気分に満ちている。基本的に私は「キレイ好き」だが、多少の散らかりなら気にせず過ごしている。ただ、何かのきっかけでヤル気になると徹底して掃除を始める。学生の頃、定期試験前日になると決まって部屋の片付けを始めた。いわゆる大掃除。学生が住む程度の狭い部屋だが、棚から下ろして本のホコリを払い本棚に雑巾をかけ、床から壁から部屋の隅々まで徹底的にキレイにするには、結構な時間がかかる。無心になって片付けている時間が好きなのか、片付け終わった部屋でコタツに入り達成感に浸るのが好きなのか、気がつくといつも真夜中を過ぎていた。それから文字通り「一夜漬け」のまま朝を迎え、徹夜明けで試験を受けた。今にして思うと勉強したくないがために掃除を始めたのか、本当に掃除が好きだったのかわからないが、結果、ピンと張り詰めた清々しい空気の中で集中できたからこそ留年もせず無事卒業できたのだと思う。

 結局、無精なのかキレイ好きなのか自分でも判断しかねるが、古い物を捨てられず整理整頓が行き届いてないのは確か。私の部屋は古いレコードやカセットテープをはじめ他人にはガラクタにしか見えない物で溢れているが、どれも自分にとって大切なものばかり。輪をかけて書類関係の保管は不得手である。整理できないまま溜まりすぎた書類は、最終的に古紙回収業者へ回されるものがほとんど。書類をファイリングして表紙をつけて分類なんてことは、全く性に合わない。その点、亡くなった父の几帳面さには今でも頭が下がる。

作文集 私の仕事を手伝ってくれていた晩年の父が綴っていた社会保険や労働衛生関係の書類は、今なお整然と保管されている。何よりも私の子供時代の通知箋(通信簿)が、小・中・高・大学と全て保管されているのは、父の手によるもの。小学2年生の2学期にオール5を採ったことを自慢できるのは、父の几帳面さゆえ。

 先日、古い本棚で探し物をしていたら、小学2年生と3年生の作文集の綴りを見つけた。2年生で4冊、3年生で7冊の計11冊をガリ版で印刷し綴じて配ってくれた担任の斉藤英樹先生への感謝の気持ちとともに、それを捨てずに表紙をつけて保存してくれていた父の気持ちを思うと言葉に尽くせぬ有り難さを感じる。

 その中の一節。「ぼくは 大きくなったら 外こうかんになりたいと思っています。お父さんは 敏幸が外こうかんになったら お父さんより きゅうりょうがもらえるんだよと いいます。ぼくは 早く大きくなって お父さんたちを らくにさせてやりたいと思います。そして 世界の国々を自由に 見て歩きたいと思います。それから まだえらくなって 岸さんみたく そう理大じんになりたいと思います。」

文集 文集

 50年以上前、小学3年生の私が書いた作文。読み返すと恥ずかしくもあるが、この時の素直な気持ちだったのだろう。当時の男の子は、将来の夢を語るとき「プロ野球の選手」や「科学者」や「博士」、女の子は「スチュアーデス」や「看護婦」や「学校の先生」などが多かった。今でこそ「プロ野球の選手」であったり「サッカー選手」、「宇宙飛行士」や「お医者さん」や「芸能人」なのだろうが、それほど昔と変わってないように思う。いつの時代も夢多き子供たちは、素直に憧れを語れる存在のようだ。

 人生で一番ポジティブな年代は、12才頃だという話をラジオで聴いた。9才当時の可能性は無限だとはいえ、総理大臣になりたいと書いた私の作文を読んでも頷ける。これが中学・高校を卒業する時期を迎えると、自分の資質と現実のギャップに気づき、その時点で「総理大臣」や「プロ野球の選手」になりたいと作文に書けるのは、ごく一部の特殊な能力を持った子だけに限られる。ほとんどの子供たちは、華やかな夢とかけ離れた現実に即した選択肢を目標にする。

 未来を担う子供たちには、夢を憧れのままで終わらせず、ぜひ実現してもらいたいと願わずにはいられないが「将来の夢」というテーマで作文を書く機会があれば、「職業」ではなく「生き方」を記してほしいもの。そうすれば、50年後読み返すとき「総理大臣にはなれなかったが、清く正しく美しく?正義を貫いて生きてる自分」に巡り会えるかもしれないじゃん。

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