iPone6をiPodにして使う

 ガラケーからスマホに乗り換えたのは遅く、[iPhone4S]が最初のスマートフォン。それ以前のiPhone4までは、ソフトバンクモバイルのみで販売されていて新たにauからもiPhoneが発売されるようになったのが4Sから。NTTドコモでは5s/5c以降、iPhoneを扱うようになった。

 それより以前、音楽を持ち運ぶためカセットウォークマンからMDウォークマンを経て[iPod mini]を愛用していた。4ギガも容量があり、たった1台で何百曲も持ち歩ける画期的なアイテム。FMトランスミッターでクルマのラジオに電波を飛ばしドライブ中にBGMを楽しんだり、有線でアンプにつなぎ仕事場のBGMとして重宝していた。

iPod mini

 その後、[iPhone4S] [iPhone6] [iPhoneSE(第2世代)]と音楽も聴ける電話機を持つようになり、音楽プレーヤーを持ち歩かなくても不便を感じることなく暮らしていた。最近、趣味の作業室にこもる機会が多くなり携帯電話を「電源不要の木製スマホスピーカースタンド」に乗っけてBGMを流しているのだが、やはり電話はかかってくるしLINEやSNSもくる。何より音がイマイチというか限りなくショボい。そこで倉庫から、古いアンプとブックシェルフスピーカーを出してきてセッティングしたのだが、iPhoneSE(第2世代)はLightningケーブルのみでイヤフォンジャックがなくアンプにつなぐにも変換ケーブルが必要。ということで、以前使っていた[iPhone6]を[iPod化]して使うことにした。なんたって、iPhone6にはイヤフォンジャックがありアンプに直接つながるので超便利。

 最近の[iPod touch]のようにApple MusicやAmazon Music、YouTube Musicなどインターネット経由で音楽を聴く必要もなく手持ちの音源だけで充分なため「SIMなし」のまま。ひたすらiTunesから曲を転送。不要なアプリをすべて削除した64ギガのiPhone6、たぶん何千曲をも超える転送をしているにもかかわらずまだまだ余裕がある。何よりもネットから隔離されている状態なのでウィルス感染の心配もなく純粋な音楽プレーヤーに仕上がった。

 一生かかっても聴ききれない程の曲やラジオ番組を入れたが結局、流すアルバムは限られていて、いつものパターン通り「イイと思ったら飽きるまで聴き続ける」というスタイルは変わらない。今のところ[Stevie Ray Vaughan & Double Trouble - Couldn't Stand The Weather] [Miles Davis - Kind Of Blue] [すぎもとまさとベスト]ばかり聴いている。特にスティーヴィー・レイ・ヴォーンのセカンド・アルバム「テキサス・ハリケーン」(amazonプライム会員であれば無料でストリーミングができる)は、テンポがよく作業がはかどることこの上ない。1階部分すべてが作業室なので大音量でもOK、耳の遠くなった私が大音量というくらいだから余程のボリュームに違いない。ヘリコプター事故で亡くなったのが35歳、もう30年も前になるが未だに色褪せないギンギンのブルースを聴かせてくれる。

 せっかくの音楽専用機なので、昔の愛用機[McIntosh MC500]を模したデザインのアプリをメインにしている。カッコいいなあ...

iPhone iPod化

iPhone音楽プレーヤー

iPhone音楽プレーヤー

孫が喜ぶブランコの色

ブランコ修理 ブランコ修理

錆びたブランコのシャックル ブランコのシャックル錆落とし

 軽トラの荷台に脚立を乗せ、錆びたブランコの鎖を切断。充電式ディスクグラインダーの威力は素晴らしい。シャックルの錆を落としてみたら、まだまだ使用に耐える状態なので、ここにステンレスのリングキャッチを引っ掛けロープを固定する。支柱の錆を落として全体を塗装予定だが、あとは天気と相談しながらの作業。問題は、何色に塗るか。孫が喜びそうなのは、やっぱこのミュージックビデオに出てくる遊具の色なんだろうなあ。

Imad Fares - Pharaon

鬼平犯科帳

 盗賊たちに「鬼の平蔵」と恐れられていた江戸幕府の火付盗賊改方長官長谷川平蔵。中村吉右衛門が主演の「鬼平犯科帳」のエンディングでは毎回、江戸の季節を背景にジプシー・キングスの「インスピレイション」という曲がBGMとして使われていた。時代劇にラテンとはミスマッチだが、いい雰囲気出てたよなあ。フランスのフラメンコバンド「ジプシー・キングス」のインストゥルメンタル。

Gipsy Kings - Inspiration

 ポーランドのギタリスト「Imad Fares」が、ジプシー・キングスの「Pharaon」という曲をカバーしている。ポーランド南部クラクフ中央市場広場でのストリートライブ。ルーパー・エフェクターを使っての多重演奏とはいえ、たった一人でジプシー・キングス7人分の雰囲気を醸し出す。

 これを聴いて以来、納戸からギターを引っ張り出してきて弦を張り替え練習を始めた。30年ぶりに指先が痛い毎日を過ごしている。というのも、東京で暮らす小2の孫が最近ギターを弾き始めたらしいのを聞いて、いつか「ジイジもカッコイイ」と言わせたいがため。とはいえ、昔あんなに上手かった?はずなのに、やはり30年のブランクは大きいなあ。

The Dark End of the Street

James Carr - The Dark End of the Street The Dark End of the Street / James Carr

 ジェイムス・カーの代表曲「ダーク・エンド・オブ・ザ・ストリート」、1967年ビルボードのブラック・チャートで上位に輝いた。不倫関係の二人がいつも密会する「街はずれにある暗がり」が曲のタイトル。多くのミュージシャンにカバーされている。なかでも、ライ・クーダーのアルバム「Boomer's Story (1972)」で演奏するボトルネックギター奏法の音色が印象的。

Ry Cooder ‎- Boomer's Story 「Boomer's Story」はアルバム3作目、邦題「流れ者の物語」。ライ・クーダがワールド・ミュージックに傾いてゆく以前のアメリカ南部の薫りがムンムン。いまだにこのアルバムに執着しているのは、B面1曲目を飾る「The Dark End of the Street」との衝撃的な出逢いのせい。枯れたスライド・ギターの音色にヤラれてしまった。後に札幌狸小路のシアター・キノで「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ 」を観ることになるのも、第1回東京JAZZ(2002)で来日したキューバの美空ひばり「オマーラ・ポルトゥオンド」と出逢うことになるのも、すべてライ・クーダのこのアルバムから始まる。

The Dark End of the Street / Ry Cooder

 それにしても「amazonプライム」の会員であれば、このアルバムがタダで聴けてしまうなんて便利な世の中になったなあと思う反面、複雑な心境でもある。

I Want You - The Beatles

Abbey Road I Want You / The Beatles

 ビートルズ11枚目のアルバム"ABBEY ROAD" A面最後の曲。このアルバムは"Come Together"や"Something""Oh! Darling"など名曲揃いだが、中でも最も好きなのが"I Want You"。ジョン・レノンの声とギターメロが重なる唄い出し♪ I Want Youというフレーズにマイッてしまう。ゾクゾクしてしまう。ビートルズの曲で一番セクシーかもしれない。完璧の極みに達した天才達であるがゆえに、紆余曲折を経なければ世に出なかった曲。

 これが吹きこまれた1969年当時、彼らは各々に独立して活動していた。バラバラになりかけていたグループを再度まとめようとポール・マッカートニーが「原点に帰ろう」と提案。ポールがいう原点とは、デビュー当時のシンプルな演奏のレコーディング。オーバー・ダブ、つまり重ね録りによる多重録音を行わないことやコンサートツアーの再開なのだが、他のメンバーが反対。結果的にリハーサルを含めたドキュメンタリー番組を放送するすることで妥協。これが「Get Back(原点に帰る)Session」の始まり。しかし、内輪もめでテレビ放映はキャンセル、この企画は流れてしまった。後に撮影テープは映画「Let It Be」、録音テープはラストアルバム「Let It Be」としてリリースされた。

 ゲット・バック・セッションの中で吹きこまれた"I Wan You"がマスターテープとなり、後にジョンやジョージのギター、ビリー・プレストンのハモンド・オルガン・オーバーダブなど幾多の編集を経て完成。ポールが提案した原点には帰れなかったが、このセクシーさはオーバー・ダビングの賜だと思う。単純な歌詞がひたすら繰り返され、ビートルズで一番長い曲。"Hey Jude"よりも長い7分44秒。エンディングが突然プッツリ切れるのも特徴的。

 ジョンがオノ・ヨーコに捧げた究極のラブソングといわれているが、こんなセクシーな曲で愛を囁かれたらマイッてしまいそう。

関連:ビートルズ赤盤レコード

 普段あまり歌謡曲は聴かないが、「紅い花」でも書いたように、ちあきなおみの紅い花という曲が好き。遠い若すぎた恋に想いを馳せるも、今はもう消えた夢の一つ。呑むほどに込み上げる虚しさ切なさ。愛したという記憶だけを残し、また明日が訪れる。

 沁みるなぁー。日本人に生まれてよかったなー。と思える1曲。

 歌詞もいいが、何より曲が美しい。最近、杉本真人という作曲家を知った。youtubeで紅い花を検索したら「すぎもとまさと」が唄う紅い花がヒットした。

 多くの歌手に楽曲を提供している有名な作曲家らしい。Wikipediaによると、え!アノ人のアノ曲もそうなの?と、歌謡曲にウトい私でさえ知っている曲が沢山ある。作曲家としては「杉本真人」、歌手の時はサングラスをかけ「すぎもとまさと」と表記するらしい。

 決して上手ではないが旨い。味を伝える心がある。他人が作った曲に思いを込め、人を感動させるのが一流の歌手だとすれば、すぎもとは作曲者だからこそ自身の思いを込めることで感動が伝わるのかもしれない。と、同い年のよしみでエラそうに書いたが、ナニを隠そう一辺にファンになってしまったのだ。

すぎもとまさと BEST & BEST

 amazonで「BEST & BEST」を取り寄せ、ハマって聴いている。そうはいっても2枚組26曲も入っている。自ずと好きな曲とそうでもないのに分かれてくる。レコードと違って曲を簡単にスキップできるのがCDの便利なところだが、2枚組ともなればCDの入れ替えをしなければならない。その煩わしさから開放されるためにmy favorite numbers10曲を1枚のCDに焼いて楽しんでいる。この中でも絶対に外せないのが「紅い花」「冬隣」「黄昏シネマ」。聴いていて映像が目に浮かぶのは作詞家の才能もあるが、そのイメージを形にしたメロディメーカー杉本の力量。最近、セッティングした「平面バッフルスピーカー」。インストゥルメンタルより、人の声が沁みるように鳴る。そのせいなのか歳のせいなのか、私は今、沁みる唄に浸っている。

「夢の共演に感激!」でも書いたが、大勢の有名アーティストが一堂に会して演じる「チャリティ・アルバム」が好き。お得感満載というだけでなく、ソロ活動では味わえないパフォーマンスの意外性を楽しめるから。同じように「デュエット・アルバム」も好き。アーティストがいろいろなゲストを招いてデュエットを唄う。有名どころでは、フランク・シナトラの「デュエッツ」「デュエッツⅡ」。シナトラにかぎらずデュエット・アルバムは、晩年を迎え円熟期に達してからリリースされることが多い。ポッと出の新人じゃ誰も相手にしてくれないだろうし、実力・人気はもちろんのこと多くの人から尊敬され慕われる人間性が備わって初めて成し得るもの。特に印象深いのは人生最後の吹込みとなったレイ・チャールズの遺作「ジーニアス・ラヴ〜永遠の愛」が8部門でグラミー賞に輝いたこと。また、カントリーの大御所ウィリー・ネルソンも70歳を祝う記念コンサートで豪華ゲストらとコラボレーション。エルヴィス・コステロ、ダイアナ・クラール、ノラ・ジョーンズ、レイ・チャールズ、レオン・ラッセル、エリック・クラプトンからポール・サイモン、スティーブン・タイラーなどなど、まだまだ出るわ出るわ大物揃いの「Willie Nelson & Friends:Live & Kickin」

 15年ほど前、地元のレンタルビデオ屋さんに行った時のこと。レンタルCDコーナーの一角にCDを売っている棚があり、何気に眺めていたらトニー・ベネットのアルバム。同じものが25枚並んでいる。値札をみて

「ビックリ?!」

100円。あのトニー・ベネット様のアルバムがナント1枚100円。

 高校生の頃、深夜放送のラジオから流れる「アノ世界のベンチャーズが演奏する加山雄三の君といつまでも」を初めて聴いた瞬間の感動にも似た驚き。というか、トニー・ベネットがこんな場末のレンタルCD屋の片隅で酷い仕打ちを受けていることに耐えられず、許せないという衝動で全部買い占め。内容も確認せずカゴに入れた。

 レンタル用のCDが古くなり、初期投資を回収し元をとったので売りに出したのかと思いきや、インポート盤の証であるラベルが印刷された粘着テープでCDケースの上がシーリングされている。まったくの未開封モノ。ひょっとしたら大量に仕入れたが、ただの一度もレンタルされることなく処分されることになったのか。そんなに人気がないのか。事情はわからないが1枚100円なんて、あまりにも可哀想。お店の人の怪訝な顔をよそに総額2,500円で25枚の同じCDをお持ち帰り。

 ずばり、これはトニー・ベネット版の「デュエッツ」。シナトラの「デュエッツ」をプロデュースしたフィル・ラモーンが本作のプロデューサー。トニー・ベネット、75歳の記念盤。豪華な共演者とともにブルースを唄うデュエット・アルバム。ダイアナ・クラール、スティービー・ワンダー、B.B.キング、レイ・チャールズ、ボニー・レイット、ビリー・ジョエル、ナタリー・コール、k.d.ラング、シェリル・クロウなどなど。2003年には、第45回グラミーで「最優秀トラディッショナル・ポップ・ボーカル・アルバム賞」というキラ星アルバム。

 25枚もあるが、自分用に封を開けるのは1枚で充分。その後、音楽が好きそうな、というかトニー・ベネットが好きそうな人を(勝手な想い込みで)見つけてはプレゼント。今となっては誰に渡したのか記憶にないが、先日たまたまCD棚に未開封が9枚残っているのを見つけた。

Playin With My Friends: Bennett Sings the Blues

トニー・ベネット・ウィズ・マイ・フレンズ

 平面バッフルスピーカーをセッティングして以来、ヴォーカルものをよく聴くようになり、改めてトニー・ベネットの魅力にハマっている。ちなみにamazonで検索してみると、「インポート盤」が3,980円、「国内盤」が2,408円となっている。私が15年前に衝動にかられて投資した2,500円は、99,500円に膨らんだことになる。実に40倍、バブルだあ。さすが夢を売るアーティスト。別の意味でも夢を見させてくれたような気が。

 30年以上も前のこと。想いを寄せていた過去の人の夢を見て目が覚めた。懐かしく切なく淡い幸せな気分に浸り、その日は、いつもより人に優しくなれそうな自分を感じていた。

アルビノーニ その頃、私の職場のBGMはラジオ。電波の谷間のせいで、受信できるのはNHK-FMのみ。まだ、CDプレーヤーは市販されておらず、田舎では有線放送などない時代。

 いつも通り忙しさに追われるように仕事をしていた私の耳に、ふと美しい曲が流れてきた。目と手は仕事に集中してるのだが、心はこの美しい曲に囚われてしまい、不覚にも涙で目がかすみ仕事ができない状態。夢のせいで感傷的になっていたのもあるが、音楽に泣かされたのは初めての経験。

アルビノーニ 昼休み、新聞のラジオ欄で曲名を確認。アルバム名をメモして、近所のレコード屋さんで注文。2週間ほどして届いたのが、生まれて初めて買ったクラシックのレコード。ジャズやロック、カントリーがほとんどのコレクションに、まったく異質なクラシックアルバム「アルビノーニ協奏曲集作品10 クラウディオ・シモーネ指揮 イ・ソリスティ・ヴェネティ」が仲間入りした。私のコレクションで唯一、最初で最後のクラシック・レコード。さすがに2枚組のレコードを最後まで通して聴くには、まともな精神状態のときの私には辛いものがある。結局、アダジオばかり聴いていた。

 それから10年ほど過ぎた頃、ジュラシック・パークの著者マイクル・クライトンの「緊急の場合は」という本を読んでいて、思わず興奮してしまった。病理医ジョン・ベリーが、逮捕された友人の無実を晴らそうと活躍する彼のデビュー作。ハーバード大医学部出身のクライトンだからこその描写とストーリー展開で、アメリカ探偵作家クラブ賞最優秀長篇賞を受賞した医学サスペンス。

(その中の1シーン)
 フリッツはスラックスにだぶだぶのスェーターという姿で、深々としたひじかけ椅子にすわっていた。頭にステレオのイヤフォーンをかぶり、太いシガーを吸い、そして、泣いていた。涙が彼のなめらかで、青白いほおを流れおちた。彼は私を見ると目を拭い、イヤフォーンをはずした。
「ジョン、きみはアルビノーニを聞いたことがあるか」
「いや」と、私はいった。
「では、きみはアダジオを知らん」
「知らんね」
「いつ聞いても悲しくなるんだ」と、彼は目をこすりながらいった。
「悲しくて、たまらなくなる。あまり美しいんでね。・・・すわりたまえ」
 私はすわった。彼はプレイヤーをとめて、レコードをはずし、注意ぶかく埃をはらって、ジャケットにおさめた。
(マイクル・クライトン著「緊急の場合は」清水俊二訳より)

 これを読んで、私と同じように「アルビノーニのアダジオ」を聴いて美しすぎて涙を流す人がいることに感動した。というより、作者のマイクル・クライトンが登場人物に語らせているのであって、私の感性がマイクル・クライトンに近いところにあるらしいことが嬉しかった。きっと私も、いつかジュラシック・パークのような小説を書いて映画化されて億万長者になれるかしら。と思っていたら...

 最近になって、私が聴いた「アルビノーニのアダジオ」とマイクル・クライトンが小説で使った「アルビノーニのアダジオ」は、別のものであることが分かった。マイ・コレクションのレコード「アルビノーニ協奏曲作品10」は、A面B面に3曲ずつ、2枚組なので12曲が収録されている。その1曲毎が3部構成になっていて、作品10の1(アレグロ - アダジオ - アレグロ)、作品10の2(アレグロ - アンダンテ - アレグロ)のように、それぞれ3つのパートに分かれ異なるテンポで演奏される。私の好きなアダジオは、作品10の1のアダジオの部分。開始後2分12秒くらいから4分58秒までの部分。

 ところが一方、「アルビノーニのアダジオ」といえばコレでしょ!というくらいポピュラーな曲がある。世間では「アルビノーニ作曲、ジャゾット編曲」と云われているが、イタリアの音楽学者レモ・ジャゾットの創作で、アルビノーニとは直接関わりがないらしい。そう云われて改めて聴き比べてみると確かに違う曲。私が初めて聴いて涙を流したのは、正真正銘アルビノーニ作曲の「アルビノーニのアダジオ」。フリッツが聴いて涙を流すのは、レモ・ジャゾット作曲の「アルビノーニのアダジオ」。どちらも美しい。美し過ぎて涙が出そうになる。涙腺がユル過ぎるのは歳のせいでショウガナイとしても、なぜ、このように紛らわしいことになったのか調べてみた。なるほど、サムラコージではないようだ。

(Wikipedia) アルビノーニのアダージョ
(Wikipedia) レモ・ジャゾット
(Wikipedia) トマゾ・アルビノーニ

歳を取るということ

 せっかくの連休だが、各地で大雪の予報。テレビでは高速道路の通行止めを知らせる交通情報が流れている。こんな日は、何処へも出掛けないのが一番。ということで、レコードとCDの整理で一日を過ごす。埃を払いジャンルごとにアーティストをABC順に並べてゆくのだが、結構大変な作業。以前に整理しているので大まかに並んではいるが、1枚1枚確かめながら順に収めてゆく。途中で気になるアルバムを目にすると作業を中断して、聴き惚れてからの作業再開。結果、遅々として進まないが別に急いでる訳でもなく、部屋中に散らかったレコードやCDに囲まれて幸せな時間を過ごした。

 レストランや病院など人が出入りするところではBGMが流れている。バックグラウンド・ミュージックの名の通り、雰囲気を壊さぬよう静かな音量に設定されていて、最近ではジャズが流れる居酒屋さんにも違和感を感じなくなった。私の職場にもBGMが流れている。その昔、有線放送で440チャンネルのプログラム選び放題という契約をしていた。最初は、面白くあちこちチャンネル回していたが、結局、常に聴くチャンネルは固定されるようになり、コストを考えるとモッタイナイということに気づき止めてしまった。その後、自分でiPodに曲を入れBGMとして利用するのだが、そうなると当然、自分好みの選曲ばかり。CDの棚から好きなアーティストを引っ張り出してきては何百曲もジャズを入れ続けた。よーしこれで好きな曲ばかり聴きながら、気分よく仕事が出来るぞ。と思ったのだが、これがイケなかった。というのは、仕事中とはいえ趣味である大好きなジャズ、特にマイルスやウィントン・ケリーがかかる訳で、目と手は仕事をしていても耳はBGMに集中するという事態に陥ってしまう。これではイカンということで、どうでもイイ軽音楽で耳障りの悪くないものをというコンセプトで曲を総入れ替え。結果、BGMに気を取られることはなくなった。

 大きく分けると積極的に聴く音楽と、環境に聴かされる音楽がある。タバコを吸っていた時期、自分の煙は気にならないが他人が吐き出すのは煙たく感じていたのと同じように、聴きたくない音楽は雑音にしか感じない。そこで、BGMは聴き流す以前に背景のように意識の外に置くようになってきた。というか、歳のせいで耳が遠くなったのかもしれない。これはこれで都合良く、嫌な音楽は聴かなくてもイイし、人の悪口も聞こえてこないので老いてゆくのもイイことに違いない。

 

再会

 最近、ミサワホームのテレビCMに「Together again」という曲が流れている。大好きなカントリー・ナンバーなので、思わず画面に引きつけられてしまう。よく似ているが、オリジナルのエミルー・ハリスではないようだ。エミルーにしては、声の透明感と高音部の伸びが足りないように思う。調べると、Sayulee(サユリー)という日本人の唄らしい。いずれにしても、カントリーの曲が世に知らしめられるのは大歓迎。

 ただ、このCMには違和感を感じる。幸せそうな家族の一家団欒の映像に名曲「Together again」は合わないと思う。もともとこの曲は、昔の恋人と再会して再び一緒に暮らし始めるという内容。「♪また、あなたと一緒になれたわ。もう涙は流さない。長く寂しい夜が、やっと終わったのよ。私の心のカギは、あなたの手の中」というもの。それとも、このCMは離ればなれになっていた「家族の再会」がコンセプトなのだろうか。

 「再会」と云えば、すぐに浮かぶのは「♪逢ーえーなーくなって、初ーめてー知ったー」の松尾和子。監獄に入ったオトコとの再会を指折り数えて待ちわびる女心を唄ったもの。内容は切ないが、それでもいつかは再会を果たせるのだからハッピーエンドの物語。悲しいのは、竹内まりやの「駅」。二年ぶりに黄昏の駅で見かけた元カレ。声をかけることも出来ず、隣の車輌に乗って気づかぬ彼を見つめる。ラッシュの人波にのまれ消えゆく後ろ姿に哀愁を感じながら見送ってしまう。まるで、映画のワンシーンのような「再会」が目に浮かぶ。

 世の中には、いろんな再会がある。シャンソン歌手金子由香利の「再会」は、とても積極的で魅力的。ニコレッタの「Je n'pourrai jamais t'oublier」という曲を矢田部道一の訳詞で唄っている。街で偶然再会した妻同伴の元カレに声をかけるという積極さ。どんなオトコでも一つや二つくらい脛に傷があると思うが、こんな出逢いってどうよ?別れた女は、久しぶりに逢うとイイ女に見えてくるから不思議なもので、その場で未練たらしく携帯番号をゲットするなんてのはオトコとしての評価が分かれるところ。世に受け入れられる名曲の数々では、未練を断ち切って想い出に生きるのがカッコイイとされている。再会してもリセットやリスタートなど、期待してはいけない。再会は再開にあらず。ん?このダジャレ、最下位だな。

金子由香利 / 再会

ゆったりと歩んでいるような人生にも、激しく恋に身をこがした日々があった。その日々を想い出させる再会だが、二人は再びスマートに別れていく。

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