昨日と違う自分

 人間の細胞は、全部で約60兆個あるという。細胞は常に新しいものと入れ替わり、部位によって異なるが肌の細胞は28日、胃腸の細胞は5日周期で再生する。周期の長い筋肉・肝臓・骨でさえ約2~3ヶ月で入れ替わるので、新陳代謝が正常であれば人間の身体は3ヶ月くらいで新しく生まれ変わる。

 しかし、脳細胞・心筋細胞は入れ替わることなく、死ぬまでずっと同じ細胞を使い続ける。このため子供の頃の記憶は、記録された細胞にいつまでも蓄積されている。一般に脳は全体の3%程度しか使われていないというが、これがいわゆる顕在意識、残りの97%は潜在意識である。潜在意識には過去のデーターが全て記憶されていて、これに基づいて人は考えたり行動することができる。別の言い方をすると、97%の潜在意識(経験)から導き出された答えが行動や思考(顕在意識)である。

 ということは、潜在意識を変えると顕在意識も変わる。つまり、成りたい自分を目指して意識し続ければ、必ず理想の自分になれる。いわゆる自己啓発。「人は、日々新しい自分へ生まれ変わっている」

 私のストライクゾーンは、結構広い。マトを絞るとなかなか当たらないが、タマを選ばなければ、たまにホームランも打てる。年齢であれ容姿であれ、あまり気にし過ぎると犬が歩いても棒に当たらない。そんな生き方をしているとオイシイ想いを経験することもあるが、なかでも「熟れてるモノ」が、やはり一番オイシイ。

 ベランダのミニトマトが最近の暑い日差しの中で色づいてきたが、収穫時期が問題だ。色づいてすぐだと青臭くスッパイ。これが好みというロリコンみたいな奴もいるかもしれないが、やはり熟れたモノにはカナワナイ。しかし、待ちすぎても実が割れてしまう。この摘み具合を判断するのに過去の経験が役に立っている。

 

私は詩人

 自分の名前を [google] で検索してみる。なんと60件も引っかかった。よくよく見ると同姓同名の人もいるが、それぞれに頑張っている人たちだ。本を出版している有名な薬剤師さんだったり、国体のバスケットボールの選手だったり。私の場合、所属している団体の名簿に名前が記されていたり、どこかで発言したことが記されていることが多い。

 ネットの世界だとしても、公に自分の名前が誰からでも見えてしまうというのは面映ゆい気持ちになる。有名人になった気分とはいわないが、今の世の中、世間から隠れて生きるということはできないようだ。よく、有名人にはプライバシーがないといわれる。離婚会見であったり結婚会見であったり、「なんでアンナことがテレビに流れるんだよ」という想いで眺めているが、マスコミにかかると個人のプライバシーは無きに等しい。

 土をいじりながら、田舎で静かに暮らしたいと思っている。社会から隔離されて生きていたいと願っても人は、必ず誰かと関係を持たなければ生きてはいけない。昔、吉田拓郎の唄にあったが「自由になるって寂しいんだ」という意味が少しづつわかってきたような気がする。ときにはJAZZも聴くしcountryも聴く。でも、歌詞がシミジミと沁みてくるのは、やはり拓郎だ。

「どうしてこんなに悲しいんだろう」作詞・作曲 吉田拓郎

 悲しいだろう みんな同じさ 同じ夜をむかえてる
 風の中を一人歩けば 枯葉が肩でささやくよ

 どうしてだろう このむなしさは 誰かに逢えばしずまるかい
 こうして空を見あげていると 生きてることさえむなしいよ

 これが自由というものかしら 自由になると淋しいのかい
 やっと一人になれたからって 涙が出たんじゃ困るのさ

 やっぱり僕は人にもまれて 皆の中で生きるのさ
 人の心は暖かいのさ 明日はもう一度ふれたいな

 一人ごとです気にとめないで ときにはこんなに思うけ
 明日になると いつもの様に 心を閉ざしている僕さ

 山荘から刈ってきたバラを玄関に飾った。花を飾ると心が豊かになる。私の心のどの部分を刺激するのだろう。自分がスジを通して一生懸命になればなるほど、相手の不手際が目についてくる。素直に受け入れてくれる大きな心を求めているのだが、世の中そんなに甘くはないようだ。だとしたら、一生懸命になることをヤメればイイのにと思うのだが、それほど器用にはなれない。自分のことだが本当に困ったもんだ。そんなとき、私は「詩人」になる。

 なんか、言ってることが支離滅裂だなあ。やっぱり詩人だあ。

高血糖は気候のせい

 北海道のほぼ中央に位置する私の田舎は「大陸性気候」のため、朝昼晩の寒暖の差が激しい。日中と夜の気温差が大きいため、作物の糖度が上がる。昼間ジリジリ照りつける太陽と夜の冷えて澄んだ空気。この「寒暖の差」で、果物は夜、呼吸をとめ糖度をグッと貯える。

 朝晩は涼しく昼間は暑い。この気候が人間にも影響しないわけはない。毎日毎日暖められて冷やされて、私の体内でも糖度が上がり、最近血糖値が高くなったようだ。そうかこれは、食べ過ぎとか呑みすぎとかの問題ではなく気候のせいだったのか。

 なーんだ、そうなのか。カロリー制限なんて気にしなくてよかったんだあ。と言いつつ今日も過食する。こりゃダメだわ...。

息子の言うこと

 スポーツ選手には、晴れ晴れとしたイイ顔をしている人が多い。特にプロの場合はナオサラだ。ひとつのことに打ち込む一生懸命さが表情に現れるのかもしれない。それも、ただイイ顔というよりイケメンだ。先日、テレビでサッカーの試合を見ていた。私の偏見だが、どうもサッカー選手には他のスポーツに比べてイケメンが少ないように思える。その気持ちを素直に口に出したら、息子が応えた。「ヘディングのせいじゃないか」。そうか、それで顔が崩れてしまったのかと妙に納得してしまった。サッカー選手の皆さん、ゴメンナサイ。

 これまたテレビで「婚活」が話題になっていた。結婚できない男女の元凶は「コンビニの存在だ」と息子が言う。中途半端に生活が便利になり一人暮しでも食生活に困らなくなったことが原因だと言いたいらしい。なるほど「コンビニ」がなかったら、食事にかける時間は大幅に増えるだろうし、一人分を作るより二人分作る方が経済的だし効率がイイ。便利な世の中が社会の歪みを生むということも一理ある。

 たまたま昨夜、会議が長引き夕食をとれなかった私は帰り道、ドライブスルーで「クォーターパウンドチーズバーガー」という、とてつもなくデカイ、バーガーのセットを食べながら走ってきた。そのセットに付いてきたバッジを息子に「ヤルヨ」と言うと、世の中のメタボの原因は「マック」にあると言う。子供の頃に覚えた味がその人の味覚を形成するので、オフクロの味よりもハンバーガーが美味しいと思いながら育った世代は、一生カロリーの高いモノでなければ満足できなくなってしまうらしい。子供にマックを好きにさせるというのは日本マクドナルド創始者の藤田さんの戦略。私が食べたセットは、なんと軽く1000キロカロリーを超えているらしい。メタボの私には禁忌だ。もう2度とマックは食べれない。別に好きな訳じゃないからイイのだが。

 こんなふうに、ときどき納得させる話をする息子だが、仕事の話になるとお互いツッパッテしまうこともある。世代のギャップは埋められない。だから私は、ほとんど仕事をしない。と、働かない理由にしている。楽だぞお・・・

歳をとるのは寂しい

 今日の昼食時、なにげにテレビを見ていたら各年代によって聴こえる音の周波数が違うという内容の番組をやっていた。いわゆる歳をとると耳が悪くなってくるというやつだ。50代までの人なら聴こえるはずという音が流れたが、まったく聴こえない。40代・30代・20代とそれぞれに聴こえるべき音を流すのだが、50代の可聴域が聴こえないのだから、その他すべて聴こえるわけがない。傍にいた30代の息子には聴こえるらしい。今まで自覚したことが無かったが、これが現実と知って少しショックを覚えた。

 もともと個人差はあるが、ヒトは通常20Hz~15,000Hzないしは20,000Hz程度を音として感じる。この周波数を超えたものが超音波であり、下の限界付近が低周波音。20代前後をピークにして可聴帯域が低下し、ゆくゆくは老人性難聴になるらしい。

 一昔前、オーディオに凝っていた時期がある。20Hz~20,000Hzまで聴こえる装置だとか、実際には聴こえない高域の音を出すことで音楽の雰囲気を醸しだすとか、少しでもイイ音で聴きたいと欲望は膨らむばかり。上のまたその上を目指していた。オーディオ装置は上を見るとキリがない。ハイエンドを追求すると何千万もかかってしまう。もちろん、そんなもの買えるわけもなく自分なりに妥協した結果、現在のシステムで音楽を楽しんでいる。それでも普及品とは比べものにならない値札の物を大枚払って手に入れた。

 結局、この歳になって耳が悪くなったのだから、いくら高域が出るとはいえ無用の長物になってしまった。でもなあ、長年連れ添った愛機だからなあ、ホコリがたまってガリが出るけど死ぬまで私と一緒だ。

 

 イイぞおー!マッキントッシュのアンプにアルテックのスピーカー。中域が厚くてJAZZを聴くには最高だあ!と言ってはみても、もともと私に聴こえる可聴帯域は中域しか無いんだもんね。やはり、歳をとるって寂しいなあ・・・

 「冷たい話」と「熱い話」を2題・・・

 朝、寝ぼけマナコでトイレへ行き、フタを持ち上げパジャマを下ろし後ろ向きに腰掛けた途端、「奈落の底まで落ちていく感覚」と同時に「冷たく固い便器の感触」が、お尻に触れ「ウオーッ」と叫び飛び上がる。いっぺんに目が覚める。寝ぼけてフタと一緒に便座まで持ち上げていたようだ。

 タバコを吸っていると、何故か唇にフィルターがクッツイテしまうことがある。それに気づかず、指で挟んでタバコを外そうとするとタバコはそのまま、指だけが前にスベリ、火先に触れ「アッチー」と叫ぶ。

 ありませんかねぇ、こんなこと。(ナイか、フツウは・・・)
 
 これをヒヤリ・ハットとは言わないかもしれないが、ヒヤリとしたり、ハッとすることは日常でも結構ある。ハインリッヒの法則によると「1件の重大災害が発生する背景に、29件の軽傷事故と300件のヒヤリハットがある」そうだ。クルマの運転もさることながら、どんな業種にもついて回る。特に医療界でのヒヤリハットは深刻だ。日頃から充分に対策を練らないと、いつか重大事故に発展してしまう。

 事故や災害は複数の要因が重なって起こるが、ヒヤリハットの原因は注意力が落ちることによるらしい。とすれば「気を抜かず手を抜かず」を常に心がけることが大事。と、わかっているのだが・・・

 「300回に1回の重大事故」ということは、寝ぼけて300回便座を上げてしまうと、そのうち便器に尻がハマッテ抜けなくなるのかしら。

 「牛にコーヒーを飲ませると、コーヒー牛乳が出てくるんだ。イチゴを食べさせると苺ミルクが出てくる。じゃあ、フルーツ牛乳は?」と、幼かったウチのガキ供に謎カケしたら「フルーツを食べさせる」と答える。「アホ、そんなことあるわけないじゃん」と切り返し、家内からヒンシュクを買った。

 「夏に一生懸命働き過ぎたので、冬になる前にアリは過労で死んでしまいました。アリが残した食べ物でキリギリスは楽しく冬を過ごしましたとさ」と、アリとキリギリスを結んだら、家内に怒られた。

 世の中の厳しさを戒めようという本意もなく、ただのジョークなのだが、やはり子供には言っちゃイカンよなあ。そんな子供達が小さかった時期、私はJCだ歯科医師会だゴルフだと、ほとんど子育てに参加しなかったような気がする。あげくの果てに「ウチのお父さんは、青年会議所に勤めてるんだ」と、息子がヨソで言う始末。当時「家庭の平和と安全」もかえりみず「世界の平和と安全」を声高に謳っていた本末転倒な私である。

 なにかしら社会に貢献していると自負していた私が「子供は父親の背中を見て育つもんだ」と声を大にして言うと、「いつも留守なのに、いつ背中を見るのよ。背中を見る時間もないじゃない」と、もっと大きな声で激しく応酬される。そうだよな、一理ある。と思いながらもイソイソと出掛けていた。結果、イイカゲンな性格の私が子育てに参加しなかったせいで、子供達はスクスクと素直に育ってくれた。

 世の中には、放任主義という言葉がある。ネグレクトじゃなく過保護にも過干渉にもならず子供の自主性を育てるのが理想だと思うが、教育に素人の私にはナニが本当かわからない。でも、親として一つだけ自慢できることがある。33・31・28才になる3人の息子達には、今だに虫歯が1本もない。特に気を遣ったということはないが、小さい頃からフッ素洗口だけはさせていた。ただそれだけのこと。虫歯予防を叫ぶ歯科医の息子に虫歯ができたらシャレにならない。

 ウチの子供に出来たことをヨソの子供達にも広めたい。虫歯のない子を一人でも多く増やしたい。という願いを込めて、8020推進条例成立後は全道的にフッ素洗口が普及するよう努力してゆきたい。

 知人にコンナ奴がいる。

 結婚するなら「メチャクチャ美しい人」で例えば、喧嘩したあとチラッと目を合わせると「あまりにも美しすぎて、すぐに許せちゃう人」。あるいは「スッゲェー可愛い人」で喧嘩のあと一言ふた言、言葉をかわすと「あまりにも可愛くて、すぐに許せちゃう人」と一緒になるんだと心に決めていた。ところが、世の中そんなにアマくない。結婚してまもなく、喧嘩のあと顔を見ると「よけい腹が立ってくる」。口をきくと「よけいムカついてくる」。こうして最初の夢はヤブれた。

 学生時代、「パパと呼ばないで」という番組のファンだった彼は、女房が早死にし残された娘と二人で健気に生きていくという運命を夢みた。しかし、最初に生まれたのは娘ではなく男の子。これでは女房に早死にされては困るので夢を修正。「長男は将来、医者か歯医者。2番目は男の子で弁護士か建築家。3番目は娘。嫁にやらず、ずうっと傍におき趣味を生かして暮らさせる。4番目は息子でプロのスポーツ選手」なーんてことを夢みた。最初と2番目は予定通り男の子、ところが3番目は娘ではなく男の子が生まれ、またまた夢ヤブれてしまった。

 このあたりから人生思うようにいかず夢叶わぬことに気づいた彼は、以来「身勝手な夢」みることをあきらめた。つもりでいたらしいが、やはり今だにクダラない夢をみ続けている。どんなにクダらなくても、ないよりマシ。人生おおいに夢みていたいもの。

 ちなみに、あくまで知人の話であって決して私のことではないですからあ。

詩人になるとき

 人は景色によって、心洗われたり慰められることがある。ふとした瞬間、心をとらえた景色をデジカメに記録するが、その場で感じる言い得ぬ想いを伝えることはできない。きっと、その時の心の有り様が景色に何らかの意味を持たせているのだろう。そんな景色に出逢うと詩人の気持ちがわかるような気がする。

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