仕事に遊びに忙しかった約40年ほど前、帰宅後、深夜に黙々と木を削り自分を解放し自分だけの世界に浸る大事な時間。そうして出来上がったのが初代コリントゲーム。参考にすべきものもなく思いつくままに試行錯誤の結果のデザインだったが、今見直しても我ながらよく出来ていると自負している。今でも活躍している。

木製コリントゲーム自作

 その後、テトリスやバックギャモンを製作し、しばらくご無沙汰していたが、この10年、孫のためと称して何かと木工に勤しんでいる。現在ではインターネットが普及したので情報には事欠かず、コリントゲームの歴史や多くのデザインに触れる機会が多い。これまでいろいろな木のオモチャを作ってきたが、自分の場合、やはり惹かれるのはコリントゲーム。ネットで拾った情報をもとに自分なりにアレンジして楽しんでいる。

木製コリントゲーム自作

 ブライワックスで塗装したのでレトロな雰囲気を醸し出している。上の櫛型通路を通して得点穴を狙う。球が入っても下に落ちず留まったまま。ゲームが終わりレバーを引くと一斉に球が落ち手元に戻ってくる。いわゆるスマートボールのような仕掛け。ガコンッと音がして球が落ちて戻るのが楽しくて、球を弾かず最初から球を入れて落として遊んでいる。

 isuakiraさん考案のコリントゲームを参考にアレンジ。カラフルに仕上げてみた。

木製コリントゲーム自作

木製コリントゲーム自作

 真ん中の円盤はボールベアリングで固定されているので自由にクルクル回すことが出来る。打ち出された球の落ちる軌道を円盤を回すことでコントロールし高得点を目指す。円盤についている赤い取っ手を動かしコントロールする。自分の意思で自由に動かせるので真ん中の10点に落とすのは簡単そうに見えるが最後の最後に少しズレて隣の0点に転がり落ちる悲劇も。10点と0点の差は天と地ほどに大きい。1点1円なら10円と0円だが、1点100円なら1,000円と0円、1点1億円ならと考えると手が震えて「Oops!」感で盛り上がる。球は指で弾くのではなく、スプリングで打ち出す機構。ゲーム終了後、球が溜まったバーを持ち上げるとスタンバイエリアに落ちる仕組み。

木製コリントゲーム自作

 盤面の裏側から見たところ。折りたたみのスタンドと回転装置の一部が見える。

 今、最もハマっている最新作がこれ。球の動きがスリリングで興奮する。

木製コリントゲーム自作

木製コリントゲーム自作

木製コリントゲーム自作

 盤面右下から打ち出された球は、トップまで登り左側面を駆け下り最下点に達すると、そのまま右側面カーブに沿って登り上部左側面カーブに飛び移りトップに達して落ちてくる。どこまで登りきるかの力加減が難しく、ゲーム性が高い。何処にも入らず最下点に達した球は、穴に落ち引き出しに収納される。

 このシナリオ通り球が動くには、ある程度緻密な設計が必要で試行錯誤の結果下記のような図面になった。とはいえ自分にしか読めないよなあ。

木製コリントゲーム自作

 まだまだ、満足な出来ではなく微妙に図面を変えて2台目3台目の製作にかかっている。この歳になると先が見えず、あと何台作ることができるのか、これが最後の作品(遺作)という思いで作っている。40年前は忙しさから自分を解放するために自分の世界に浸っていたが、今は、ただ傑作を作りたいという思いのみで自分の世界に浸っている。忙しくもなく、限りはあるが時間もある。知恵を絞って何かを創造できるのは幸せなことだと感じながら、楽しい時間を過ごしている。「遺作は木を切るヘイヘホー♪」と口ずさみながら...

数学界からの挑戦状

ビバリー1000マイクロピース「ジグソマニア」
1000マイクロピース ジグソーパズル ジグソマニア

ビバリー1000マイクロピース「眠くなるパズル」
1000マイクロピース ジグソーパズル 眠くなるパズル

 「眠くなるパズル」の完成まで約4週間。上級者の挑戦さえ危険!の言葉通り難解なパズル。同系色の色違いを探すことになり非常に目が疲れる。また、ずっと同じ姿勢で座っているので背中が凝ってくる。このパズルを完成させるにはマッサージチェアが必需品。

 次に挑戦するのが「しまうま」。羊より白黒はっきりしているので難易度は低めだが、果たしてどれくらいで完成するのだろうか。

 難解そうなパズルを探していると、結構あるもので次の次、その次に挑戦するものまで手に入れてしまった。「南極からの挑戦状」「数学界からの挑戦状」。しばらく楽しめそう。

ビバリー1000マイクロピース「しまうま」
1000マイクロピース ジグソーパズル しまうま

 「南極からの挑戦状」は、羊同様にフワフワの毛に被われたペンギンたち。「数学者からの挑戦状」は、円周率小数点以下1万桁が羅列されている。どちらも「強いハートの持ち主のみが挑むことを許され、熟練者すら苦戦する難易度の高さ」との注意書きがある。熟練者ではあるがチキンハートの私が挑んでもイイのかしらと箱を開けたら、この2点どちらも裏に模様や印がない。羊やシマウマは裏に4種類の模様があって4分割ごとに組み上げられるので、それぞれ250ピースづつ完成させ最後に合体させれば良かったのだが、まったくの手探りで1053ピースを一気に組み上げなければならない。それ以上に厄介なのは、箱に印刷されている完成図。左下が封筒のイラストに隠れていて、その下にどのような絵柄があるのかわからない。当然、箱の中にも別紙の完成図もなし。これは相当難易度高そうだ。

エポック1053スーパースモールピース「南極からの挑戦状」
1053スーパースモールピース ジグソーパズル 南極からの挑戦状

エポック1053スーパースモールピース「数学界からの挑戦状」
1053スーパースモールピース ジグソーパズル 数学界からの挑戦状

1053スーパースモールピース ジグソーパズル 数学界からの挑戦

 冬の間は、山荘通いもお預け。いくら四駆とはいえ、雪が深く乗り入れることもできない。今シーズン初めは大雪のため自宅周りの雪かきに忙しい思いをしたが、後半は雪が少なく楽をさせてもらった。そうなると午前中のみ勤め人の我が身としては、暇な午後を持て余すことに。

 amazon prime やNetflix の映画三昧にも飽いて、最近はジグソーパズルにハマっている。その昔、大きなイベントをヤリ遂げたあと完遂症候群に陥り何もやる気がおきなくなる度、無性にジグソーパズルと向き合っていた。そんな自分が何も成し遂げていない今、パズルに夢中になっているのは、ひょっとすると人生の完遂症候群なのだろうか。いやいやいや、ただ暇なだけだと思いたい。

 簡単なパズルはすぐに完成してしまう。とにかく時間をかけて楽しみたいので、出来るだけ難しいものに挑戦する。同じジグソーでもマイクロピースという一辺が約1cmの小さなもの。普通のピースは約2cmなので大きさは約4分の1。1000ピースでも完成後は26cm×38cmの大きさにしかならず、組み立て中も場所を取らず邪魔にならない。初めに挑戦したのがジグソマニア。「初心者の挑戦は危険です。絶対に手を出さないで下さい!」と注意書きにある。

1000マイクロピース ジグソーパズル ジグソマニア

1000マイクロピース ジグソーパズル ジグソマニア

 複雑な模様だが裏面に4種類のマークがあり、これを分類することで4分割づつ組み立てることができる。

1000マイクロピース ジグソーパズル ジグソマニア

 10日ほどかけて完成するも「言うほど難易度高くないなあ」というのが実感。そこで次なる挑戦。無地のパズルもあるがカタチを合わせるだけでは知恵の輪のようでツマラナイ。いろいろ探した中で見つけたのが「眠くなるパズル」。羊が1匹、羊が2匹・・・というやつ。確かに画面いっぱいに羊たちがタムロしているが、色の変化が少なく柄がハッキリしていないため全体がモヤっとしている。これは難しそうだ。箱の注意書きには「このジグソーパズルは組み上げる事が極めて難しい難易度の高いパズルです。上級者の挑戦さえ危険です。」とまで書いてある。そこまで言われて尻込みするようでは上級ジグソーパズラーの名がすたるというもの。

1000マイクロピース ジグソーパズル 眠くなるパズル

1000マイクロピース ジグソーパズル 眠くなるパズル

 さすがに「初心者は、絶対に手を出すな!」の上をいく「上級者の挑戦さえ危険だ」の名の通り難しい。始めてから1週間も経つのに4分の1さえ完成していない。「ひつじが一匹、ひつじが二匹...zzz 眠気に耐えてパズルを組み上げることが出来るか?」というキャッチフレーズだが、夢の中にまで出てきて眠るどころかウナされる始末。

 「眠くなるパズル」とは名ばかり、絶対に寝不足になるパズルと言っていい。

1000マイクロピース ジグソーパズル 眠くなるパズル

1000マイクロピース ジグソーパズル 眠くなるパズル

ゴム銃の的・ゾンビ型

 相変わらず作業場にこもって木工に勤しんでいる。最近は、孫のオモチャの延長で「ゴム銃の的」作りにはまっている。輪ゴムを飛ばすゴム鉄砲の的である。イメージはテレビゲーム「The Crossing Dead」の敵役クロッシー・ゾンビーズ。これをお祭りの射的のように当てて倒す。

 最初はゾンビ型だけだったが、アレンジでロボット型やネコ型も。ラワンベニヤの断面を組み合わせると面白いデザインになる。安定し過ぎると倒れないし不安定では的の役をなさない。そういう意味ではネコ型はなかなか倒れず、的としての難易度は高い。

ゴム銃の的

 とにかく作っていることが楽しい。寸法を計算してベニヤをカット、ボンドで接着・研磨・塗装。この単純作業に没頭していると頭の中が空っぽになり世事から解放される。作業中のBGMは、20年ほど前のラジオ番組「CLUB ZENA」。2時間番組の録音が3年半分もあるので改めて聞き直しているが、今ではすっかりゼナさんのファン。一人黙々と手を動かしながらラジオでJazzを聴き、自分の世界に浸り至福の時を過ごしている。

 もちろん作品が出来上がるのは楽しいけれど、このような時間を過ごすこと自体が本来の楽しみであるので必要もないのにどんどん作品の数だけが増え続けている。

ゴム銃の的

ゴム銃の的

 本末転倒だが、オンラインショップを作って販売することにした。これで至福の時を過ごすための名分は与えられたが、こんな目立たないブログに客が来ることはないと思う。






 あれは現実だったのか、幻だったのかと疑うほど遠い昔の想い出。50年以上も前の学生の頃。東京か名古屋か京都か場所は定かでないが、一人で入った街の小さな中華料理店。入り口を入ってすぐ左手の席。道路に面して窓があり、食堂というより喫茶店のような雰囲気の店だった。メニューの定食欄に「春巻き」という人生初の食べ物を見つけ注文。ひょっとしたら、お店の人に「どんな料理?」なのか尋ねたのかもしれない。季節は春だったような気もするが、たぶん「春を巻いた食べ物」というロマンチックなネーミングに惹かれたのだと思う。皿に並んだ鮮やかな黄色の春巻きは「まさに春のイメージ」を実感させるに充分なものだった。

 この歳になるまで、いわゆる「春巻き」は何度も食べているが、小麦粉の皮に包んで揚げた茶色のものばかり。パリパリサクサクの食感は、まるで落ち葉を踏んで歩いているようで味気なく、どちらかといえば、春より「秋巻き」のイメージ。もっとも、春に芽吹く野菜を巻いて頂くのが春巻きの由来とされているのだから別に皮がどうであろうと「ほっといてくれ」といわれそうだが。

 50年前に、ふと立ち寄った街の小さな中華屋さん。中華風の具を「ふくさずし」のような薄焼き玉子で巻いた山吹色の「春巻き」という料理。生まれて初めて食べたという記憶だけが残り、あれ以来一度も同じ料理に出会っていない。だから、あの出来事が幻のように思えてしまう。

 最近、そんなことを想いだしネットで調べてみた。関西には、薄焼き玉子で包んで揚げる春巻きがあるらしい。自分の記憶では揚げてなかったような気もするが、あまりにも遠い昔の想い出。記憶違いなのだろうか。揚げずに包んだだけなら中華オムレツであって、春巻きとは呼ばないのだろうし。いや、生春巻きというのもあるのだから「生の玉子春巻き」があってもおかしくはないはずで、あの鮮やかな黄色は、どう考えても揚げてない生の玉子春巻きだったに違いない。あー、もう一度喰ってみてぇー。

 ふと、昔の出来事を鮮明に想い出すことがある。老いの症状の一つなのだろうか。タイムスリップで楽しい想い出に触れることができるのなら老いることも満更ではないが、行ったきりにならぬよう気をつけなければ。

大根の干し方を見れば

 毎年恒例の大根干し、今年は40本。1本の紐で二つの輪っかを作り、重ねて二重にしたところに大根を通して絞る。これを繰り返し下から編んでゆく。昔は2本の縄を平行に垂らしスダレ干しにしていたが、最近は手を抜いている。子供の頃、どこの家でも大根はスダレ干し。まさに秋の風物詩だった。たぶん、軒先に吊るすと外から丸見えなのでキレイに干していなければ、だらしない家だと思われる風潮だったのかも。そういう意味では外から見えないとはいえ、ベランダに乱雑に吊るされた大根を見るかぎり私はかなりダラシないようだ。自分でも、そう思うのだから間違いない。

大根干し

薪を積んで冬を迎える

薪棚 薪棚

二重煙突 二重煙突

薪ストーブ

 急に涼しくなってきた。日中は暖かだが夜は寒い。最低気温が6℃台の日もあり、9月下旬から10月上旬並みの気候らしい。今週に入り、すでに3回もストーブを焚いた。夜6時頃、火をつけると寝るまで暖かい。というか暑すぎるので、家中の部屋のドアを開けっ放しにする。本格的にストーブを焚くのは、もう少し先になるが、はたしてストックしている薪で足りるのだろうか。昨シーズンの終わりに燃焼効率のいいストーブに取り替えたので、薪の消費量が減るといいのだが。

 長い間、WOWOWに加入していた。加入当時は「アナログWOWOW」、デコーダーという機器を接続してBS-5chに合わせる。目的は映画やライブ。毎月届く雑誌の番組表から、これはと思うものをベータマックスに録画予約。いつの頃からかWOWOWもデジタル放送になったらしく、新聞のテレビ欄に「WOWOW・WOWOW2・WOWOW3」と3つの番組表が掲載されるようになった。我が家で視聴可能なのは「WOWOW」のみ。オーディオルームのブラウン管テレビはWOWOWデコーダーとビデオデッキ専用、VHF/UHFやBSのアンテナと繋がっていないのだからしょうがない。

 そうこうしている内に茶の間のテレビが壊れ、買い換えたタイミングで「WOWOWデジタル」に乗換えた。しばらくしてテレビを視る暇もないほど忙しく、家を留守にすることが多くなり、結局、観もしないWOWOWは解約することに。結果、一方的に流される番組を選んで観るより、観たい映画をレンタルで借りてくるほうが性に合っているということに気づいた。

 セミリタイアして時間に余裕ができ、今はamazonプライムとNETFLIXでアクション映画やサスペンスにハマっている。amazonの場合、以前観たことがあると「続きをみる」か「もう一度みる」と表示されるが、NETFLIXにはない。観はじめて途中で「あれ?これ、前に観た」と気づくのだが、観たという記憶だけで内容はほとんど覚えていない。だから、結局ハラハラしながらラストまで楽しむことができる。歳のせいなのか人間の忘れることができる能力のせいなのか、同じ映画を何度も楽しんでいる。

 人の記憶が次第に薄れてゆくのは、より幸福でいられるためだと思う。悲しいことやツライことを経験しても、時の流れとともに忘れ去り流されてゆく。いつまでもツライ想いを持ち続けていると、積もり重なり押し潰されてしまうのだろう。本来、人間は忘れる生き物なのだとか。しかも歳をとると、ちょっとだけ忘れるスピードが早くなる。そのうち映画のストーリーだけじゃなく、ご飯を食べたことまで忘れてしまうのかしら。それはそれで幸せな自分の時間を生きてる証なのかも。

 昔ながらの水銀体温計、最低でも5分は脇に挟んでジーッとしているのはツライ。電子体温計の場合、ほぼ1分。しかも計測が終わると、ピピッという音で知らせてくれるスグレモノ。

 昨年11月に10日間ほど入院したが、その電子体温計のピピッとなる音が聞こえないことに気づいた。看護師さんに渡された体温計を脇に挟んでいると「はい、鳴りました」と言われるが、自分ではまったく気づかない。朝の検温を自分で記録しようと脇に挟むが、いつまで経ってもピピッといわず壊れてんじゃないのと思うがちゃんと計れている。

聴力検査 テレビの音量が以前より大きくなっているのはわかっていたが、まさか聞こえない音があるなんて思いもしなかった。退院後、体温計を使うこともなく不自由なく過ごしていたが、なんと「ためしてガッテン」で「難聴が認知症の原因」という番組を視てしまった。

 内耳にある蝸牛という器官に音の振動を感じる「有毛細胞」という毛が並んでいるらしい。この細胞は音を電気信号に変えて脳に伝える働きをするが、年齢と共に毛が減少し高齢になると高い音が聞こえづらくなると。

 まさに、これだあ。原因は、毛だったのかあ。

 じゃあ、どうしようもないじゃん。と開き直っていたが、耳鼻科で耳掃除をしてもらったら聞こえるようになるかもと家内が勧めるので、淡い期待を胸に受診。耳の中はキレイですと。ヘッドフォンをかけて聴力検査。低域に異常なし、中域がやや聞こえづらく高域はかなり聞こえてないという結果。「毛ですか?」と聞くと「毛です」。「対策は?」と聞くと「ありません」。低域が正常なので補聴器を使うと、その部分だけ大きくなって余計聞こえにくくなるらしい。

アルテック 淡い期待を裏切られ、結構ショック。何よりもイイ音で聴きたいと長年連れ添ってきたオーディオ機器。ジャズでシンバルの響きを如何に生音に近づけるか、自然で伸びやかなベースの響き、つばきが飛んでくるようなサックスの音色の臨場感etc.いろいろと無理難題をシステムに求めてきたが、期待に応えてくれても自分が聴こえてないんじゃ意味がない。実に寂しく悲しい。ということは必要ないじゃん。結局、ヤケになってMcIntoshのパワーアンプとコントロールアンプ、Altecのスピーカーを手放すことに。

 手元に残ったのは、レコードとCD、レコードプレーヤー、CDプレーヤー、サブ機のAccuphaseのプリメイン。スピーカーがないので、しばらく音のない生活が続いていたが、今は倉庫となっている1階の旧診療室、待合室、院長室、医局員室それぞれの天井にBGM用スピーカーが埋めてあることに気づいた。

 開業以来30数年間、休診日以外毎日鳴っていたスピーカーだが、移転後8年ほどは全く音出しなし。脚立に登り天井に固定されたナショナルのマークがついたカバーを外すと、薄いバッフルに固定されたスピーカーが出てきた。スピーカー本体はサランネットを兼ねた薄く黒い紙で包まれているため埃をかぶることもなく意外とキレイ。松下製の六半いわゆる16cmのフルレンジ、Hi-eff EAS-16P90SNと書いてある。マグネットが小さいのでオーディオ用というより、壁や天井に埋めて使用する館内放送用のものらしい。

 1階の天井から回収したのは全部で5個。とりあえず音が出りゃイイ訳で一番簡単に平面バッフルに組み込むことに。平面バッフルというのは、穴を開けた板にスピーカーを取り付けただけのもの。板のサイズは大きければ大きいほどよく、いろいろと面倒な計算式があるのだが、いっさい無視。今や木工所と化した技工室にストックしてある端材を加工して自立できるように工作。チャチャチャと半日仕事で完成。

平面バッフルスピーカー自作

 40年前の放送用スピーカー、小ぶりの板の平面バッフル、期待するほうが無理。わかっていても一発めの音出しは常にワクワク。

 ベニー・ゴルソンのスターダストというアルバム。ウーン、ぜーんぜんイイわ。フレディ・ハバードのフューゲルホーンが前に躍り出てくる。たしかにロン・カーターのベースに迫力はないが、なんたって16cm。もともと高域が聴こえにくいせいか、逆に全体としてはバランスが取れている。館内放送用ということでレンジが狭くアナウンスやボーカルの帯域が明瞭に聴こえるよう特化しているのかも。また平面バッフルでボックスがないため、今風のスピーカーのように低音に負荷をかけて強調せず素直で自然な響きが広がる。これはこれでアリ。結構、音楽が楽しめるスピーカー。40年経ってもこの音質を維持できる松下通信工業、恐るべし。

平面バッフルスピーカー自作

 レンガで転倒防止、ターミナルなしのケーブル直付け。洗濯バサミでケーブル固定。

平面バッフルスピーカー自作

 耳のイイ若い人が聴くには物足りないかもしれないが、歳で毛が薄くなった耳にはちょうどイイ。音楽が心地イイ。レコードやCDまで手放さなくてヨカッタなあ。

関連:平面バッフルスピーカー(2)
関連:歳をとるのは寂しい

不便であることも楽しい

薪棚

 夏から秋にかけて整理していた間伐材や倒木。薪にするため乾燥していたが、あまりにも大量なので結局、自宅にも薪ストーブを設置することにした。もともとは、鉄筋コンクリートでセントラルヒーティングの我が家。簡単に煙突を外だしできる仕様ではないため、ベランダへ出るドアを潰し新たな壁を作りメガネ石を埋め煙突を通した。ストーブは部屋のど真ん中に置きたかったので、茶の間と隣の部屋の壁を取っ払い二間続きの大きな部屋に改装。

薪ストーブ 薪ストーブ

 山荘で乾燥しておいた玉切り丸太を運び込み、自宅で薪割り。とてもじゃないがマサカリを振りかぶる気力も体力もなく、電動薪割り機を購入。やはり文明の利器は素晴らしい。5トンの油圧パワーでバリバリ薪を割ってくれる。割る必要のない細い木は、バンドソーでカット。ベランダや玄関や1階の旧待合室やストーブの周り、家中あちこちに薪が積み上げられていく。不思議なもので、薪棚がいっぱいに埋まってくると何故か安心する。

電動薪割り機 バンドソー

 今まで、スイッチひとつで可能だった室温調節。大幅に手間が増え、かなり不便になったが、ストーブの前に座り揺らめく炎を眺めるだけで湧きいづる心の安らぎは、そんな苦労をも補ってあまりある。

薪 薪

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