掃除の行き届いた部屋は、空気が張りつめ清々しい気分に満ちている。基本的に私は「キレイ好き」だが、多少の散らかりなら気にせず過ごしている。ただ、何かのきっかけでヤル気になると徹底して掃除を始める。学生の頃、定期試験前日になると決まって部屋の片付けを始めた。いわゆる大掃除。学生が住む程度の狭い部屋だが、棚から下ろして本のホコリを払い本棚に雑巾をかけ、床から壁から部屋の隅々まで徹底的にキレイにするには、結構な時間がかかる。無心になって片付けている時間が好きなのか、片付け終わった部屋でコタツに入り達成感に浸るのが好きなのか、気がつくといつも真夜中を過ぎていた。それから文字通り「一夜漬け」のまま朝を迎え、徹夜明けで試験を受けた。今にして思うと勉強したくないがために掃除を始めたのか、本当に掃除が好きだったのかわからないが、結果、ピンと張り詰めた清々しい空気の中で集中できたからこそ留年もせず無事卒業できたのだと思う。
結局、無精なのかキレイ好きなのか自分でも判断しかねるが、古い物を捨てられず整理整頓が行き届いてないのは確か。私の部屋は古いレコードやカセットテープをはじめ他人にはガラクタにしか見えない物で溢れているが、どれも自分にとって大切なものばかり。輪をかけて書類関係の保管は不得手である。整理できないまま溜まりすぎた書類は、最終的に古紙回収業者へ回されるものがほとんど。書類をファイリングして表紙をつけて分類なんてことは、全く性に合わない。その点、亡くなった父の几帳面さには今でも頭が下がる。
私の仕事を手伝ってくれていた晩年の父が綴っていた社会保険や労働衛生関係の書類は、今なお整然と保管されている。何よりも私の子供時代の通知箋(通信簿)が、小・中・高・大学と全て保管されているのは、父の手によるもの。小学2年生の2学期にオール5を採ったことを自慢できるのは、父の几帳面さゆえ。
先日、古い本棚で探し物をしていたら、小学2年生と3年生の作文集の綴りを見つけた。2年生で4冊、3年生で7冊の計11冊をガリ版で印刷し綴じて配ってくれた担任の斉藤英樹先生への感謝の気持ちとともに、それを捨てずに表紙をつけて保存してくれていた父の気持ちを思うと言葉に尽くせぬ有り難さを感じる。
その中の一節。「ぼくは 大きくなったら 外こうかんになりたいと思っています。お父さんは 敏幸が外こうかんになったら お父さんより きゅうりょうがもらえるんだよと いいます。ぼくは 早く大きくなって お父さんたちを らくにさせてやりたいと思います。そして 世界の国々を自由に 見て歩きたいと思います。それから まだえらくなって 岸さんみたく そう理大じんになりたいと思います。」
50年以上前、小学3年生の私が書いた作文。読み返すと恥ずかしくもあるが、この時の素直な気持ちだったのだろう。当時の男の子は、将来の夢を語るとき「プロ野球の選手」や「科学者」や「博士」、女の子は「スチュアーデス」や「看護婦」や「学校の先生」などが多かった。今でこそ「プロ野球の選手」であったり「サッカー選手」、「宇宙飛行士」や「お医者さん」や「芸能人」なのだろうが、それほど昔と変わってないように思う。いつの時代も夢多き子供たちは、素直に憧れを語れる存在のようだ。
人生で一番ポジティブな年代は、12才頃だという話をラジオで聴いた。9才当時の可能性は無限だとはいえ、総理大臣になりたいと書いた私の作文を読んでも頷ける。これが中学・高校を卒業する時期を迎えると、自分の資質と現実のギャップに気づき、その時点で「総理大臣」や「プロ野球の選手」になりたいと作文に書けるのは、ごく一部の特殊な能力を持った子だけに限られる。ほとんどの子供たちは、華やかな夢とかけ離れた現実に即した選択肢を目標にする。
未来を担う子供たちには、夢を憧れのままで終わらせず、ぜひ実現してもらいたいと願わずにはいられないが「将来の夢」というテーマで作文を書く機会があれば、「職業」ではなく「生き方」を記してほしいもの。そうすれば、50年後読み返すとき「総理大臣にはなれなかったが、清く正しく美しく?正義を貫いて生きてる自分」に巡り会えるかもしれないじゃん。