人生の秋

人生の秋

 完全防寒対策で山荘へ行く。この時期、雑草の成長は遅く、ほとんど草刈りを必要としないが落ち葉が降り積もり散らかり放題。あまり美しい景色とはいえない。葉の落ちた木々を眺めていると、人生も秋を迎えたようで寂しい気分になる。

 ヤルべき仕事は沢山あるが急ぐわけでなし、ストーブにあたりながら休憩する時間のほうが長い。というか、一度ストーブにあたり始めるとなかなか離れがたくなる。ストーブ脇の自作ベンチに腰掛け、ただボーッとしている。ただそれだけが目的のように座り続け、来し方に思いを馳せる。最近のこと、少し前のこと、昔のこと。いろいろ想いは廻るが、行く末にまでは及ばない。

 こうして過ごす時間は、落ち着いて静かに流れていく。寂しいのかといえば、幸せな気分に満ち足りている。今、自分は人生の秋にいる。

敬老の日

 我が家では、来客があるとララが吠えるのでチャイムが鳴る前にわかる。土曜の午前、ドアを開けると見知らぬ人が立っていた。民生委員だという。今まで縁がなかったせいか、民生委員という人と会うのは初めてのような気がする。用向きを尋ねると「カワハラさんが65歳になったので」「いえ、まだ64ですが」「今年度中に65になりますよね」「まあ、来年の2月には」

Q救ちゃん 要は、市役所の事業らしく65歳を迎える人に「緊急用の連絡カード」を配っているらしい。このカードに必要事項を書き入れ、専用ケースに入れ冷蔵庫の中に保管してくれと云う。冷蔵庫の扉にマグネット付きの「Q救ちゃんシール」を貼っておくと、万一の時、私がしゃべれない状態でも救急車の人が冷蔵庫を開け必要な情報を手に入れることが出来るのだそうだ。確かに便利といえば便利、あって困るものではないが私は独居老人ではないのに。

 今まで自分の年齢を意識したことはなかったが、民生委員の人に老人であると烙印を押されたような気がして「かなりのショック!」

 結局、云われるままに必要事項を書き入れケースにしまい、イン・ザ・レイゾウコ。午後から用事があったのでJRで札幌へ出た。駅からホテルまでタクシーに乗ると、途中で運転手さんが遠慮がちに私に聞く。「失礼ですが、お客さん65歳過ぎてますか?」「はあ?まだ64ですが」「そうですか、残念でした。65歳を過ぎると高齢者割引で10%オフなんですよ」。云われて目の前を見ると助手席のヘッドレストの裏に「高齢者割引」の広告がブラ下がっている。確認するには、免許証や保険証が必要らしい。

 運転手さん曰く「なかなかお客さんに年齢って聞きにくいんですよね、特に女性の場合には」。そうだろうな、50代の人が65過ぎてるか?なんて聞かれるのはイヤだろうし、老けて見えるご婦人の場合、きっと車内は気まずい雰囲気になることもあるんだろうな。私の場合、1個違いの残念賞だったので気まずくなることもなく、会話もはずみ今朝の民生委員の話を聞かせてあげた。「いやあ、年寄り扱いされたみたいでショックだったんだよねぇ」と結ぶと、それから急に運転手さんが「お気を悪くされたのなら申し訳ありません」と気を使い始めてしまった。イヤ、別にそんなつもりで云った訳では。

 明日は「敬老の日」、ナニか今までとは違う意識で過ごす休日になるのかしら。

歳を取るということ

 せっかくの連休だが、各地で大雪の予報。テレビでは高速道路の通行止めを知らせる交通情報が流れている。こんな日は、何処へも出掛けないのが一番。ということで、レコードとCDの整理で一日を過ごす。埃を払いジャンルごとにアーティストをABC順に並べてゆくのだが、結構大変な作業。以前に整理しているので大まかに並んではいるが、1枚1枚確かめながら順に収めてゆく。途中で気になるアルバムを目にすると作業を中断して、聴き惚れてからの作業再開。結果、遅々として進まないが別に急いでる訳でもなく、部屋中に散らかったレコードやCDに囲まれて幸せな時間を過ごした。

 レストランや病院など人が出入りするところではBGMが流れている。バックグラウンド・ミュージックの名の通り、雰囲気を壊さぬよう静かな音量に設定されていて、最近ではジャズが流れる居酒屋さんにも違和感を感じなくなった。私の職場にもBGMが流れている。その昔、有線放送で440チャンネルのプログラム選び放題という契約をしていた。最初は、面白くあちこちチャンネル回していたが、結局、常に聴くチャンネルは固定されるようになり、コストを考えるとモッタイナイということに気づき止めてしまった。その後、自分でiPodに曲を入れBGMとして利用するのだが、そうなると当然、自分好みの選曲ばかり。CDの棚から好きなアーティストを引っ張り出してきては何百曲もジャズを入れ続けた。よーしこれで好きな曲ばかり聴きながら、気分よく仕事が出来るぞ。と思ったのだが、これがイケなかった。というのは、仕事中とはいえ趣味である大好きなジャズ、特にマイルスやウィントン・ケリーがかかる訳で、目と手は仕事をしていても耳はBGMに集中するという事態に陥ってしまう。これではイカンということで、どうでもイイ軽音楽で耳障りの悪くないものをというコンセプトで曲を総入れ替え。結果、BGMに気を取られることはなくなった。

 大きく分けると積極的に聴く音楽と、環境に聴かされる音楽がある。タバコを吸っていた時期、自分の煙は気にならないが他人が吐き出すのは煙たく感じていたのと同じように、聴きたくない音楽は雑音にしか感じない。そこで、BGMは聴き流す以前に背景のように意識の外に置くようになってきた。というか、歳のせいで耳が遠くなったのかもしれない。これはこれで都合良く、嫌な音楽は聴かなくてもイイし、人の悪口も聞こえてこないので老いてゆくのもイイことに違いない。

 

防風チノ  秋が深まり、最高気温が20度を下回ると肌寒くなる。ユニクロやドッカーズの綿パンを愛用してるが、冬物に衣替えしようと裏地が起毛の暖かい綿パンを出してみた。

 お腹がキツクて、まったく入らない。去年は余裕で履いてたウエスト85cmだが、キツクてチャックも上がらない。たしかに太ってきたなという自覚はあったが、まさかここまでヒドイとは。

 大きいサイズを仕入れるため、ユニクロへ出掛けた。「暖パン防風チノ」、風を通さない暖かいパンツ。裏地が分厚くいかにも暖かそう。サイズ88cmを持って試着室へ。

 うーん、なんとか履けるには履けるんだが、チョオーっとキツイかなあ。この上になるとウエスト91cm。余裕のユッタリサイズなのはわかっているが、自分的に許せないメタボの診断基準90cmオーバー。まあ、痩せればイイんだしと自分に言い聞かせ、88cmの色違い3本をお買い上げ。合わせて約1万2千円、履けなければタダの布ッ切れ。なんとか痩せなければと思いつつ体重計に乗ってみるが、もっか人生最高の体重を更新中。

将来の夢

 掃除の行き届いた部屋は、空気が張りつめ清々しい気分に満ちている。基本的に私は「キレイ好き」だが、多少の散らかりなら気にせず過ごしている。ただ、何かのきっかけでヤル気になると徹底して掃除を始める。学生の頃、定期試験前日になると決まって部屋の片付けを始めた。いわゆる大掃除。学生が住む程度の狭い部屋だが、棚から下ろして本のホコリを払い本棚に雑巾をかけ、床から壁から部屋の隅々まで徹底的にキレイにするには、結構な時間がかかる。無心になって片付けている時間が好きなのか、片付け終わった部屋でコタツに入り達成感に浸るのが好きなのか、気がつくといつも真夜中を過ぎていた。それから文字通り「一夜漬け」のまま朝を迎え、徹夜明けで試験を受けた。今にして思うと勉強したくないがために掃除を始めたのか、本当に掃除が好きだったのかわからないが、結果、ピンと張り詰めた清々しい空気の中で集中できたからこそ留年もせず無事卒業できたのだと思う。

 結局、無精なのかキレイ好きなのか自分でも判断しかねるが、古い物を捨てられず整理整頓が行き届いてないのは確か。私の部屋は古いレコードやカセットテープをはじめ他人にはガラクタにしか見えない物で溢れているが、どれも自分にとって大切なものばかり。輪をかけて書類関係の保管は不得手である。整理できないまま溜まりすぎた書類は、最終的に古紙回収業者へ回されるものがほとんど。書類をファイリングして表紙をつけて分類なんてことは、全く性に合わない。その点、亡くなった父の几帳面さには今でも頭が下がる。

作文集 私の仕事を手伝ってくれていた晩年の父が綴っていた社会保険や労働衛生関係の書類は、今なお整然と保管されている。何よりも私の子供時代の通知箋(通信簿)が、小・中・高・大学と全て保管されているのは、父の手によるもの。小学2年生の2学期にオール5を採ったことを自慢できるのは、父の几帳面さゆえ。

 先日、古い本棚で探し物をしていたら、小学2年生と3年生の作文集の綴りを見つけた。2年生で4冊、3年生で7冊の計11冊をガリ版で印刷し綴じて配ってくれた担任の斉藤英樹先生への感謝の気持ちとともに、それを捨てずに表紙をつけて保存してくれていた父の気持ちを思うと言葉に尽くせぬ有り難さを感じる。

 その中の一節。「ぼくは 大きくなったら 外こうかんになりたいと思っています。お父さんは 敏幸が外こうかんになったら お父さんより きゅうりょうがもらえるんだよと いいます。ぼくは 早く大きくなって お父さんたちを らくにさせてやりたいと思います。そして 世界の国々を自由に 見て歩きたいと思います。それから まだえらくなって 岸さんみたく そう理大じんになりたいと思います。」

文集 文集

 50年以上前、小学3年生の私が書いた作文。読み返すと恥ずかしくもあるが、この時の素直な気持ちだったのだろう。当時の男の子は、将来の夢を語るとき「プロ野球の選手」や「科学者」や「博士」、女の子は「スチュアーデス」や「看護婦」や「学校の先生」などが多かった。今でこそ「プロ野球の選手」であったり「サッカー選手」、「宇宙飛行士」や「お医者さん」や「芸能人」なのだろうが、それほど昔と変わってないように思う。いつの時代も夢多き子供たちは、素直に憧れを語れる存在のようだ。

 人生で一番ポジティブな年代は、12才頃だという話をラジオで聴いた。9才当時の可能性は無限だとはいえ、総理大臣になりたいと書いた私の作文を読んでも頷ける。これが中学・高校を卒業する時期を迎えると、自分の資質と現実のギャップに気づき、その時点で「総理大臣」や「プロ野球の選手」になりたいと作文に書けるのは、ごく一部の特殊な能力を持った子だけに限られる。ほとんどの子供たちは、華やかな夢とかけ離れた現実に即した選択肢を目標にする。

 未来を担う子供たちには、夢を憧れのままで終わらせず、ぜひ実現してもらいたいと願わずにはいられないが「将来の夢」というテーマで作文を書く機会があれば、「職業」ではなく「生き方」を記してほしいもの。そうすれば、50年後読み返すとき「総理大臣にはなれなかったが、清く正しく美しく?正義を貫いて生きてる自分」に巡り会えるかもしれないじゃん。

 週末から地元を留守にしていたため、野花南散策は久しぶり。少しずつ秋が進みラクヨウも終わりの時期を迎え、これから晩秋のキノコが森を賑わす。今日も多くの見知らぬキノコ達と出逢い、数少ない知識と図鑑を頼りに名前を探す迷走の旅へ出かけた。どんなことでも初体験は気持ちイイに決まってるが、見知らぬキノコを初めて口にする場合でも、そう云い切れるかどうか。充分な調査と慎重な覚悟と少しの勇気が必要。

カラカサタケ 今日一番の収穫は、地面にそびえ立つ巨大なキノコ。なんと傘の直径26センチ、高さ30センチ。「デカッ!」というのが第一印象。次にキタのが「喰いごたえある」というイメージ。カゴと比べると巨大さが一目瞭然。家に帰り図鑑で調べたが特定できず。「大きいキノコ、巨大キノコ」をキーワードに検索の結果、いくつかの候補に絞られた。「オオオニテングタケ?」「猛毒のフクロツルタケ?」「カラカサタケ?」「ドクカラカサタケ?」、インターネットの不確かな情報でも数多くの画像を見比べていくと、それなりに違いが見えてくる。決め手となったキーワードは「柄のまわりにあるツバが上下に可動する」。やってみると、実際にビラビラする膜状のツバが指輪のように上下に移動する。この段階で最も可能性が高いのは「カラカサタケ」。

 wikipediaによると「従来から食用とされる。天ぷら、炒め物、きのこ汁等加熱した上で利用されるが、生食は消化器系の中毒を起こす。蕁麻疹、下痢、アレルギーを起こすこともある。無味、無臭」。なあーんだ喰えるじゃん。ノミネートされた他のモノは、すべて毒キノコ。「よし、カラカサタケに決定!」。プラス思考というか、自分に都合のイイように話を持っていこうとする傾向がある私。「なんとしても喰ってみたい」という気持ちが無意識に働き、判断をミスリードしている可能性もあるが「ま、いいでしょ」。

カラカサタケ カラカサタケ

 ただ、ひとつ心配なのは「ドクカラカサタケ」。別名を「コカラカサタケ」といい、カラカサタケほど大きくはならないとあるが、「大きいコカラカサタケ」は「小さいカラカサタケ」より大きいはずで、あまり当てにならない。傘の裏ヒダは白く、見た目に区別できないが傷つけると赤変するので判別できると書いてある。この点はクリアしてるのでOKとは思うが、万一間違っても嘔吐や下痢の胃腸系中毒なので遺言を書くまでもないだろう。真夜中の下痢なら、野花南産ポルチーニの「単なる喰い過ぎ」で経験済み。

 一抹の不安を残しつつも喰えるとなれば早速、下準備。柄と傘を切り離し塩水につけて虫出し。それにしてもデカイ!開ききった傘は、トウキビを茹でる直径30センチの大きな鍋いっぱいを埋め尽くす。柄は細かく刻んで冷凍、ハンバーグなどに混ぜて使う予定。今夜のメインディッシュは「カラカサタケのフライ」。傘を8分の1にカットして豚カツの要領で揚げる。見た目は魚のフライそのもの。熱々のフライにトンカツソースをかけてナイフを入れる。サクッとした触感のあと、スッと切れるが切り口はつぶれてしまう。熱々の一切れを口に運ぶと、ん?何かに似てる。これは、まるで茄子のフライだ。中身がトロトロで、フライの衣だけの食感。キノコの味?よくわからない。ほとんど味がない。ソース味のフライの衣を食べてるようだ。期待したほどのモノじゃなかったが、とりあえず食べられるキノコを見つけたことに満足。たぶん、バターで炒めたりシチューで煮込んだ方が美味しいかも知れない。食後2時間経ったが、タップリ油を吸った衣のせいで胃が重く感じる以外、体調に変化なし。

カラカサタケ カラカサタケのフライ

 「旨いべぇ!食べてみれや」と函館タナベの社長のように声をかけても、例によって「まだ、死にたくないもん」と横目で眺める家内。体型が示すとおり、実は大の揚げ物好き。自分のためには豚肉の豚カツを用意してある。外食でもないのに家にいながら夫婦別々のメニューを頂くようになれば、人生もそろそろ秋。実り多い秋となればよいが...

早起きは三文の得

 我が家の玄関アプローチには、ラティスが設置されていて季節の花やバジルなど鉢植え植物が掛けられている。このラティス、手すりにワイヤーで固定されたもの。取り外すことなく長年放置されているため、水やりのせいで手すりが錆びて塗装が朽ちてきた。「どげんかせんといかん」と、ずうっと気になっていた。

 昨日土曜の午後、好天に恵まれたのでラティスを外し、塗装をはがし錆を落とし凸凹を削りサンドペーパーで磨き、ペンキ塗りの下準備まで終えた。天気予報では明けて日曜日「曇りのち雨」らしくペンキ塗りは、オアズケの予定でベッドに入った。

 夜に強いが朝に弱い。普段、布団の中でいつまでもグズグズしてるのに、日曜に限って早く目覚めるというのは子供の頃からのクセ。6時に目が覚めると外は快晴。これなら「曇りのち雨」の雨が来るのは夕方かしらと、ブルーシートでマスキングをしてペンキを塗り始めたのが午前7時。なんたって2時間もあれば乾いてしまうという速乾性水性塗料。朝のうちに済ませてしまえば、山荘の草刈りにも出掛けられる。やっぱり「早起きは三文の得」だなあと、私らしくもなく健全な精神状態でペンキ塗り。もともと、ペンキを塗るのは大好き。以前、連休中に診療室の壁を自分で塗り替え、その達成感に満足したこともある。

 鼻歌まじりに調子よく塗っていると、あたりが暗く・・・。ん? 日食かしらと、見上げると黒い雲が・・・。エー、まだ乾いてないよお! とりあえず降り出す前に塗るだけ塗っちゃえと、ヤッツケ仕事を済ませて一服していると雨音が。時計を見ると午前8時。速乾でも2時間かかるのに・・・

 誰だあ?「早起きは三文の得」だなんていった奴あ? だいたい三文って、今の60円くらいの価値らしい。「二束三文」て言葉もあるくらいだから、やっぱり寝てた方がマシなのかなあ。

寝る子は育つ

つつじ 久々におてんと様のご機嫌と私の都合があったので、山荘で草刈り。この時期、雑草の生長は著しい。満開のツツジも草に埋もれている。

 アプローチと広場と池の周りを刈るのに、ほぼ1日。アタマと首にタオルを巻き、マスクで口元を覆い防護フェイスマスクで完全装備。上下のツナギに草刈り用エプロン、ゴム長靴という出で立ちは、さながら原発に向かうスタイルに見えなくもない。この格好で炎天下、草を刈るとかなり体力が消耗する。休憩して食べた握り飯3個分のエネルギーなんて、すぐに尽きてしまう。用意した2本の水筒も空になりヘトヘトになって帰宅した。

 風呂を浴び夕食が終わった午後6時半過ぎ、どうにも眠くてベッドに入ったら即爆睡。夜中の2時に目覚めたが、まさかそんな時間に起きるわけにもいかず、そのまま目をつむったら朝8時まで熟睡。なんと13時間も眠ってしまったあ。はあー、寝疲れたあ...

 睡眠中、脳の中では2~3時間おきに成長ホルモンが分泌されているらしい。ということは眠れば眠るほど分泌量が増えることになり「寝る子は育つ」と云われるのも頷ける。どおりで、朝起きたらデッカクなったような気がした。

 

宅急便ミニカー

 世の中、便利になったもんで2才になる孫の写真が、遠くから電波に乗って毎日、デジタルフォトフレームに送られてくる。写真が来るたびにジイジとバアバは「もう、こんなことできるんだ。ひょっとしたら、この子、天才なんじゃないの?」などと言いながら「ああでもないこうでもない」と孫の成長ぶりを楽しんでいる。

 最近の写真にミニカーで遊ぶ姿が写っていた。息子に聞くと「働く自動車」が好きということなので、何か見繕って送ってあげようということになった。働く自動車といえば、ブルトーザやダンプカーにショベルカーだが、この手のモノはそんじょそこらにあるし、変わったモノがイイ。そこで、宅急便のミニカーをゲットしようということになった。クロネコヤマトでは、荷物を直接営業所に持ち込むと100円割引になるが同時に、1個の持ち込みに対してスタンプ1個もらえるカードを作ることが出来るらしい。スタンプ10個か20個集めて応募すると、もれなくミニカーがもらえると云う話を聞いたことがある。

宅急便ミニカー よーし、孫のためなら100個でも200個でも荷物を持ち込んでスタンプいっぱい集めるぞぉーと、近くの営業所にスタンプカードをもらいに行った。だがしかし、なんと現在はキャンペーンをやってないとのこと。宅急便のお姉さんが云うには「2年前まで、やってたんですけどねぇ」。うーん、ないとなれば余計に欲しくなるのが人情。なんたって非売品のミニカー。やむなく、ネットで検索してみるとあるもんだねぇ。ネット・オークションに数多く出品されている。さすがに中古のモノは値段が安いが、それは無視。ねらいは新品未使用品。あった!新品未使用の5種類すべて揃って最低価格1000円から入札開始と云うのを見つけた。安い!そこで、ヤフーオークション初体験。「財力にモノを云わせて?金に糸目をつけずに?(ミエはらんでイイって)」そこそこの値段で落札。無事、手に入れることができた。

 ウォークスルーW号車、ウォークスルーN号車、クール宅急便、引っ越し車、大型トラック10t車、こうして並べてみると、大人でも充分楽しめる。果たして2才の子供に喜んでもらえるかどうか、それが問題・・・

勘違いの思い込み

 シャツやアウターは「Eddie Bauer」、チノパンは「Dockers(2007日本撤退)」のクラシック。というのが私の定番だったが、ついに上から下まで「Uniqlo」に染まってしまった。

 孫の冬物を探しに行ったついでにユニクロで、買うアテもなくウロウロ。目につく値札の安さにビックリ。だからといって何が欲しいわけでもなくブラブラしていると、壁一面といっていいほどに大きくレイアウトされた何枚ものポスターが目に映る。これがまた「黒木メイサ」や「高良健吾」ら素敵なモデルさんが決めのポーズで写っているのだから、とにかくカッコイイ。体型がスリムで脚は長く、現実離れした美しすぎるスタイルは見ているだけで惚れ惚れしてしまう。その上、黒木メイサの目線が常に私をとらえて放さない。(そう見えるんだからショウガナイ)

 こうして黒木メイサに見つめられながら店内を一周していると、彼女と同じモノを着たり高良健吾と同じパンツを履いたら自分も脚が長くカッコ良く見えるような気がしてくるから不思議だ。

 思い込みとは恐ろしいモノで一度そんな気が芽生えると、それはスグに信念へと生まれ変わり、そのことに何の疑問も持たなくなる。都合よくというか偶然というか、たまたまそこに陳列されている同じパンツを手に取るとタグに【すっきり見えるシルエットにこだわったパンツ。[脚長効果]:(中略)~脚が長く見えます。[立体設計]:(中略)~ヒップ周りがすっきり見えます。】と書いてある。

 そうなんだ。脚が長く見えてヒップ周りがすっきり見えるらしい。この際、着る人の体型に関係なく、そう見えるんだろうと思い込んだまま試着室へ向かい、結局、同じ型のパンツの色違いを3本も買ってしまった。カッコエエぞぉ。

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