山荘に響く鹿撃つ銃声

雪の野花南山荘

 例年になく遅い積雪だが、山荘も本格的な冬景色。そろそろ軽トラでの乗り入れができなくなる。大喜びのララは駆け回っているが、ときどき耳をツンザクような銃声にビックリ。山荘裏の国有林で猟友会が鹿を撃っているらしい。先日も恵庭市の山林で森林管理事務所の職員が猟銃誤射で亡くなったばかり。間近に聴こえる銃声の迫力は、山々に反響し大音量で響き渡る。鳴った瞬間、恐怖心で身がすくむほど。まるで自分が狙われているような錯覚を覚え、こんな日は早々に引き払う。あとは春を待つばかり。

雪で大喜びのララ

野花南山荘の紅葉

 雪虫が舞い初雪を迎える季節。晴れた日の午後、暖かな日差しに照らされる遠い山々の色とりどりが美しい。山荘の木々も冬を迎える準備中。散る寸前まで紅く黄色く移ろいながら、季節が変わるステージで主役を演じる。

 写真は、山荘へ続く道、ツルアジサイの紅葉、ミズナラ(初孫誕生の記念樹)の紅葉、ヤマモミジの紅葉。

山荘へ続く道

ツルアジサイ紅葉

ミズナラ紅葉

ヤマモミジ紅葉

デオキシノジリマイシン

霜桑葉・ヤマグワの葉

 以前、「山の恵みで健康に」や「健康はカネで買わずに自分で手に入れろ」で実践した桑の葉茶。「桑の葉は晩秋の霜にあたったものが良質とされ、霜桑葉(そうそうよう)や冬桑葉(とうそうよう)と呼ばれる」という情報をネットで見つけ再度挑戦しようと思っていた。今朝、気温が下がり全道的に霜が降りチャンス到来。桑の葉刈りに出掛けたが、紅葉した葉ではご利益なさそうで諦めた。というより池の味や沼の味が脳裏をかすめ、最悪の場合、ドブを味わうことになると立ち直れなくなる予感がして躊躇。

果肉以外は有毒オンコの実

 子供の頃、食べていたが最近口にすることがなくなった「想い出の味」にグスベリがある。その辺りの草っぱらに生える子供の背丈くらいの低木、夏の終わりに実をつけた。薄緑色の透明な小さな実の表面にスイカ模様の白い線があり、かなり酸っぱかったように覚えている。よほどオヤツに飢えていた時代、お腹を壊すまで摘んだ記憶がある。あれだけアチコチに生えていたグスベリだが、最近ほとんど見かけない。知らなかったがグスベリは熟すと紅くなり甘くなるらしい。そうなる前に食べ尽くしていたせいなのか紅く色づいたグスベリの実の記憶がない。(グスベリは北海道の方言。正しくはグーズベリー。gooseberry、ガチョウのベリー)

 同じように「懐かしい味」にオンコの実がある。近所の庭や生け垣で、秋になると真っ赤な実をつけた。小学校の帰り道、摘んでは口から種を吐き出し甘い果肉を楽しんだ。大人になってから知ったがオンコの実、果肉以外は有毒で種を飲み込むと危険なのだそうだ。あれだけ食べて、よく危険な目に合わなかったものだと今更ながら胸を撫で下ろしている。

オンコの実

 山荘では、オンコの実が盛り。子供の頃と違って摘んでみたいという気にならないのは、満ち足りた食生活のせいなのか。オンコは、北海道の方言らしいがアイヌ語ではない。正式には、一位(イチイ)。他にはシャクノキ、アララギ、アカギ、スオウ、ミネズオウ、アブラギなどの別名もあるらしい。木材としては年輪の幅が狭く緻密で狂いにくくヒノキより堅い。聖徳太子が手に持つ「笏(しゃく)」の素材であるとのこと。オンコの木は雌雄異株、山荘では実のなる木は横に広がり低木だが実のならない雄木は背が高い。

エゾユズリハは雌雄異株

エゾユズリハ・蝦夷譲葉

エゾユズリハ・蝦夷譲葉

 新旧交代を象徴する縁起物。艶々で光沢を放つ葉は、遠くからでも目立ち存在感がある。エゾユズリハ(蝦夷譲葉)、山荘のアチコチに見かける。雨でもないのに濡れたようにピカピカ輝く様は、どの葉っぱより美しい。若葉が伸びると古い葉が落ちる。つまり子が成長すると親が譲るという子孫繁栄を象徴する縁起のよい木。正月のしめ飾りや鏡餅にこの葉が使われる地域もあるらしい。別名ショウガツノキ、オヤコグサ。

 もともとは内地に生息するユズリハが、多雪地帯に適応して低木化したもの。枝がしなり折れにくく、特に山荘のような豪雪地では樹高が1mにも満たず地を這うように広がる。葉下の脇に小さな花を咲かせ、秋には藍黒色のブルーベリーのような実が熟す。残念ながら毒性アルカロイドが多く食べられない。雌雄異株であり、下の写真には夫婦仲良く並ぶ姿が。右の大きな個体が♂で実をつけず、左の小さな個体が♀で実をつけている。ちなみに雌雄異株は「しゆういかぶ」ではなく「しゆういしゅ」と読む。

エゾユズリハ雌雄異株

エゾユズリハの実

 常緑広葉樹だが、太陽光が減少し気温が低くなり「葉緑素」が壊れると「カロチノイド」のため黄変する葉もある。黄葉しても葉の表面の艶の美しさは変わらない。

エゾユズリハの紅葉

「ゆづり葉」河井酔茗

子供たちよ。
これは譲り葉の木です。
この譲り葉は
新しい葉が出来ると
入れ代つてふるい葉が落ちてしまふのです。

こんなに厚い葉
こんなに大きい葉でも
新しい葉が出来ると無造作に落ちる
新しい葉にいのちを譲つて――。

子供たちよ。
お前たちは何を欲しがらないでも
凡てのものがお前たちに譲られるのです。
太陽の廻るかぎり
譲られるものは絶えません。

輝ける大都会も
そつくりお前たちが譲り受けるのです。
読みきれないほどの書物も
みんなお前たちの手に受取るのです。
幸福なる子供たちよ
お前たちの手はまだ小さいけれど――。

世のお父さん、お母さんたちは
何一つ持つてゆかない。
みんなお前たちに譲つてゆくために
いのちあるもの、よいもの、美しいものを
一生懸命に造つてゐます。

今、お前たちは気が附かないけれど
ひとりでにいのちは延びる。
鳥のやうにうたひ、花のやうに笑つてゐる間に気が附いてきます。

そしたら子供たちよ
もう一度譲り葉の木の下に立つて
譲り葉を見る時が来るでせう。

メリケンコンギク

友禅菊・メリケンコンギク

 夏から秋にかけてよく見る花、ユウゼンギク(友禅菊)。北米原産、鑑賞用に持ち込まれたものが野生化し帰化した種。黄色い筒状花の周りに青紫色の舌状花がつく。在来種のエゾノコンギク(蝦夷野紺菊)に似ているが、舌状花の数がエゾノコンギクより多い。アメリカ産の紺菊という意味で別名「メリケンコンギク」。英名は「ニューヨーク・アスター」だが、中華料理の「銀座アスター」とは無関係。花言葉は「若者に負けぬ元気・老いても元気で」。なんか励まされるなあ。

ヤマモミジ小黒紋病

 キノコを探して歩いていると、足元にいろんな発見がある。幼木というより、今年芽吹いたであろう高さ20cmほどのヤマモミジの赤ちゃん。パッと見、異様な姿に目を引きつけられる。小黒紋病というらしい。斑点ができた周囲は紅葉しない。黒紋病にかかった葉は全て回収して地中深くに埋めるか焼却処分するのがいいとあるが、庭木や盆栽にしている訳じゃないので放置。あくまでヤマの中の自然の営み。

小黒紋病ヤマモミジの紅葉

小黒紋病ヤマモミジの紅葉

山荘の紅葉は桜の木から

ヤマザクラ紅葉

ヤマザクラ紅葉 ヤマザクラ紅葉

 山荘の紅葉は、桜の木から訪れる。遅い春を花で彩り、葉桜の時期を過ぎ早い秋の訪れを紅葉で彩る。今は、桜もみじと呼ばれる季節の少し手前。この時期、我が家の一大イベント抜歯塚供養のため念入りに草を刈る。

野花南山荘の秋 野花南山荘の秋

抜歯塚
関連:野花南山荘の抜歯塚

ハンマーナイフモア

 長雨のせいで草を刈る暇が殆ど無かった。昔のぶどう畑が背の高さまで伸びた雑草に覆われているので、暑さに負けず草刈りに精を出す。こんな時、頼りになるのがハンマーナイフモア。ブルトーザのようなパワーで草を粉々に砕いていく。キャタピラが付いていて自走式。だからといってルンバのように勝手にキレイにしてくれるわけではないので、ハンドルを握りながらついていき方向転換などの操作をする。

雑草に覆われた広場

ハンマーナイフモア ハンマーナイフモア

 草を刈り進んでいくとグミの木が隠れていた。去年まで背が低くあまり実がつかない木だったが、雑草の上に真っ赤な実がぶら下がっている。草を掻き分けてみると結構実が付いている。今年はグミが不作で、まだジャムを口にしていないので有り難い。一時休憩でグミの実を摘む。

雑草に覆われた夏グミ 雑草に覆われた夏グミ

 あまりの暑さに休みながらの作業だが、2時間で半分ほどキレイになった。持参した2リットルの水が底をついてきたので今日の作業終了。これだけ効率よく草を刈れるのは、ハンマーナイフモアのおかげ。「刈馬王」と呼ばれるハンマーナイフモアは、運搬車「力丸君」、耕運機「ガッツ君」とともに頼れる山荘の働き者。

草刈り後の広場 草刈り後の広場

夏グミ

キツネの子別れ

 キタキツネは冬の間に発情期を迎え、わずか50日程度で春先に3~5匹の子供を出産する。5月を過ぎると子供たちは巣の外へ出て行動するようになり、母親の狩りを真似てネズミや昆虫など捕食する術を覚えていく。山荘で、この時期出会うのは、ほとんどが親子連れ。親は警戒して近づいてこないが、好奇心旺盛な子ギツネはクルマを停めると側に寄ってくる。

キタキツネの子ども

 人間でも動物でも幼いものが可愛く見えるのは、「弱いものは守らなければ」という気持ちが自然に湧いてくる仕組みのせいらしい。この仕組みは「生得的解発機構(生まれつき備わったもの)」によるもので、動物行動学では「ベビーシェマ」と呼ばれている。

 キタキツネの子供も同様、ジッと見つめられると「可愛いーっ!」と思わずにいられない。だからといって、人間の食べ物を与えてしまうと「雪の野花南山荘」で書いたように免疫力が低下して、ゆくゆくはダニが原因の「疥癬病」で無残な姿で最期を迎えてしまう。決して、野生のキツネに人間の食べ物を与えてはいけない。

 このように今の季節、親子で行動しているキツネたちだが、8月を過ぎると「子別れの儀式」を迎える。それまで優しかった母親が突然、躾の甘噛みやジャレ合いでなく本気で噛みつき子供を追い出しにかかる。まだ甘えたい子供たちは混乱するが、厳しく拒絶する親から離れて自立していく。この「子別れ」は親ギツネが自分の餌を確保するためと近親交配を避けるため、また子供を独り立ちさせるため、いわば「獅子は我が子を千尋の谷へ突き落とす」的に解釈されているが、果たしてキツネがそんなに理性的であるとは思えない。

 春に生まれた子どもたちも成長し、秋を迎える頃には親と同じくらいの大きさに近づいてくる。そうなると幼い子ギツネ時代の可愛さは失われ、ベビーシェマが働かなくなる。母キツネにしたら成長した我が子の姿を見て突然母性本能が吹っ飛んでしまう。急に警戒心や恐怖心を抱くようになり、自分のテリトリーにいる他者を追いだそうとするのではないだろうか。そうでなければ、いくら種を守るためとはいえ無慈悲に我が子に噛みつき真剣に戦うようなことはできないと思う。そこには我が子を愛するという心の欠片すら感じられない。結局、子供の成長による見掛け上の変化が引き金になる本能的な行動なのかも。

 今日、出会った3匹の親子連れにも、あと1〜2ヶ月もすると子別れの儀式が訪れる。つぶらな瞳の好奇心旺盛なアノ子も秋には独り立ちする。なんとか生き延びてほしいとベビーシェマを感じる私だが、雪が降りはじめる頃に痩せ細った小さなキツネに出逢うことになるかもしれない。

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