二宮尊徳さん

 最近、気づいたが、小学校の校庭に「薪を背負って読書に励む二宮金次郎さん」の銅像を見かけなくなった。「歩きながら本を読むのは危険」だとか「子どもが働く姿を勧めることはできない」とか「教育方針にそぐわない」と云う理由で撤去されたのだという。

 もちろん、私の通っていた小学校にもあったし絵本か教科書で二宮尊徳さんのお話を読んだ記憶もある。努力の人でエライ人だと教わった。今の時代、努力することが報われると云うのは流行らなくなったのだろうか。

 野花南小学校では、今でも尊徳さんが校庭に立って、子供たちを見つめている。この学校には、なぜか天文台まで付いている。1952年生まれの水谷豊が4年生まで通っていたらしい。

 

やっと春の気配を感じる山荘では雪融けのホンの隙間を見つけて、春が芽吹きはじめた。今年初めての福寿草を見つけた。

街中や里では、あちこちにフキノトウが出ているが、山荘では数えるほどしか見つけられない。まだ、蕾のモノを採ってきた。

早速、フキノトウの油味噌炒めで、ほろ苦い今年の春を頂く。

▼フキノトウを水でよく洗う。ザクザクと細かく切って、ゴマ油をひいて熱したフライパンに入れる。
▼フキノトウを炒め、油がまわってきたら酒とミリンを入れ、そのあと味噌を入れ、かき混ぜて溶かす。味を見ながら砂糖をほんの少しだけ足す。一味唐辛子を振りかけ煮詰めて出来上がり。

山荘にも春の兆し

 まだ雪深いが、確実に春の足音が聞こえる。雪に足を取られながら今年初めて山荘の敷地に足を踏み入れた。

 

 

冬の野花南

 

 天気がイイので、野花南山荘へ出掛けた。除雪された農道を走り近くまで乗り入れたが入り口へ通じる道は雪深く、まったく進めない。誰も寄せ付けない冬の山荘には、たいちの樹をはじめ多くの命が静かに眠っている。雪に埋もれることによって厳しい寒さから身を守り、じっと身を潜めているに違いない。

雪の野花南山荘

 ♪果てしない大空と 広い大地のその中で・・・

 こごえた両手に息を吹きかけながら松山千春の唄を口ずさんでしまうほど、みごとに晴れ渡った冬の空。これほど透明な快晴の空には、さだまさしの「北の国から」は似合わない。

 一気に根雪になりそうなほどの大雪に、娘達が喜んで駆け回るので休日の昼下がり、山荘へドライブ。四駆ならギリギリ走れそうな道路だが、ワダチにはまってお腹を乗り上げると誰も助けに来てくれそうにないので、途中からクルマを降りて1キロほど歩く。

 キツネの足跡が雪原の上に延々と続く。この雪では食べ物を探すのは大変だろうが、これからが繁殖の季節。栄養を蓄え体力をつけないと春には子孫を残せない。飼育されているキツネの場合、10年以上は生きるらしいが、野生のキツネの寿命は3年ほどとのこと。だからといって野生のキツネにエサを与えてはいけない。

 道ばたで出逢ったキツネがカワイイとクルマを止め、たまたまそこにあったスナック菓子を窓から放って与える。キツネが近づいてそれを食べる。観光地では、よくある光景だが、肉食動物のキツネにとってスナック菓子の甘さは適度な下剤になる。しょっちゅう下剤を与えられていると免疫力が低下して寄生虫にやられてしまう。

 ダニが原因の「疥癬病」。毛がボロボロで皮膚はカサブタだらけ、顔まで変形しているキツネの死骸が多く見つかっている。本来のキツネの食べ物ではないモノが与えられた結果である。きっと、人間にも同じことが云えるのかもしれない。嗜好性だけを追求した本来の食べ物とはいえないモノを毎日摂り続けていると、人の身体もボロボロになってくるのだろう・・・

 雪をかきわけ、たどり着いた山荘は、雪に埋もれて静か。雪囲いに護られた「たいちの木」。

 

 はしゃぎまわってウレシイウレシイ、ララとメイ。先日、奈井江で一晩中クルマに閉じ込められたお爺さんと3才の孫が黒ラブのジュニア君に護られて生き延びたというニュースがあったが、ウチの子たちもナニかのときには助けてくれるのだろうか

 

山の冬支度

 明日から雪になるらしいので、山荘の冬支度に出掛けた。もうすでに葉を落とした森は初冬の雰囲気。

 

 休眠状態のシイタケの横で、エリンギの生長が始まった我が家のキノコ部屋。かなり無秩序な生え方だが、いったい何本のエリンギが収穫できるのだろう。

晩秋のカラマツ林

 落葉松(カラマツ)は文字通り、葉を落とす針葉樹。秋には葉をコガネ色に染め、晩秋には葉を落として冬を迎える。広葉樹の落ち葉は、油分が少なく発酵しやすいので微生物やミミズに分解されやすいが、松の葉は油分が多く腐葉土になりにくい。このため、毎年降り積もるカラマツの葉は、幾重にも重なって地面を覆いつくす。

 カラマツ林の中に居て一番好きな季節は、迷わず晩秋だといえる。葉を落とした裸の木々が、寒々と雪の中に立ちつくす冬の姿は、もの悲しく。新緑・深緑の葉が生い茂る頃は、林の中が暗く湿っぽい気持ちにさせられる。

 葉を落とした晩秋のカラマツ林は、サエギるものがなく地面まで陽が差し込む。それも陽気に明るいわけではなく、木立が陽をサエギり「木洩れ日」を演出し、気温に関係なく温かく優しい気持ちにしてくれる。なによりも降り積もった落ち葉がフカフカで、広葉樹の落ち葉のようにガサガサと音を立てることなく、細かい松葉が織りなす絨毯は、裸足で歩きたくなるほど気持ちイイ。

 

 カラマツの林は寂しいと謳う北原白秋の有名な「落葉松」という詩は、夏の信州で創られたらしい。これが晩秋であったなら、白秋は、はたしてどんな詩を詠んだのかなと考えるだけでも楽しい・・・

 落葉松(北原白秋)


 からまつの林を過ぎて、
 からまつをしみじみと見き。
 からまつはさびしかりけり。
 たびゆくはさびしかりけり。


 からまつの林を出でて、
 からまつの林に入りぬ。
 からまつの林に入りて、
 また細く道はつづけり。


 からまつの林の奥も
 わが通る道はありけり。
 霧雨のかかる道なり。
 山風のかよふ道なり。


 からまつの林の道は
 われのみか、ひともかよひぬ。
 ほそぼそと通ふ道なり。
 さびさびといそぐ道なり。


 からまつの林を過ぎて、
 ゆゑしらず歩みひそめつ。
 からまつはさびしかりけり、
 からまつとささやきにけり。

 からまつの林を出でて、
 浅間嶺にけぶり立つ見つ。
 浅間嶺にけぶり立つ見つ。
 からまつのまたそのうへに。


 からまつの林の雨は
 さびしけどいよよしづけし。
 かんこ鳥鳴けるのみなる。
 からまつの濡るるのみなる。


 世の中よ、あはれなりけり。
 常なけどうれしかりけり。
 山川に山がはの音、
 からまつにからまつのかぜ。

ヒグマ救出大作戦

 今年は、札幌や千歳でも人里にヒグマが出没し、ニュースになることが多かった。冬眠前のヒグマが脂肪を蓄えるのに必要なドングリが凶作のためらしい。彼らにとっては厳しい冬を越せるかどうかの死活問題。エサを求めて山を下りてくるのは止む得ない。また、人間にとって危険だから、農作物に被害を与えるからといって捕獲して殺処分するのはカワイソウだとはいえ止む得ない。もともと山にドングリが大量に実りさえすれば、こういう問題が起きずに済んだはず。

 そうであるなら、熊にはドングリを増やす知恵はないのだから、人間が考えてやればイイだけのこと。このドングリ不足「ナラ枯れ」によるものらしい。ナラ枯れとは、ドングリを実らせるコナラ、ミズナラ、シイ、カシ、クリなどが集団で枯れることで、カシノナガキクイムシという虫が原因。この5ミリくらいの小さな虫のメスがナラ菌(ラファエレア菌)というナラにとっての病原菌を運ぶ。木を枯らした翌年、羽化した成虫が枯れたナラから飛び出して付近の健全な木に穿入して枯らす。これを繰り返し順に山の環境を壊してゆく。

 この被害は、ここ数年で過去に例を見ないほど拡大している。カシノナガキクイムシは昔から日本にいる昆虫で、ナラ枯れも古くから知られていたが、過去の被害は散発的で、これほど激しい被害を出すことはなかった。この虫が好む樹齢50年以上の大木は、昔は薪や炭として使われていたが、60年代以降、石油中心の生活になると伐採されなくなり、虫の繁殖に適した老木に成長した。また、公園整備が進み太い木が多くなった。地球温暖化の影響で、虫の活動範囲が広がったことなどが激甚被害の発生に関係あるようだ。

 この被害により、国立公園や森林公園などの景観が損なわれる。また、ドングリが実らなくなりクマや昆虫の食料が激減するため、人里の農作物を荒らす被害が出る。樹の根まで枯れると傾斜地の土壌の安定や保水力が低下し土砂崩れや土石流をおこす。山間地の収入源であるマイタケなどのキノコの収穫量が減り、原木ナメコや原木シイタケのホダ木も供給できなくなる。

 このような事態に対処するのは、国や行政の仕事だが、国土を守るために森林の生態系を保全するという理念を持たない政治家にこそ、一番の問題があるのかもしれない・・・

 とはいえ、今の政治家にナニを云っても無駄なので、少しでもドングリが沢山実るように、林の中で日陰に生える小さなミズナラを掘り起こしては陽の当たる場所に移植している。

 今は、山荘を囲む電気柵の中で畑を耕し、作物を作っては鹿に喰われ、結果、鹿を飼っていることになっているが、いつか、ドングリが沢山実って北海道中のヒグマが野花南山荘に集まってきて、我が家ではヒグマを飼ってるんだと自慢できる日が来るかもしれない・・・

 天気がイイので、山仕事のあとは漬け物用の大根干し。昨年、欲張って二つの樽に漬けたが、食べきる頃には漬かりすぎてしまったので、今年は2斗樽1個で済ませようと、細めの大根36本を用意した。

晩秋は、もの悲しく

 街中の紅葉も盛りを過ぎ、雪虫が飛びかう季節。景色の中に雪虫を撮影するのは至難の業。

 

 ユキノシタとムラサキシメジは、晩秋を告げるキノコ。

 実が割れ、顔を出したコブシの種。割れる前は、なんとも卑猥な色カタチをしている。ピンク色でゴツゴツした棒状。コブシの実は下向きに垂れ下がっているので、まだイイが、同様の白木蓮の実は上向きで大きいので、より卑猥な感じが・・・

 

 今年も落葉キノコの季節がやってきた。まだ出始めなのか量は少ないが、気温が下がってきたので、一雨毎にキノコが顔を出す。早速、味噌汁にして頂いた。一年に一度幸せを感じる瞬間だ。やはり、私はキノコから生まれてきたのかもしれない。毎年、決まって同じ場所に顔を出すハナビラタケ。「幻のキノコ」「次世代のキノコ」「免疫キノコの王者」。ヨーロッパでは「カリフラワーマッシュルーム」、特にフランスでは「モリーユ・デ・パン」と呼ばれ人気があるらしい。今年も乾燥させて炊き込みご飯にして頂いた。旨かったあー

 

 蛇の抜け殻を見つけた。頭の先から尻尾の先まで完全なカタチを保っている。抜け殻を財布に入れておくとお金が貯まるらしい。こんな大きなものは入りきらないので金庫の中かしら。ただいま乾燥中。

 

 キノコの山の麓にはヒグマ用の罠が仕掛けられている。そのエサとして鹿がブラ下げられていて、カワイソウなので内部の写真は掲載しないが、先日も220キロもある雄のヒグマが捕獲されたとのこと。

 

 この辺りでは、危なくて二人の娘を遊ばせることができない。

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