森山威男の魅力

 寒さに凍える雨続きのゴールデンウイーク、明けたとたんに春らしく温かく穏やかな日々。やっと函館に桜前線が上陸したらしいが、予報では今週末も雨模様。山荘での畑仕事はママならず、雪の重みで折れた木々の枝を片付け、どこへも出掛けずダラダラ過ごしていた。地球温暖化と云うが、間違いなく氷河期に向かっていることを肌で感じる北国の春。それでも、あと1週間もすると桜を連れて遅い春がやってくる。

 春眠暁を覚えずどころか、昼夜ひっくり返って連休を過ごしていた。本を読むか音楽を聴くか、のんびりユッタリと時間が流れてゆく。特にラジオ、アンテナ工事で格段に音が良くなったこともあって久々にエフエムにハマっている。エリア的にNHKFMオンリーだが、結構イイ番組が流れていて今でも真剣にJazzを流す姿勢に好感が持てる。他局のアサヒビールを冠につけるジャズ番組のように曲が途中でフェイドアウトされて消化不良を起こすこともない。「ハンサムJazz Live」「セッション2013」「ジャズ・トゥナイト」etc.

 5/5の夜に流れた「セッション2013」は最高だった。森山威男のライヴ「Small Orchestra」。森山は富樫雅彦に並ぶ天才ドラマー。フリージャズ期の山下洋輔トリオに参加。富樫亡き今、日本を代表するジャズドラマーだ。森山の演奏は、ライブにこそ魅力がある。その昔、学生時代を過ごした名古屋で他大学の学園祭に招かれた山下洋輔トリオのライブを聴きに行った。飛び散る汗、砕け散るスティック、先制攻撃にフェイント、息もつかせぬ掛け合い、そしてブレイク。まるでバトルのようなハーモニー。いやあ堪能したなあー。

 森山威男には演奏だけじゃなく、別の面でも魅力を感じている。以前、手に入れた「森」「山」というアルバム。南里文雄賞受賞を記念して同時発売された2枚のCDだが、そのライナーノーツに父親への愛情溢れる自作の散文が載っている。これを読んでしまうと、森山という人間の虜になってしまう。

森山威男/森 森山威男/山

*************(アルバム「山」のライナーノーツより)*************

山のように威厳のあった父のこと。

小学生のとき、全校の歯科検診があった。
歯医者の父は友達みんなの歯を見てあげていた。
「父は偉いんだなー」と思った。

中学生のとき、一度だけ父の自慢話を聞いた。
「大学生のとき、乗馬クラブで優勝してな。
みんなを銀座に呑みに連れていってなー」
と、そのときの記念のバックルをくれた。
うれしかった。

高校生のとき、父は俺を歯医者にしたかったらしい。
父にお願いをした。
「俺、ドラムをやりたいんだ。東京に習いに行かせてくれ」
「本当にそうしたいなら、やりなさい。心配するな」と言ってくれた。
死ぬ気でがんばろう、と思った。

芸大4年生のとき、卒業を楽しみにしていた父に言った。
「俺、いろいろ考えたけど、芸大やめる」
父は黙っていた。
つらかった。

ドラマーになっても父は俺をだめな息子だと思っていたらしい。
初めて俺の演奏を聞いた後、言った。
「そんなに汗をかいて、命っきり叩かんと生活できんのか」
大笑いした。

80歳を過ぎた父はテレビの前に正座して、
いつもじっと何かを考えていた。
ぽつりと言った。
「おとうちゃんは少し長生きしすぎちゃったな」
返す言葉がなかった。

父は医者の息子として厳格に育てられたらしい。
入院した父を久しぶりで見舞ったとき、
ふざけて「森山さん、ご飯は食べましたかー」と声をかけた。
父は、急いで正座して言った。
「はい、毎度おいしくいただいてます。ありがとうございます」
ふざけて、ごめんね。

入院中の父の耳元で「赤とんぼ」を歌ってあげた。
じっとしていた。山のように。

*************(アルバム「森」のライナーノーツより)*************

森のように静かだった父のこと。

東京で忙しくしていた父は、田舎暮らしが寂しかったらしい。
小学生のとき、暇な父は家の近くの川へよく魚釣りに連れて行ってくれた。
患者さんが来ると、母が土手の向こうから大声で叫んだ。
「あなたー、お客サンヨー!」
父は怒ったように、黙っていた。

父は話すよりも、行動のほうが早かった。
中学生のとき、夜中に物音で目がさめた。
開いていた雨戸から外を見ると、父が雨の中で一人立っていた。
「今、大きな地震があった」と言った。

父は怒っても静かだった。
高校生のとき、親をだましてお金をせしめ、パチンコをした。
玉をはじいている俺の後ろから「この台は出るか」と声がした。
片手に玉を持った父が隣の台に座った。
二度と親をだますまいと思った。

黙ってテレビを見ているときは何かを考えているらしい。
70歳を過ぎたとき、父が言った。
「俺は歯医者に向いてないような気がする」
「いまさら」と思った。

80歳を過ぎたとき、無口な父が力強く言った。
「威男!今からでも遅くはない。頑張れば二人で立派な狸になれる」
分からん。

入院中の父の耳元で「赤とんぼ」を歌ってあげた。
静かだった。森のように。

JAZZ TONIGHT

jazz tonight 土曜の夜、午後11時から午前1時の2時間は至福の時。NHKFM、児山紀芳の「JAZZ TONIGHT」を楽しんでいる。ラジオからジャズ番組が減った上、小曽根真の「アサヒ・オズ・ミーツ・ジャズ」のように曲に喋りを重ねたり、途中でフェイドアウトするなど、完全な1曲を楽しむことができない番組がほとんどになってしまった。その点「JAZZ TONIGHT」は、元スィング・ジャーナル編集長だった児山紀芳の曲紹介のみで進行、2時間たっぷりジャズが流れるという奇跡的なプログラム。その昔、エアチェックに意味があったように1曲まるまるアタマから最後まで流し、曲の途中で喋りを被せることもない。

 今では、よほどのことがない限りスピーカーに向かって正面からジャズを聴くということは少なくなった。パソコンに向かいながら耳だけ傾けるという聴き方がほとんどなので、ラジオのジャズ番組は重宝している。

 ちなみに「PsychoMed」のように、インターネットラジオでも延々とジャズが流れる番組は多いが、語りの無いラジオというのは単なるBGMに過ぎず、聴いていると飽きが来る。やはり、リスナーを引きつけるには、DJの役割が大きいということか。

想い出のラヂオ番組

 「ラヂオのこと」でも書いたが、子供の頃の娯楽といえばラヂオ。北海道に初めてFMの本放送が流れたのは1969年。すでに高校を卒業して浪人中のこと。「ほとんどモノラル、ときどきステレオ」というNHKのFM放送だったらしい。中学の時、父親に買ってもらったスタンダードのAM/SW2バンド7石トランジスタラヂオではFMが受信できなかった。翌年も受験に失敗し上京。アメリカの最新ヒットチャートをどこよりも早く放送するということもあってFENオンリー。本格的にFM放送の虜になるのは、名古屋の大学で先輩が「捨てようとしていたレシーバー」を手に入れてからのこと。レシーバーとは、チューナー付きアンプのことでレコードプレーヤーやカセットデッキが接続できる。貧乏学生のオーディオ道楽は、スピーカーユニットと板を買ってきて雑誌に載っている長岡鉄男設計の自作スピーカーボックスを作ること。塗装もせず見た目はリンゴの木箱のように質素だが、ダイヤトーンの六半フルレンジ1本のバスレフから聴こえるFM愛知、これがまたイイ音で鳴るんだよなあ。

w39.jpg 捨てられる運命にあった「Trio W-39」というレシーバーは、真空管式。スイッチを入れても暖まるまで、しばらく音が出ない。なにより重かった記憶がある。20kg近くあったかもしれない。あの頃でも放送は終わっていたはずだが、NHK第1放送と第2放送を左右別々のチャンネルで受信してステレオにするという「立体放送」が再現できるというスグレモノ。だから、AMチューナーが2個ついている。部屋の照明を落とすと真空管の温かい光が漏れてイイ感じの雰囲気だが、しばらくすると直接手で触れられないほど天板が熱くなる。冬は暖房代わりになりラッキーだが、ただでさえ暑い名古屋の夏には耐えられない。もちろん、クーラーも扇風機もない狭い部屋。大音量が外に漏れないように窓を閉め、汗をダラダラ流しながら由井正一のアスペクト・イン・ジャズやナベサダのマイディア・ライフを聴いていた。

 FM愛知は、日本で最初の民放FM商業放送局。3番目に開業したFM東京(TOKYO FM)と、ほぼ同じ放送内容。午前零時のジェットストリームの前は、23時45分から「あいつ」が流れる。トヨタ自動車提供。日下武史の個性的な声でハードボイルドなストーリーが朗読される。都会の夜の無機質な情景を連想させるBGM、コツコツ響く靴音やBARの扉をあける効果音。なんといっても劇中1曲だけの選曲がブラックでファンクでカッコイイ。外人部隊出身の凄腕な「あいつ」が敵と遭遇し、時にはピストルの効果音が私の部屋を揺るがす。大人の雰囲気満載で私の憧れるすべてが凝縮された番組だった。イタズラな神様に、好きな番組一つだけ聴かせてあげると囁かれたら、間違いなく日下武史の「あいつ」をリクエストする。

 その番組のオープニング曲、イギリス映画「GET CARTER(狙撃者)」のメインテーマ。ハープシコードとベースのコラボで始まるクールな曲。今でも、この曲を聴くと日下武史の顔と深夜の自室に熱気を孕んだレシーバーと番組の黒い雰囲気、若さだけが有り余っていた甘酸っぱい想い出の日々が蘇る。

Get Carter / Roy Budd

 あの時代、深夜放送・深夜営業という言葉が当たり前に通用していた。いつの頃からか「深夜」という感覚のない世の中になってしまった。24時間営業という便利なものが巷に溢れているせいに違いない。

I shall be released

 ザ・バンドのラストコンサートでフィナーレを飾った "I shall be released" は、ボブ・ディランの代表作。「現代の吟遊詩人」と称されるディランゆえに、メロディの美しさもさることながら歌詞も美しい。released(解き放つ)" という言葉で「自由」を表現し、"someday(いつの日か)" ではなく "anyday(いつだって)" で、「いつか自由になる」んじゃなく「いつだって自由でいられる」と謳っている。

 10年ほど前、田舎のFM局で毎週日曜夜に2時間の生放送を担当していたが、3年半続いた番組の最終回でフィナーレを飾ったのが「この曲」。Jazz番組としては異例の選曲だが、始めたときから最後は、この曲で締めようと決めていた。山口百恵の「さよならの向う側」でも、キャンディーズの「つばさ」でも、X JAPANの「ザ・ラスト・ソング」でもなかったのは、やはり、ザ・バンドの「ラスト・ワルツ」の影響だろう。

Bob Dylan / I shall be released



"I shall be released"

They say ev'rything can be replaced
Yet ev'ry distance is not near
So I remember ev'ry face
Of ev'ry man who put me here
I see my light come shining
From the west unto the east
Any day now, any day now
I shall be released


何事にも代わりはあるという
道のりは常に遠いらしい
だから僕は忘れない
僕をここに送った人々を
光が僕を迎えにくる
はるか西から東に
いつだっていつだって
僕は自由でいられる

They say ev'ry man needs protection
They say ev'ry man must fall
Yet I swear I see my reflection
Some place so high above this wall
I see my light come shining
From the west unto the east
Any day now, any day now
I shall be released

人間は弱いものらしい
すべての人間は堕落するという
でも僕には自分の姿が見える
この壁の上のずっとかなたに
光が僕を迎えにくる
はるか西から東に
いつだっていつだって
僕は自由でいられる

Standing next to me in this lonely crowd
Is a man who swears he's not to blame
All day long I hear him shout so loud
Crying out that he was framed
I see my light come shining
From the west unto the east
Any day now, any day now
I shall be released

この孤独な群衆の中に
無実を訴える者がいる
一日中彼は叫び続ける
ぬれぎぬを着せられたと
光が僕を迎えにくる
はるか西から東に
いつだっていつだって
僕は自由でいられる


 この曲は、ジョーン・バエズやピーター・ポール&マリー、ベット・ミドラー、ザ・ホリーズ、ザ・バーズなど、多くのミュージシャンにカヴァーされている。なかでも「ニーナ・シモン」が唄うと雰囲気が変わり、捨てがたい魅力ある一曲になっている。

Nina Simone / I shall be released

 日本では、「ディランⅡ」や友部正人、岡林信康、忌野清志郎らが意訳して日本語で唄っている。なかでも「ディランⅡ」の大塚まさじの訳は、タイトルが「男らしいってわかるかい」となり原曲とは全く異なる超訳。ここまで変わると、意訳と云うより創作といったほうがイイ。

 泥臭い唄い方のせいか、一番ボブ・ディランの雰囲気を醸し出しているように思う。ピエロや臆病者が男らしいと唄っているが、その云わんとする深い意味を理解できないのは、私が男らしくないせいかしら。

 RC サクセッション忌野清志郎の意訳は、KING OF ROCKらしく社会の権力に抵抗する姿勢を前面に出す内容になっている。さすがに「ロックしてるぜぇ!」という雰囲気満々。早い話が、他人の曲に自分の詩を重ねる手法だが、これに関する清志郎の才能は天才的。

 その天才ぶりに触れるには、「I shall be released」ではなく「サマタイム・ブルース」を聴くに限る。内容が過激過ぎて所属レコード会社東芝EMIで発売中止となった「COVERS」(1988録音)に収録。チェルノブイリ事故のあとということもあり、原発サプライヤー東芝の子会社東芝EMIにとっては喉元に刺さる棘。親会社の圧力で発売中止となったが、他のレーベルから発売された。このアルバムで取り上げられた「サマタイム・ブルース」は、エディ・コクランやザ・フーの名曲に自作の歌詞を乗せたもの。反原発への熱い想いをぶつけたパフォーマンスは最高の出来だと思う。当時、日本には原発が37基しかなかった。「癌で死にたくねぇ」というアドリブが印象的だが結局、癌で亡くなった。今も生き続けていて福島を見る機会があったなら、よりパワフルなメッセージを発して世論形成の最前線にいたことだろう。

プカプカ - 西岡 恭蔵

 学生の頃だから40年も前のこと、大阪出身のクラブの先輩が実家へ帰るというので付いていった。当時、名古屋に居た私は短い休みに北海道へ帰るのは面倒ということもあり、アチコチ近間の友人や先輩の家に世話になることが多かった。このときが、マイ・ファースト・大阪ステイ。その夜、連れられてミナミに遊びに行った。難波の駅で降りて何処をどう歩いたのかわからないが、カウンターと椅子席だけの小さな店。ライブハウスではなかったような気がする。カウンターに居たお客さん?が皆に「ヤレ!ヤレ!」と囃されて、その場でギター片手に唄い出したのが「プカプカ」。泥臭い哀愁ただようブルース、さすが大阪はバタ臭いというのが第一印象だが心に残るイイ曲で一辺にファンになってしまった。今にして思えば、アイツが「西岡恭蔵」だった。

 ♪俺のあん娘はタバコが好きで いつもプカプカプカ~

 その後、ときどきラジオで流れる曲に耳を傾けていたが、あるとき「ハスッパなイメージの『あん娘』は、実は深い愛情の持ち主」であることに気づく。4番の歌詞に占いが好きというくだりがあるが「明日死ぬという占いが、いつかは当たる日が来る。それまでは一緒にいようね」というラブソング。素直になれないオトコとオンナの不思議な幸せ感がにじむ。

 この曲は、ジャズ・シンガー安田南をモチーフに作られたらしい。大塚まさじ、原田芳雄、桃井かおり、泉谷しげる、桑田佳祐、大槻ケンヂ、福山雅治など、多くの人にカバーされている。時代を超える名曲だと思う。

もう話したくない

 クルマを運転するとき、車内が無音であると落ち着かない。だから、常に何某かの音楽が流れている。一人だけの空間で誰にも邪魔されず音楽を聴くのは好きな時間なので、運転するのは苦にならない。

 運転の途中、列車通過のため踏切で一時停止をすることがある。そのとき決まって私は、必ず運転席側の窓を少しだけ開ける。こうすると、車内に広がる音楽と車窓から飛び込む列車の音が重なりナントも云えないイイ感じで、まるで目の前を通過している列車とともに私の心も旅をしてるような感覚になる。だから、運転中に目の前の遮断機が下りはじめると「ラッキー!」と思う。ただ、私の住んでる田舎では単線に1両編成の列車しか走っておらず、すぐに通り過ぎてしまうのがツマラナイ。運が良ければ、たまに延々と長い貨物列車の通過にぶつかることもある。

 踏切と云えば余談だが、一時停止違反で捕まった知人が「いつ列車が通るかわからない田舎の踏切と、開かずの踏切のような都会の踏切で反則金が同じなのはオカシイ」と最高裁まで争った奴がいる。裁判には負けたそうだが一理あるとも思う。

 クルマの車窓から飛び込む列車の音は、ガタンゴトンと遠くから近づき目の前で最高頂に達しドップラー現象で遠ざかってゆく。この雰囲気は、列車の中にいては味わえないが、リタ・クーリッジが唄う「I Don't Want To Talk About It」に列車の音をかぶせると、別の意味でいい雰囲気が漂ってくる。

 "I Don't Want to Talk About It" は、ロッド・スチュワートが得意とする持ち歌。「セーリング」と並ぶ代表的なバラード。「どんなに心が傷ついたかなんて、もう話したくない」というサビの部分が印象的な美しい曲。オリジナルは、ニール・ヤングのバックバンド「クレイジー・ホース」のダニー・ウィッテン。

 もう話したくない / I Don't Want To Talk About It (Danny Whitten)

 お前の目を見れば解るよ お前はずっと泣き続けていたのが
 夜空の星はお前には何の慰めにもならない そいつはお前の心を写したようなものだからな

 お前が俺の心をどんなに傷つけたかは 話したくないが
 でももう少しここに居させてくれ
 ここに居られるなら 俺の胸のうちを聞いてくれ 俺のつらい胸のうちを

 もしお前と別れて一人でやって行けるのなら 影は俺の心のうちを隠してくれるだろうか
 涙の水色 夜の恐怖の黒の色を
 夜空の星はお前には何の慰めにもならない そいつはお前の心を写したようなものだからな

 お前が俺の心をどんなに傷つけたかは 話したくないが
 でももう少しここに居させてくれ
 ここに居られるなら 俺の胸のうちを聞いてくれ 俺のつらい胸のうちを
 俺の胸のうちを・・・

 お前が俺の心をどんなに傷つけたかは 話したくないが
 でももう少しここに居させてくれ
 ここに居られるなら 俺の胸のうちを聞いてくれ
 俺の胸のうちを

 この曲といえば、もちろんロッド・スチュワート。ライブでは必ずといっていいほど取り上げられ、決まって観客の大合唱がある。数あるこの曲の録音の中でのマイベストは、ロイヤル・アルバートホールでの一夜かぎりのチャリティーライブ。ロッド・スチュワートとデュエットする「エイミー・ベル」は、この時点でまったく無名のシンガー。1週間前までグラスゴーのストリートで歌っていたところをロッドに見出されたという。エイミーの初々しさと、それを気遣うロッドの優しさが何ともいい感じ。

悲しき天使

 1968年、ザ・ビートルズが設立したアップル・レコード。ビートルズやメンバーのソロ活動をレコーディングしたのはもちろんだが、あらゆるジャンルのアーティストのレコードを出版した。その中でもビートルズに次いで有名なのは、ビートルズの弟分と云われた「バッドフィンガー」。ニルソンやマライア・キャリーなど多くのミュージシャンにカヴァーされた不朽の名作「ウィズアウト・ユー」は、彼らのオリジナル。ジェームス・テイラーのソロ・デビューは「アップル・レーベル」だったし、MJQ(モダン・ジャズ・カルテット)もアップルに2枚吹き込んでいることは、あまり知られていない。

 ビートルズの曲を含めて、アップルレコードの中で最も多くの日本人の記憶に残るのは「悲しき天使(Those Were The Days)」ではないだろうか。

悲しき天使 悲しき天使 悲しき天使

 アップルでのメリー・ホプキンの曲だが、森山良子らがカヴァーして流行り、後に「花の季節」というタイトルで中学音楽の教科書に掲載された。原曲はロシアの歌謡曲だが、哀愁漂うメロディは一度聴くと忘れられない。

 私が20歳前後にメリー・ホプキンや森山良子で聴いた、この曲と再び巡り会うのは10年ほど経ってから。ススキノ玉光堂で買ったデクスター・ゴードンのアルバム「THE TOWER OF POWER!」を聴いたときのこと。B面最後の曲、どこかで聴いた懐かしいメロディだが、すぐにこれが「悲しき天使」だと気づかず、情感豊かに歌い上げるデックスに聴き惚れて何度も針を下ろしていた。それまで聴いていた力強い男臭さとは違う魅力のデックスに触れた瞬間だった。

Reptile - Eric Clapton

 ヤードバーズ、クリーム、ブラインド・フェイスと変遷を重ね、ザ・ドミノスで名盤「レイラ」をレコーディング。実質的ソロ活動開始となる「461 オーシャン・ブールヴァード」で、ボブ・マーリィの「アイ・ショット・ザ・シェリフ」をカバー。「ノー・リーズン・トゥ・クライ」「スローハンド」などのアルバムを出し続けたエリック・クラプトン。その時々によって、アルバムのコンセプトや曲想に変化があったが、特に息子を失った悲しみや麻薬から立ち直り、映画「ラッシュ」のサウンドトラックとして発表した「ティアーズ・イン・ヘヴン」や「MTVアンプラグド」のアルバムでの変化は印象的だった。

 ブルースが堪能できる「フロム・ザ・クレイドル」、高みに昇った「ピルグリム」、B.B.キングとの「ライディング・ウィズ・ザ・キング」などなど数えあげるとキリがないが、私が一番好きなクラプトンのアルバムと云えば「レプタイル」。

Reptile Reptile / Eric Clapton

1. Reptile
2. Got You On My Mind
3. Travelin' Light
4. Believe In Life
5. Come Back Baby
6. Broken Down
7. Find Myself
8. I Ain't Gonna Stand For It
9. I Want A Little Girl
10. Second Nature
11. Don't Let Me Be Lonely Tonight
12. Modern Girl
13. Superman Inside
14. Son & Sylvia

 キーボードにビリー・プレストン、ドラムにスティーヴ・ガッドを迎えてナマ音サウンド。素朴で柔らかく、クラプトンらしいブルース・フィーリング溢れた出来になっている。なによりも曲順を含めて構成がイカしてる。レコードの時代、アルバムはA面B面を途中で針を上げることなく通して聴くものだったが、CDになってからツマラナイ曲は簡単に飛ばせるようになり聴き方が変わった。特にレコードの片面は、せいぜい20分くらいで一気に聴くにはちょうどいい長さだが、これがCDになると1枚聴くのに60分はかかってしまう。だいたい途中で飽きてしまうのが常だが、この「レプタイル」は私を飽きさせることがない。

 穏やかなガットギターの音色で1曲目が始まり、クラプトンの唄心満載のブルース・ナンバーが続く。ときにはブルージーに、ときにはジャージーに心躍らされ、10曲目の「Second Nature」にいたる頃には、心だけじゃなく身体まで大きく揺れはじめ、椅子から立ち上がりその辺を踊りまわる自分がいる。盛り上がりとともに迎えるエンディング「Son & Sylvia」では、高ぶった心をクールダウンさせるようにストリングスとプレストンのハーモニカが美しく、静かに幕を閉じていく。

 私は、値段の関係で「輸入盤」しか買わないと決めている。ときには輸入盤と日本盤では、入っている曲の数に違いがある。これは、日本盤にはサービスとしてボーナス・トラックが追加される場合があるからだ。このアルバムの日本盤にも、トラック15に「Losing Hand」という曲が追加収録されている。これを「得した」と捉えるか、せっかくのアルバム構成が台無しで「余計なコトしやがって」と考えるかは、人それぞれ。輸入盤しか持ってない私にはコメントする資格はないが、このアルバムのコンセプトにノックアウトされた身としては、余計なことはしないで欲しいと思う。

(日本盤ですが、こちらで試聴できます。)
(安い輸入盤は、こちらで購入できます。)

夢の共演に感激!

 ザ・バンドの1976年解散コンサート「ラスト・ワルツ」には、数多くの豪華なゲスト・ミュージシャンが参加し共演。ゲストは全員ノーギャラでの出演だったらしい。エンディングでは、参加者全員が「I Shall Be Released」のコーラスでフィナーレを飾るが、ボブ・ディラン、ニール・ヤング、エリック・クラプトン、マディ・ウォーターズ、ヴァン・モリソン、ドクター・ジョン、ジョニ・ミッチェル、ボビー・チャールズ、ロン・ウッド、リンゴ・スター、ロニー・ホーキンズ、ニール・ダイアモンドなど世界のビッグネームが唄う姿を映画で観て「かつて洋楽少年」だった私は、興奮・感動したことを覚えている。現在、CDでも手に入るが、できれば映像で観る方が楽しい。

 普通には有り得ない、有名アーティストが一堂に集まって大勢で唄うという企画に「チャリティ・ソング」が挙げられる。1984年12月3日、イギリスで「バンド・エイド」という名のプロジェクトが結成され、エチオピア飢餓救済のため「Do They Know It's Christmas?」がリリースされた。フィル・コリンズ、ジョディ・ワトリー、スティング、デヴィッド・ボウイ、ポール・マッカートニーら多数のアーティストが参加。バンド・エイドは1989年、2004年にも開催される。これに触発される形でアメリカでは「USA for Africa」が結成され、ライブエイドなどへとつながるチャリティー・ブームを巻き起こした。

 1985年「USA for Africa」は、アフリカの飢餓救済のためチャリティー・ソング「We Are The World」をリリース。「USA」はアメリカのことではなく「United Support of Artists」の略である。アメリカでスーパースターと呼ばれる多くの人達が参加した。

 クインシー・ジョーンズが指揮を執り、ソロを唄うのは、ライオネル・リッチー、スティーヴィーワンダー、ポール・サイモン、ケニー・ロジャース、ジェームス・イングラム、ティナ・ターナー、ビリー・ジョエル、マイケル・ジャクソン、ダイアナ・ロス、ディオンヌ・ワーウィック、ウイリー・ネルソン、アル・ジャロウ、ブルース・スプリングスティーン、ケニー・ロギンス、スティーヴ・ペリー、ダリル・ホール、ヒューイ・ルイス、シンディ・ローパー、キム・カーンズ、ボブ・ディラン、レイ・チャールズ 。

 コーラスには、ダン・エイクロイド、ハリー・ベラフォンテ、リンジー・バッキンガム、マリオ・シポリナ、ジョニー・コーラ、シーラ・E、ボブ・ゲルドフ、ビル・ギブソン、クリス・ヘイズ、ショーン・ホッパー、ジャクソン・ファミリー、ウェイロン・ジェニングス、ベット・ミドラー、ジョン・オーツ、ジェフリー・オズボーン、ポインター・シスターズ、スモーキー・ロビンソンらが参加。こんな豪華なショウは前代未聞。チャリティじゃなく、マトモにギャラを払ったら、このPV制作にイッタイいくら掛かるのだろう。

 25年経過して2010年、ハイチ地震被災者支援のためのプロジェクト「We Are The World 25 Years for Haiti」をレコーディング。 1985年のオリジナル以上に多数のメンバーが参加。マイケル・ジャクソン亡きあとだが、過去の映像が使われジャネット・ジャクソンとデュエットするシーンもある。この年代になると私にわかるアーティストも限られてくる。顔と名前が一致するのは、クインシー・ジョーンズ、トニー・ベネット、マイケル・ジャクソン、ジャネット・ジャクソン、バーブラ・ストライサンド、セリーヌ・ディオン、パティ・オースティン、ナタリー・コール、ハリー・コニック・ジュニア、グラディス・ナイト、ブライアン・ウィルソン、ナンシー・ウィルソンくらいだが、これだけでもスゴイこと。

 大勢のアーティストが一堂に会するパフォーマンスに感激する私だが、AKBとSKEとSDNとNMBとHKTとSPRが束になって、48×6=総勢288人でかかってきても嬉しくもナンともないなあ。

THE WINNERS

 今年の年末は、いつになくノンビリ。ユッタリと音楽三昧の日々を過ごしている。久しぶりに手に入れたアルバムが「大アタリ」。気に入って、何度も繰り返し聴いている。

THE WINNERS  THE WINNERS /
 Live at the Dolder Grand Hotel Zurich

 1. Autumn Leaves
 2. Invitation
 3. In Your Own Sweet Way
 4. My Foolish Heart
 5. Summertime
 6. The Days Of Wine And Roses
 7. If I Should Loose You

 FRANCO AMBROSETTI(tp flh)
 THIERRY LANG(p)
 HEIRI KANZIG(b)
 PETER ScHMIDLIN(ds)

 スイス、チューリッヒにあるドルダー・グランド・ホテルでのライブ盤。なぜ「THE WINNERS」というタイトルかというと、スイスのジャズ誌「Jazz N'More' magazine」の読者投票でのウィナー達の記念ライブだという。実力・人気ともに最高の連中な訳でハズレのはずがない。ただ、各部門ごとのウィナーが集まっての演奏と云うことは、この日のために結成された一夜限りのバンドと云うことになる。つまり、ぶっつけ本番のライブ。だからといって、適当に合わせてやろう的な雰囲気は全くなく緊張感と熱気、調和と実力と気力が溢れている。曲目は、すべてスタンダード・ナンバーだが、そんじょそこらのヤワな演奏ではない。この白熱した演奏に浸っていると、私も会場の一席に身を置き、興奮に汗してる感覚になる。あまり触れることのないスイス・ジャズだが、このアルバムに巡り会えてヨカッタと云える一枚。


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