遠い昔のラヂオのこと

 「9500万人のリクエスト」かあ。懐かしいなあ。当時、日本の人口は1億人に達していなかったんだ。あの頃、音楽との接点はラジオだった。アノ番組を初めて聴いたのは中学1年の頃、従兄弟の家に泊まったときだった。不思議なことに最近ではよく物忘れをするのだが、その頃のことはハッキリと記憶に残っている。イッペンに60年代ポップス専門番組に心をつかまれてしまった。進行役は小島正雄さん。Cash Boxのランキングも紹介されていた。当時は夜8時からの1時間番組だったような気がする。

 ネットで調べてみると、当時のランキングが載っていた。ビートルズがデビューした1963年の放送には、まだ彼らの名前は出てこない。国内でビートルズがブレイクし、ヒットチャートを独占するのは翌年から。(1963年9月13日放送のヒットチャート)
1位 アイ・ウィル・フォロー・ヒム(リトル・ペギー・マーチ)
2位 悲しき雨音(カスケイズ)
3位 ヘイ・ポーラ(ポールとポーラ)
4位 ミスター・ベースマン (J.シンバル)
5位 大脱走のマーチ (サントラ)
6位 サンライト・ツイスト(J.モランディ)
7位 サマー・ホリデイ(クリフ・リチャード)
8位 パフ(ピーター、ポール&マリー)
9位 キューティーパイ(J・ティロットソン)
10位 恋のバカンス(カテリーナ・バレンテ)
11位 悲しき悪魔(エルヴィス・プレスリー)
12位 禁じられた恋の島(エリオ・ブルーノオーケストラ)
13位 悲しきカンガルー(P・ブーンorR・ハリス)
14位 ヤング・ワン(クリフ・リチャード)
15位 暑い夏を吹っ飛ばせ(ナットキングコール)
16位 風に泣いている(ポール・アンカ)
17位 涙のバースデイパーティー(L・ゴア)
18位 サーフィンUSA(ビーチ・ボーイズ)
19位 けんかでデート(ポールとポーラ)
20位 メッカ(ジーン・ピットニー)
21位 ラッキー・リップス(クリフ・リチャード)

 どの曲も懐かしい。私の音楽の原点はこの辺にあるのかもしれない。この他、前田武彦の「ヒットパレード」や「S盤アワー」「L盤アワー」という洋楽番組もあったなあ。

 高校2~3年の頃になると、深夜放送を聴くのが日課となった。机に向かって参考書を拡げ「勉強しているらしいモード」に親が安心しているのをイイことに耳も心もラジオに捕らわれていた。どちらかというと「オールナイトニッポン」より「パックインミュージック」派だった私は、金曜深夜の「なっちゃんチャコちゃんの野沢那智・白石冬美コンビ」の「御題拝借」のファンだった。

 ただこの頃、もっと気になる番組があった。午前2時くらいからの10分か20分の短い番組だったが、乾宣夫がピアノでスタンダードナンバーを弾き語りする「マジックピアノ」。オープニングはオカマっぽく、ゆったりと間延びした声で「こんばんは~、イヌイノブオで~す。ま~だ起きてるの~?」で始まる。この番組で数多くのスタンダードナンバーに触れ、あとあと私がJAZZを好むようになる下地ができたのだと思う。

 中高生の頃に聴いたポップス番組、深夜放送を経て浪人時代はFEN、大学に入ってからFM放送という変遷を経て、私の音楽人生に多大な影響を及ぼしたラジオだが、まさか自分が50才を過ぎてからDJで番組を持つとは夢にも思わなかった。

 ラジオは聴くのも出るのも楽しかったなあ。

 本日(9/9)午前零時、ビートルズのデジタル・リマスター盤が世界同時発売。銀座のレコード屋さんでは、夜中に行列ができたとか。違うか、今はレコード屋さんじゃなくCDショップと言うんだっけ。デジタルというくらいだから、もちろんCDでリリース。初期のアルバム4作はステレオ音源にリマスターされたらしい。

 今だに根強いファンがいるビートルズだが、それぞれの年代によって受け止め方はイロイロなんだろうなあ。すでに人生の下り坂を歩いている私が、今の若い人たちに唯一自慢できることといえば、ビートルズとリアルタイムで過ごしてきたということくらいだ。中学2年の時、「プリーズ・プリーズ・ミー」を、それに続く「抱きしめたい」を聴いたときの心の高ぶりは、それまで聴いていたクリフ・リチャードやポール・アンカやプレスリーでは到底感じられなかったモノ。ナニかが違う。理性で感じるのではなく肌で感じるナニかが違う。曲のテンポにカラダが反応する。そこからヤツラとのツキアイは始まった。

 音楽的な変遷は目まぐるしく変わり、ロックン・ロール時代からラバー・ソウルあたりの美し過ぎるメロディを経てサージェント・ペッパーからアビーロードへと移りゆく。私にとって最高傑作と思われたラバーソウルを凌ぐアルバムを次々と出してゆく。一時私は、ヤツラはきっと宇宙人に魂を売った代わりにメロディを与えてもらってるんじゃないかと真剣に考えたことがある。それほどに美しく、かって誰もが創り上げることができなかったメロディが次々と発表された。結局、それが今スタンダードナンバーとして私たちの周りに満ちあふれている。

ビートルズ赤盤レコード これまでヤツラと長くツキアッテきた私だが、夜中に並んでまでリマスターCDを買おうとは思わない。デジタルだとかモノラル盤がステレオになったとか、そんなことはどうでもイイことだ。どうせ高域なんか聴こえない年齢になってきたということも理由の一つだが、私は昔、音を聴いていたのではない。音楽を聴いていたのだ。お小遣いを貯めて、やっと手に入れたスピーカーが1個しかついていない卓上レコードプレーヤーで、サファイア針が擦り切れるまで、ビートルズと一緒に幸せな時間を過ごしてきた。

 そんな想い出をデジタルだとかイイ音だとかで聴きなおしたとしても、あの頃の感動を手に入れることはできないだろう。だから今だに赤盤のレコードでヤツラと一緒に時を過ごしている。

 当時、東芝からでていたビートルズは、赤い透明なレコードだった。レコード界の技術革命、静電気が起きず永久にチリホコリがつかないといわれた「EverClean」という赤いレコードは今だに健在で、今でも充分私に温もりを与えてくれている。

案山子 - さだ まさし

 こぶしの花が咲きました。千昌夫の「北国の春」でも春を告げる花として唄われています。

 都会で暮らす男が実家から届いた小包を受け取り、早春の故郷や家族、かつての恋心を想い望郷の念を抱く唄。

 白樺 青空 南風
 こぶし咲くあの丘 北国の ああ 北国の春
 季節が都会ではわからないだろうと
 届いたおふくろの小さな包み
 あの故郷へ帰ろかな 帰ろかな

 雪どけ せせらぎ 丸木橋
 落葉松の芽がふく 北国の ああ 北国の春
 好きだとおたがいに言いだせないまま
 別れてもう五年あの娘はどうしてる
 あの故郷へ帰ろかな 帰ろかな

 山吹 朝霧 水車小屋
 わらべ唄聞こえる 北国の ああ 北国の春
 兄貴も親父似で無口なふたりが
 たまには酒でも飲んでるだろか
 あの故郷へ帰ろかな 帰ろかな

 もう一方、故郷にいる兄が都会で暮らす弟を気遣い、雪の中に取り残された案山子になぞらえメッセージを送る唄。さだまさしの「案山子(かかし)」。これは結構ジーンときます。息子達が内地で学生生活を送っているあいだ、こんな心境でした。よくカラオケで唄ったなあ。

 元気でいるか 街には慣れたか 友達できたか
 寂しかないか お金はあるか 今度いつ帰る

 城跡から見下ろせば 蒼く細い河
 橋のたもとに 造り酒屋のレンガ煙突
 この街を綿菓子に 染め抜いた雪が
 消えればお前が ここから出て 初めての春

 手紙が無理なら 電話でもいい 金頼むの 一言でもいい
 お前の笑顔を 待ちわびる お袋に聴かせてやってくれ

 元気でいるか 街には慣れたか 友達できたか
 寂しかないか お金はあるか 今度いつ帰る

 山の麓煙はいて 列車が走る
 木枯しが雑木林を 転げ落ちてくる
 銀色の毛布つけた 田圃にぽつり
 置き去られて 雪をかぶった 案山子がひとり

 お前も都会の 雪景色の中で ちょうどあの案山子の様に
 寂しい思い してはいないか 体をこわしてはいないか

 手紙が無理なら 電話でもいい 金頼むの 一言でもいい
お前の笑顔を 待ちわびる お袋に聴かせてやってくれ

 元気でいるか 街には慣れたか 友達できたか
 寂しかないか お金はあるか 今度いつ帰る
 寂しかないか お金はあるか 今度いつ帰る

 マイジャガーのCDチェンジャーが壊れてしまった。修理のため取り外してもらったら、すべての音がまったく出ない。チェンジャー本体にアンプが組み込まれていたらしい。CDもMDもラジオもテレビもすべて・・・

 この状態で札幌を往復した。片道約2時間のドライブの間、車内に響くのはタイヤが道路を擦る音とわずかなエンジン音のみ。ただひたすらハンドルを握り路面を走る。まったく音がないわけではないが、意識の中では無音。不思議な世界だ・・・

 いつもは、何らかの音が流れている。例えば、枝雀であったり、マイルスであったり、ビーチ・ボーイズであったり、ゼナであったり。心はどこか音が流れる世界を彷徨いながら運転している。余談だがドライブ中、踏み切りに差し掛かり遮断機が下りていると、一時停止後、決まって運転席側の窓を少し開ける。そうすると、踏み切りのカンカンカンという電子音とガタンガタンとレールを鳴らしながら通り過ぎる列車の音がサラウンドで車内に流れ込む。車内の音楽とイイ感じで重なり、私も何処かへ旅をしている気分になる。

 という訳で、私にとってクルマの中でのBGMは必須アイテム。しかし、いまだチェンジャーは入院中。しばらくは「耳寂しい」無音の世界に浸らなければならないようだ。私なりに勝手に解釈してみると、人間は、「無音の世界」では孤独を感じ、安心感を得るために心地よい音楽を求めるのかもしれない。

 話は変わるが、BOSEに「ノイズキャンセリング・ヘッドホン」というのがあるらしい。イヤーカップ内部に超小型集音マイクが付いていて外からの騒音をキャッチ、収集したノイズデータと逆位相の信号を発生して、イヤーカップ内のノイズをキャンセルする。クリアに音楽が聴けるらしい。ということは、音楽を聴かずとも周囲の雑音をカットするのに役立つということ。荒川静香が本番前に集中力を高めるために使っているそうだ。

 音を聞くのみならず、音をカットするためのヘッドホン。世の中、雑音だらけとはいえ、何か腑に落ちないよなあ・・・

 私は、静寂は好むが無音は苦手だ。

 いやー、スゴかったなあ。先ほどまでWOWOWの前に釘付け。何がスゴイって、アメリカのパワーに圧倒されていた。

 「オバマ大統領就任記念コンサート」、1月20日の就任式に向けての記念行事の一つである。18日午後、ワシントンの「リンカーン記念館」で開催されたもの。50万人もの観客が厳寒の野外に埋めつくす会場での豪華メンバーのパフォーマンス。

ブルース・スプリングスティーン、メアリー・J・ブライジ、ロブ・マシューズ・バンド、ジョン・ボン・ジョヴィとデュエットするベティ・ラヴェット、ジェイムズ・テイラー、ジョン・レジェンド、シュガーランドのジェニファー・ネトルズ、ジョン・メレンキャンプ、ジョシュ・グローバンとヘザー・ヘッドリー、シェリル・クロウ、ハービー・ハンコック、ウィル・アイ・アム、ソプラノ歌手のルネ・フレミング、ガース・ブルックス、スティーヴィー・ワンダー、アッシャー、シャキーラ、U2、89歳のピート・シーガーと孫のタオ・シーガー・ロドリゲス、ビヨンセなど。また、プレゼンターとしてトム・ハンクス、デンゼル・ワシントン、ジェイミー・フォックス、クイーン・ラティファ、マーティン・ルーサー・キング3世、タイガー・ウッズらも出演。

 ビル・ウィザーズの72年の全米No1ヒットの「リーン・オン・ミー」をメアリー・J・ブライジが唄い、あの頃を懐かしく想い出した。他にサム・クックの代表曲「チェンジ・イズ・ゴナ・カム」や、ジェイムズ・テイラーの「シャワー・ザ・ピープル」などなど。永遠のセックスシンボル、シェリル・クロウやハービー・ハンコック、カントリー界のスーパースター、共和党支持者のガース・ブルックスらが、普段観ることのできないコラボレーションを演じ、最高のステージ。コンサートをトリは、スーパースターのビヨンセ。「アメリカ・ザ・ビューティフル」を熱唱、最後は全員の大合唱でコンサートの幕は下りた。

 毎年感動しながら観ている2月のグラミー授賞式よりも楽しい番組だった。もし私が共和党支持者だったとしても「オバマと一緒に頑張ろう」という気持ちにさせられるコンサートだった。観客として、あの歴史的な場に立ち会った人々には一生忘れられない想い出になったことと思う。羨ましいなあー。たとえヌーディストクラブに泊まってでも行ってみたかったなあ。

 さすがアメリカのパワーには、かなわないということを魅せつけられた。音楽はやっぱり、人の心を動かすんだ(すっかり洗脳されてしまった私)

 以前、田舎のFM局でDJをやってました。番組で流したのは、いわゆるモダン・ジャズ。ジャズの歴史の中では、1950~60年代のビ・バップからハード・バップ、そして、60年代初めの頃からの、マイルスのモード・ジャズ。私は、なんといっても4ビートのスゥイングするハード・バップの大ファン。

 1965年、アメリカの北ベトナムへの北爆以来、反戦歌としてのロックが支持を受け始め、そのロックのビッグ・サウンドに対抗するように、ジャズもアンプを通し始め、1970年代には、ロックやソウルを取り込んだフュージョンへと向かっていきました。また、60年代にはコルトレーンやエリック・ドルフィーのようなアドリブ追求型の天才も他界し、どんどんジャズの形態の方向性が変わってきました。

 私に言わせれば、マイルスが「イン・ア・サイレント・ウェイ」あたりから、フュージョンを発展させていったことが彼の悪行なんですね。ウェザー・リポートやチック・コリア、クインシー・ジョーンズを当時は喜んで聴いていた私も、今となってはやはり、あの身体が熱くなるようなハード・バップから抜けきることができずにいます。

 そして、1980年代以降にはロックも先鋭的ではなくなり、単なるエンターテインメントになってきます。と同時に、ジャズもハード・バップなものへと回帰し始めます。まっ、それだけではなくいろんな方向性を持ったジャズが出てきて楽しくはなってくるのですが、私にとってのジャズは、やっぱりハード・バップ!

 というわけで、2000年代のジャズも、なかなか捨てたもんじゃないですねぇ。少し古いけどエディ・ヒギンズのアルバム(煙が目にしみる)の「It's a lonsome old town」、 ウーン、セクシーだなぁ。

Fly me to the moon - Doris Day

 この季節、どんどん日が短くなっていきます。

 薄暮が沈み山の上から月が出はじめると、とっても大きく見えます。「わあー、スッゲェー、デッカイ」と感激するほどです。時がたちそれがだんだん昇るにつれ小さくなっていきます。出はじめと昇りつめた時では何倍にも大きさが違って見えます。

 お月さんは、出はじめは近くにいて昇ると遠くへ離れていくのだと子供の頃から思っていました。でも、それは錯覚なのだと聞かされ、そんな馬鹿なとあちこち調べてみましたが、どこを調べてもやはり錯覚なのだそうです。じつは今でも信じられません。

 「この現象は人間の目の錯覚によるものと言われている。カメラとは異なり、人間の目は視界に入るすべての物体を鮮明に見るべく、常に焦点位置を調節し、脳で画像を合成している。このため月と近場の物体とが同時に視野に入った場合、合成画像では月が巨大化する。逆に空高くに位置する場合は、比較となる対象物が存在しないために、小さく見えるのである。」Wikipedia

 いろいろ調べていくうちに、月の「視直径」は、腕を伸ばして持った五円玉の穴の大きさとほぼ同じであるということがわかりました。空高くにある小さな月は、五円玉の穴にすっぽり収まってしまうように見えますが、地平線近くの大きな月の場合、五円玉の穴にはとうてい入りそうには見えません。ところがなんと実際には小さな月と同じように五円玉の穴に全部が収まってしまうのです。うーん、錯覚とはいえ不思議な現象ですねぇ。

お月様へ簡単に行く方法

 新聞紙一枚あれば簡単にお月様へ行けます。暇な人は新聞紙を42回折り重ね、その上に立ってみて下さい。月までの距離は、およそ38万km。新聞紙の厚さは約0.1mm。これを順に折っていきます。現実に新聞紙を折るのは、せいぜい7回ぐらいが限度らしいですが、それでも何とか42回まで折り重ねてみましょう。

1回 / 0.1×2=0.2mm
2回 / 0.2×2=0.4mm
3回 / 0.4×2=0.8mm
4回 / 0.8×2=1.6mm
・・・・・・・・・
10回 / 51.2×2=102.4mm≒10cm
20回 / 100m
30回 / 100km
40回 / 10万km
41回 / 20万km
42回 / 40万km

 行って来ましたぁ、ナベサダのコンサート。札幌コンサート・ホール・キタラ。「ウィズ・ストリングス」。いわゆるヒモ付き。とっても素敵なコンサートでした。まっ、なんといっても「ウィズ・ストリングスのコンサートは冬」に限るですよね。「渡辺貞夫・バラード・ウィズ・ストリングス / クリスマス・コンサート」と云うくらいのタイトルですからねぇ。とってもロマンティックな雰囲気になってしまう、そんな演奏でした。当然、会場はカップルでイッパイなのだ。

 どうして、「ウィズ・ストリングスのコンサートは冬!」ということにこだわるのか。

 なんたって、ウットリするようなイイ雰囲気ですからねえ、恋する人々にとっては最高のシチュエーション。ナベサダが、アルト・サックスをソプラニーノに持ち替えた瞬間、そこは、まるでケニー・G の世界。カップル同士が周りの視線に隠れ、手を重ね肩を寄せ合い自分達の世界に浸ってゆく。

 そしてコンサート終了。会場を出る。外は真っ白な雪の世界。街灯に照らされて雪が舞う。マイナスの気温の中「寒くないかい?」なんてことを言いながら、互いに肩を寄せ腕を組み、彼のコートのポケットの中で彼女の指を握り締め、白い息を吐きながら歩く。うーん、なかなか絵になるじゃないですか。

 まずは、お洒落なレストラン。あまり明るくない店の方がいいなぁ。薄明かりの中で、テーブルランプの灯りだけというのがベスト。ワイングラスをカチンと合わせ「今夜はアリガトウ!あなたの音楽の趣味って素敵よね。うふん♡」なーんてことを云われてごらんなさい。たまりませんよお。でも注文した料理には、あまり手をつけず。互いに「コノアトノ展開」にナニかを期待して、あまり食欲がない。身も心も温かくなった頃、ついに店を出て向います。

 高層ホテル

 眼下に夜景を見下ろす部屋。二人は窓辺にたたずみ夜景を眺めながら、どちらからともなく身体を寄せ合い。なーんていう展開になってしまうんですねぇ。ウィズ・ストリングス・コンサートのあとは(ホンマかいな?)

 ですから、これはゼッタイ寒い季節じゃないとダメなんです。この状況を猛暑の夏に置き換えて想像してみて下さい。「ナンデこのクソ暑いのにベタベタすんのさ!」って云われるのが落ちですから。

 季節的にも絶好調のそんな夜、純真無垢な下心を持った私は、開演ギリギリに会場に着きました。ところが、待ち合わせのエントランスに居るはずの彼女の姿が見えない。そこで携帯に連絡を入れると、なんと!

 「ゴメンなさい、仕事が入ったの」

 「えーっ!」ドタキャン!

 胸いっぱいに膨らんだ純真無垢な下心の捨て場所もなく私は寂しく会場へ。カップルで溢れた会場の中。私の隣りの席だけがポッカリ空いていて男がポツンと一人。「ほらっ、ねぇ、あれ、あの人、ドタキャンされたんじゃないの?」なんて声が周りから聞こえてきそうな雰囲気の中、開演を待つ。まっ、別にイイけどさ。あの会場の中で下心もなく純粋に音楽を聴いていたのは、きっと私一人だけだったと思うよ。

 1階7列26番

 これが札幌コンサートホール・キタラ大ホールでジャズを聴くベストポジション。ということで行ってきましたあ。富士通コンコード・ジャズフェスティバル。なんたって、目当てはスコット・ハミルトン。まさに肩の凝らない楽しいジャズ。スィング、いやニュー・スウィング。自然にカラダが揺れてくる、そんな雰囲気のとっても楽しいイベントでした。

 ところが、それ以上にヨカッタのが、サイラス・チェスナットのピアノトリオ。「若手の中で誰よりも早く個性を確立した若き巨人」と云われるだけのスゴイ奴。なかでも、出だしで「ん?」と思わせるケリー・ブルーは最高のパフォーマンス。きっとウィントン・ケリーも、あの世から絶賛の拍手を送ってるんだろうなぁー。ただ、40才の若さであのカラダ、あんなにデブでエーンカ?きっと長生きせんよなー。

 そしていよいよ、ハリー・アレンとスコット・ハミルトンのダブル・テナー。なんたって、リズムセクションの豪華さというか高齢化というか、往年の偉大なミュージシャン達、ピアノのジョン・パンチ(82才)、ドラムスのジェイク・ハナ(71才)、ギターのバッキー・ピザレリ(77才)、49才のハミルトンが子供、それより12才も年下のアレンなんか、まるで孫のよう。でもそんな組み合わせがイイんですねぇ、どこか和やかで。レスター・ヤング、コールマン・ホーキンス、ベン・ウェブスターを彷彿とさせる彼らのテナーに自然とカラダがノリノリ。と思ったら、隣の奴がカラダを揺らしてるもんだから、こっちの椅子まで揺れてやんの。

 そうこうしてるうちに、ラストナンバー。たまたま縁あって一緒に連れていった隣席の女性、カラダが大揺れに揺れてきて、とってもノリノリのご様子。アドリブのあとの拍手の仕方も興奮気味。演奏後半のフォーバース、フロントとドラムスが交互にフレーズを回し始めた頃、キタラ大ホールに響き渡る大きな声で突然叫んでしまった。

「へイ、ドラームッ!」

 ジャズとは云え、コンサートですぜ、ライブハウスじゃないんだぜ。聴衆の目線がいっせいに、こちらに。それどころか、ステージの連中の目線までもが。エッ?誰?この人?オレ知らない。オレ一緒に来てない。オレ無関係。と、座席にもぐりこんでしまった私。一瞬、キタラ大ホールの空気が止まってしまったかのような緊張が走ったのも束の間、会場の雰囲気が一挙に盛り上がってきましたねぇ。というのも、その声に反応してハミルトンとアレンがサッと脇にしりぞき、フォーバースを中止。なんとドラムソロが始まってしまったのだぁ。

 会場はヤンヤの喝采。延々と続く71才ドラマーのソロ、それに追い討ちをかけるように、またまた隣の女性

「へイ、カモーンッ!」

 こっちの方がデカかったねさっきの声より。ステージの連中、今度は嬉しそうにこっちを見てニヤリ。なによりもジェイク・ハナ、嬉しそうにブラシを置いて、指でスネアを叩き始めてしまった。大サービスだ。そしてあの指を滑らせてのトン・ツ-を試みたがうまく音が出ず苦笑いというかバンドのメンバーに笑われるシーンも。会場は大喜び。

 実はこの女性、ジャズのコンサートは初めて。普段は、クラシックにオペラを聴くという御婦人。そんな彼女をして、ここまでノリノリに盛り上げてしまったステージの連中もエライが、どうしてここまでストレートに感情をあらわにする彼女もエライ。

 うーん、長年付き合ってきて初めて見ましたねぇ、家内の別の一面を。

熱波の東京jazz2003

 行ってきましたぁー、東京jazz2003

 「jazzは万年」「石の上にも東京jazz」、うーん訳わからんキャッチコピー。今年で2回目のビッグイベント、東京から世界へ向けてJazzを発信しようってことなんだけど、そうかなぁー。なんたって、今年の目玉はダイアナ・クラ―ル、よぉ―し遂に生ダイアナに逢えるぞぉーってことで、暑さには滅法弱い私、想像するだけで ゾッ としてしまう8月の東京へダイアナ逢いたさに出かけて来ました。

 ところが、なんとその肝心のダイアナが急遽、来日中止。ウィルス性感冒の為って、アンタそりゃないべ!往復航空券に宿泊代、アリーナの Gシートチケット代、〆て6万ナンボの大枚は、ダイアナに逢えないという時点で無意味というかカネ返せぇー。

 暑くなるぞ―って言われてた私は、万全の準備で半ズボンにアロハという軽快ないでたちで千歳から飛行機に乗ったんですが、やはりその格好ではクーラーの効き過ぎる機内では鳥肌モン。ところが、羽田で機内から1歩足を踏み出した途端、まるで室内の温水プールのドアを開けた瞬間のような熱気に包まれて愕然!一瞬、ウェットサウナに入ったような気持ち良さを感じたのも束の間、なんだぁーこの異常な暑さは、いや熱さと言った方がピッタリ!33℃なんて嘘でしょ! これは絶対にもっとあるぅ...。京急で品川、山の手線で新宿、京王線で調布、各駅に乗換え飛田給、うーん拙宅から札幌へ向うほどの時間をかけて、やっと味の素スタジアム。

 そこでは、ハンディマイクを持ったスタッフの兄ちゃんがダイアナ・クラ―ルが来れないってことを盛んに叫んでやンの。通りすがりのオジサンも、なんやらブツブツ文句言いながら...。うーん、わかるよなぁーオジサンの気持ち。とは、云ってもここまで来てしまった事だし、熱波の中を汗だくになって人波のままに進んでスタジアム内へ。指定のゲートをくぐって、エーッと愕然!

 なんたって、スタジアムってのはバカでかいサッカー場、周りのスタンド席には屋根が掛かってるんですが、いわゆる特等席のGシートはグランド内、その天井はまったくの空だけ。

 そうなんです、ステージ前のトビッキリお値段の高い席の上には屋根も無く、5分も座っていれば絶対日射病になること間違い無しという地獄のようなところ。とてもじゃないけど、日が沈まなければ座れるような場所ではないって事に気づきまして、高いチケットの甲斐なくスタンドの自由席に腰を下ろし、ただただ大画面を観ながら暑さとの我慢比べ。

 とんでもないところへ来てしまったなぁと ビール三昧。これがまたいくら呑んでもすぐ汗になって消えていくんですからきりがない。ユッスー・ンドールというアフリカンのスッゲ―迫力の唄を聴き、スピーチというヒップホップの唄を聴き、はぁーこれは俺のjazzじゃないよなァーと時代遅れの自分を再認識。そうこうしてる内に少しは日も傾き始め、Gシートへ移動する頃にはダイアナの穴埋めでプログラム変更となり、ハービー・ハンコックのトリオ、うーん、ハンコックのピアノってあんなモンなんだけど、なんたってジャック・ディジョネットのドラムはスゴイ!周りの空気をドラムがタタッ切っているような迫力!エエゾ、エエゾ、これこそがJazzだぁー!

 そしてお待たせっ!ジョシュア・レッドマン登場!でもなぁー、シンセとドラムとサックス。完全に今風のJazz。当たり前のことなんだけど、ウケネライ(でも、私にはウケテナイ、ここでも時代遅れの自分を再認識。ハァー)

 そして最後は、スーパー・ユニット。もうここまで来る頃には、ジャンルにこだわる自分を捨てていて、開き直りというか来るもの拒まずというか、なんかとってもイイ感じになってきて。楽しかったなぁー、なかでも途中でソロを取った17才のピアニスト松永貴志、最高でしたねェ。ハンコックはもちろんスゴイテクなんだけど、ただ弾いてるって感じ、でも松永のピアノは弾いてる楽しさが伝わってくる。そんな感じ...。ひょっとしたら、この日の演奏の中で私が最高に気に入ったものだったような気がする。

 そんなこんなで、午後2時に始まったライブも午後9時には終演。まだ熱気覚めやらぬというか熱波覚めやらぬ真夏の夜の興奮も心地よい余韻を残しながら私の中を通りすぎていきました。それにしても、初日はダイアナのトラも無く終わってしまいましたが、2日目はチャカ・カーンを呼んだとのこと、なんかさぁそれって初日だけのチケット買った私としては、とっても悔しい気持ちになるんですが...

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