以前、このブログで「アナタにとっての幸せとは」という記事で「我慢に我慢を重ねたあとのトイレで一気に放出する瞬間、これ以上無いほどのホッとする幸せを感じる」と書いたが、それとて一瞬だけの事。喉もと過ぎればナンとかのごとく用を足してしまえば、もうなんとも感じない。幸せを感じていられるのは、しょせん期間限定なのだ。

 もし、アナタが1日だけでも幸せでいたいと思うなら、「前から欲しかった素敵な洋服を買い、それを着て1日を過ごす」というのはどうだろう。きっと、その日1日はとても幸せな気分で過ごせるはず。でも、ハッピーな気分は、せいぜい1日くらいのこと。

 例えばアナタが1週間、幸せでいたいと思うなら、「クルマを買う」のはどうだろう。新しい車を眺めたり、さすったり、洗車したり、磨いたり、なかにはクルマの中で寝てしまおうかというほど嬉しくてたまらないという人もいるかもしれない。その1週間は、とても幸せな気分でいられるはず。

 アナタがもし1か月間、幸せでいたいなら、「恋をしなさい」。夢から覚める1か月の間、寝ても覚めても夢心地のウットリした気分でいられるから。

 そして、アナタが3か月間、幸せな気分でいたいと思うなら、「結婚するのがイイかもしれない」。きっと、甘―い気分を味わうことができるはず。とりあえず3か月の間は...

 さて、もしもアナタが1年間、幸せな気分でいたい場合は、「家を建てよう」。春夏秋冬、季節の変化に応じてマイホームを持った喜びに浸れるだろう。

 このように、幸せとは期間限定なのだ。そこで、もしもアナタが大胆にも一生、幸せでいたいと願うなら、「この開運印のハンコを買いなさい」というのが印鑑のセールスマン...

 人間、高望みをしてはイケナイ。結局は小さな幸せをコツコツと積み上げていくのが一番。とりあえず2時間だけでも幸せな気分でいるには、「クラブ・ゼナを聴く」

 というのが、ラジオのディスク・ジョッキーをやっていた頃の私のホラ話。

キンキ 子供の頃から、我が家で一番のご馳走といえば「釣りキンキを蒸したもの」だった。大きな皿に1匹丸まんまを乗せ、蒸し器で蒸しただけのもの。これが一人に1匹づつあたるのだから、なんとも贅沢な気分にさせてくれる料理だ。なんたって「釣りキンキ」。今、買うと大きなもので1匹5千円は下らないだろうが、昔でも安くはなかったろう。だからこそ「今夜は蒸しキンキ!」とオフクロが言うと「おーっ!」と歓声が上がったものだ。

 この「蒸しキンキ」にソースをかけて食べるのが、我が家の慣わし。大人はウスターソース、子供はトンカツソース。これが「なんとも言えんくらい旨い!」

 我が家自慢のご馳走ということで、あるところでこの話をした。ところがなんと皆、引いてしまい、「えーっ!」という反応。「なんで、蒸しキンキにソースなのよ」、「キンキを蒸したら醤油だろうが」とか「ポン酢だよ」と馬鹿にされる始末。そこで、「馬鹿言え、あんな旨いもんないぞ。なんていうか、まるで卵の黄身のように濃厚でマッタリちゅうか、サッパリちゅうか、何とも言えん味がするんだ」と反論したが、悔しいことに「じゃあ、卵食べればイイっしょ」と言われてしまった。

 ずうっと子供の頃から、我が家のご馳走だと何の迷いもなく信じていた私にとって、これほど大きなショックはなかった。それ以来、もうこの話は人前ですることもなく何年か経ったある日、「卵を食べれば...」と、ほざいたニックキ男が、私に1枚の新聞の切抜きをくれた。「あれ、あのときのキンキの話、新聞に載ってたよ」

 そこには、「網走地方ではキンキをお湯で煮て「湯煮」という。ウスターソースをかけて食べるのが漁師風」と載ってるではないか。

 えーっ、我が家のご馳走は「一般人が口にできない漁師料理だったのだ」と鼻高々。 汚名返上。名誉挽回。最高裁で逆転勝訴。無罪放免。っていうくらいの嬉しさ。嬉しいことがあると、誰かに話したくなる私。当時、FMラジオのDJだったこともあり、公共の電波を使って番組の中で披露してしまった。その反響は、仲間との酒の席での話とは比べようもならないくらいのブーイング。「アンタの舌はヘンだ」「気持ち悪い」「お前の食生活に疑問を感じる」などなど。

 その後、ある場所でこのイキサツが話題になり、「まっ、いろんな人いるよ。私の知り合いで焼き茄子にソースをかけて食べる人もいるくらいだもの。焼き茄子には生姜醤油だよね」という私に、「そうなの?俺は、焼き茄子にはコショーだけど...」という人に出会った。

 人それぞれなんだなあ。

 こんな古い作家ばかりで、今の人にはわからないだろうなぁ。

オリジナル(ZENA)
 湯上がりの濡れた肢体をそっとおくと、彼女の足のウラから秘部にかけて甘い戦慄がかけぬけた。

川端 康成
 風呂場の檜の戸を開けると脱衣所であった。部屋が湯気で白くなった。夜の帳に鳴く梟の声が止まった。向う側の座席から娘が立って来て、島村の前のガラス窓を落とした。雪の冷気が流れこんだ。もうそんな寒さかと島村は外を眺めながら、床に敷かれた毛氈の上へ足を一歩踏み出すと、寒々とした感触が闇に呑まれた。

横溝 正史
 金田一耕助のすすめで、私がこれから記述しようとするこの恐ろしい物語は、昭和十*年*月*日、浴室の扉が開いたところから始まった。事件の舞台となったこの村には湯*温泉という名で知られる湯治場があり、保養客を集めるのがこの辺りの村々の主ななりわいの道であった。浴室の扉が開けられたのは、夜八時ごろのことだった。私は、緋色の毛氈が敷きつめられている脱衣所に足を下ろした途端、つめたい戦慄が背筋をつらぬいて走るのを禁じえなかった。おお、それがこのまがまがしい事件の発端になろうとは、まだだれも気がついていなかったのである。

星 新一
 バスルームの扉を開けると、そこは脱衣所の筈だった。しかし、エヌ氏が、そこに見たものは、おどろいたことに宇宙空間のひずみの中にフワフワとただよう緑色のバスマットだった。エヌ氏は一歩その上に足を乗り出す。異次元へ吸い込まれるような感触が体の中心部へかけて走った。

五木 寛之
 金髪の娘がドアを開けて、浴室から出ようとした。充分に熟れた彼女の胸が、ジュンの目の前にあった。まっ白な肌と、甘酸っぱい匂い。ジュンが手をかして濃い葡萄酒色のバスマットの上へ立たせる。「スパシーボ」と、彼女が囁く。額に深くかぶさった金色の前髪の下から、ライラックの花のような素晴らしい色の目がうるんだようにのぞいている。ジュンが外を眺めると、白夜の季節を過ぎた空は黒くビロードのようで、温泉の浴場らしい赤煉瓦の建物が山裾に散らばっていた。(あの山の向うにモスクワがある)と、ジュンは思った。

川上 宗薫
 浮気してやろうか、と長江は思った。そして浴室のドアを開けた。長江がバスマットの上に足を下ろすと、目の前に若い女が坐っていた。長江は彼女を憶えている。そのチロチロとした感触を左手の指が憶えていた。裸になれば、見事な胸を持っているらしいことが、長江にはわかっていた。彼女は絶頂の感覚を知っているに違いない。こんな女を腕の中で抱きしめれば、さぞ抱き心地がいいだろうと想像を廻らしていると、女は立ってガラス窓を開けた。窓に手をかけるために爪先でのびあがったので、ミニスカートから豊なふとももが食み出して、長江の欲望を湧きたたせる。窓から雪が吹き込んだ。急な冷気のために鼻腔の奥が痒い感じを起こし、長江はクサメをこらえた。こんな時、彼の官能はきまって刺激されるのだった。長江は女のスカートに手を差し入れようとした。女の体がピクッとなった。そして「いや」といったが、女も昂ぶっていることを、長江は見てとっていた。

宇野 鴻一郎
 お風呂からあがったら、とっても気持ちよかったんです。あたし、エロチックな気持ちになってしまった。これは内緒なんだけど、お風呂に入るたんびに感じちゃうみたい。お風呂がいけないんです。お風呂に入ると、あたしいけないことを連想しちゃうんです。ああ、だれか逞しい男が入ってきてほしいなんて思ったりして。ドアをあけて、ピンクのバスマットに足をのせると、その柔らかい感触があたしの指先にからんだからだけど、ピクンと感じちゃったんです。もう立っていられなくて、その場にしゃがみこんじゃったんです。

 新年明けましておめでとうございます。年が明け、飲んで喰って居眠りして、ダラダラと過ごしています。テレビを眺めながらも知らず知らずに夢の世界に吸い込まれてしまいます。

 前から不思議に思っていることがあります。マラソンの中継を観ていて思うのですが、競技場で観戦している人はスタートからゴールまでの時間をどのように過ごしているのでしょうか?もっとわからないのは、宝くじの抽選会場で観客として座っている人。なにかご利益でもあるのでしょうか?

 と、ハズレた宝くじを眺めながら考えている正月呆けの私です。本年もどうぞよろしくお願いします。

日本三大ブス地帯

 「日本海飛び飛び伝説」というのがあるそうだ。日本海側は「秋田美人」「越後美人」「加賀美人」「京美人」、ちょっと飛んで「出雲美人」「博多美人」というように一県ずつ飛び飛びに美人の県があるという。つまり、この伝説を裏返すと山形、富山、福井、兵庫、鳥取、山口には美人がいないということ。

 一方で「日本三大ブス地帯」というのもある。よく言われるのが、仙台・水戸・名古屋である。宮城県・茨城県・愛知県といわず都市名で言うところに曖昧な信憑性を感じてしまう。<

 私の経験からすると、ある地方都市でタクシーに乗り、車窓から眺めていたが本当に街を歩く女性には美人が見当たらないというところがあった。今でも強く印象に残っている。何処とは言わないが「○オ○ヤ○」。まっ、こればかりは主観の問題だから。

 このような悪評が流された原因は、仙台・水戸・名古屋は、江戸幕府の潜在的敵対勢力の藩だったせいらしい。

 地域間格差が叫ばれている現在、すべての地域が平均化されることが良いことだと思われているが、果たしてそうなのだろうか。それぞれの地域ごとに特色があってこそ独自性を主張できるというものではないだろうか。実際には地域によって美人が多かったり、ブスばかりという訳である筈はなく、絶対多数のブスに囲まれているからこその美人であって、比較の問題なんじゃないの。しょせん美人の定義だって時代によって変わりゆくものだし。

 昔あこがれていた美少女でさえ、40年も経って同窓会で再会すれば「どこのオバサン?」っていうことだってあるもんな。まっ、そういう私自身も「どこのオジサン?」になっているんですが。(オトコは顔じゃねぇよ)

 だからいいの、三大ブス地帯に住むアナタ、美は永遠の価値ではないんだから。

 ところで、札幌は「日本海飛び飛び伝説」にも「日本三大ブス地帯」にも名前が出てこないけど、どうなのよ。

欲ふかき私は悪ろき者

よき友、三つあり
一つには、物くるる人
二つには、くすし(医師)
三つには、知恵ある友
(徒然草第百十七段)

 兼好法師が言うように、鎌倉の世から「物をくれる人はイイ人」なんです。

 よくわかりません。定額給付金が話題になっていますが、くれるというのだから貰えばいいのにと思うのだが、世間ではこの制度に批判的な人々の声がマスメディアから流れてくる。そんなに文句を言うなら貰わなきゃいいのに、文句を言っても結局は貰うんじゃないの?と思えてしまう。経済効果があるとかないとか、わかったような口を聞く人もいるけど「貰ったらどこかでいつか必ず使うんだろ」。貯蓄にまわすという人だって、一生貯金しているわけじゃないだろうし、どうせ「消費税が上がる前にあれもこれも買ってしまおう」っていう時には使っちまおうってことになるんじゃないかしら。

 まっ、世間には莫大な資産があって「はした金」なんて必要ないという人もいるだろうけど、ほとんどの人は貰えば嬉しいに決まってると思うんだけどな。でも、徒然草第百十七段の前段には、

友とするにわろき者、七つあり
一つには、高くやん事なき人
二つには、若き人
三つには、病なく身強き人
四つには、酒を好む人
五つには、たけく勇める兵(つわもの)
六つには、虚言する人
七つには、欲ふかき人

 とあるから、欲ふかき私は悪い人なのかも。

安定した暮らし

 はたらけど はたらけど猶わが生活(くらし)楽にならざり ぢっと手を見る

 石川啄木の「一握の砂」の中の短歌です。現代でいえば、ワーキングプア。一生懸命働いても低賃金で生活保護以下の生活すらままならない人たちは650万世帯も数えるそうです。聖域なき規制緩和の名の下に格差社会が広がり、経済アナリストたちは色々と意見を云うけれど有効な手段もなく絵に描いた餅ばかり。「痛みに耐える」というのは、富める者はより多くの富を得て、貧しき者はますます貧しくなるという意味なんでしょうか。

 博報堂生活総合研究所は今年、首都圏・阪神圏で生活者意識調査を実施しました。「欲しいものを3つ選ぶ質問」では、1位「お金」、2位「健康」、3位「安定した暮らし」。これからの日本は低成長社会。そうであれば、誰でもが安定した生活を願うのは当たり前のことなのかもしれません。650万世帯の中には、どれだけの歯科医師がいるのでしょうか。

 私の場合、贅沢は言いません。欲しいもの3つは「次期参院選で勝てる候補」「患者」「ブログのネタ」かな。いや、やっぱり「1等賞の宝くじ」「1等賞のロト6」「年賀はがきのお年玉1等賞」だな。

 最近、ようやくカクテルの名前と実物が一致するようになってきた。というのも推理小説を読んでいるとカクテルの登場する場面が多く、傍らにカクテル事典という本を置いて、あぁこんなお酒なんだと写真を見ながら味を想像している。

 30年程前タイトルは忘れたが、あるアメリカ映画の中で、そりゃぁもうイイオンナが風呂上りにバスローブをまとい、もちろん金髪だぜ。くどいようだけど、そりゃぁもうイイオンナなんだ。そのイイオンナがトールグラスでピンク色の飲みものをクゥーッと飲むシーン。とってもオイシソウなんだな。しばらくしてそれが「カンパリソーダ」とわかり、早速、酒屋さんでカンパリとソーダを買ってきた。

 まず、おいしく飲むには映画のように風呂上がりでなければならないが、バスローブなんてハイカラなもんがない。しょうがなく腰にバスタオルを巻いて、憧れのカンパリソーダをブレンド。BGMにダイナ・ワシントンの「What a difference day made」。うーんイイ雰囲気だあ。期待に胸膨らませて、ひと口。

 ん?なんだ?マズイ!

 カンパリとソーダの割合を変えて何回もつくりなおしてみたが、私の口には合わなかった。だまされやすいんですよ。特にイイオンナがからんでいるときには。

喫煙者のいいわけ

 タバコ、けっこう吸います。吸いはじめて40年。ずうっとハイライトでした。今はけっこう珍しいくらいキツイやつ。なかなかヤメられません。まっ、ヤメようという気にならないというか、ただ意志がヨワイというか(認めたくない)。

 だから、タバコヤメタという奴に会うと、かならずイバッテこう言う。「俺はね、意志がツヨイの!一度吸いはじめたタバコ、カラダに悪いって言われたからって途中でヤメてしまうようなのは意志がヨワイの。なんと言われたって死ぬまで吸い続けてこそ意志がツヨイの!」 (一理ある?)

 そして、いまいち気にいらないのは「タバコヤメたんだって?エライなぁ!」って言うと決まって、こう応える奴。「いやぁヤメたんじゃないですよ。ただチョット休んでるだけですよ」 とケンソンする。お前ねぇ、ヤメたくてヤメたんだろ、なら最後までセキニンもってヤメろよな。また吸いたくなったときのこと考えて今から言い訳すんなよな。「ムカツク!」と思えてしまう本末転倒な私である。

 それでも10年前、入院することになったのを機会にヤメてみようかなぁーとアサハカにも思ってしまい。入院することを心配してくれた友人が「入院の日から、一緒にタバコヤメるよ」と、つきあって禁煙してくれた。

 あれからすでに10年、彼はいまだに禁煙を続けていて私は退院1週間後から吸い続けている。そして彼に怒られている。で、そのとき決まって、こう言い訳する。

 「お前さぁ、1ミリのタバコ吸ってたよな。それって禁煙しても1ミリ減っただけだよな。俺なんかさぁ、20ミリのハイライトを、3ミリのやつに変えたんだぜ。いっきょに17ミリも減らしたんだ。17と1、どっちがエライと思う?」

 あの時のあなたの気持ち、嬉しかったです。アリガトウ!私の命を賭けた試練の禁煙、再び吸いはじめるような意志のヨワサは見せないで。

正しい水割りの作り方

 お酒、あまりツヨクありません。好きですが、たくさんは飲めません。味が変わると、なんでもおいしく感じるので、いろいろ少しづつ嗜みます。ビールは、よく飲みます。最近はアサヒプレミアム熟選。つぎに日本酒。最近のはおいしすぎて困ります。ついつい飲みすぎます。他にラムやブランデー、たまにウィスキーも。でも普段は水で割りません。水で割るのは、お付き合いのときだけ。今まで水割り飲んでオイシイと思ったことがない。せっかく飲むなら「よりオイシク」がモットー。

 ときには、オイシイ水割りに当たることも稀にはありますが、きっと体調がイイのか悪いのか、はたまた傍らのオネエサンがイイのか。ただ、ウィスキーと水の割合でかなり味が変わります。

それでは、本題に入りましょう。

正しい水割りのつくり方

ウィスキーの量をX、水の量をYとします。水割りの定義ですが、水割りとは「ウィスキーを水で割ったもの」、または「ウィスキーに水を加えたもの」、または「ウィスキーに水をかけたもの」。このいずれも正解です。

そこで式にあらわすと
「ウィスキーを水で割ったもの」すなわちX÷Y
「ウィスキーに水を加えたもの」すなわちX+Y
「ウィスキーに水をかけたもの」すなわちX×Y
この三つはすべて同じものなので

X÷Y=X+Y=X×Yという方程式が成り立ちます。この方程式に |X|>0 かつ |Y|>0 という条件を与えて、解いてみてください。どうせ、そんなの面倒だと言われるでしょうから、答えを出しておきましょう。

a) X=0.5 , Y=1 となり、X : Y=1 : 2 の比で表されます。

 もうお分かりでしょう。正しい水割りとは、ウィスキー1に対して水が2。これが数学的に証明された正真正銘の正統派の水割りなのです。しかし必ず居るんです。難癖、えっ、いや疑問をぶつける奴が。

「水割りには氷が入っているじゃないか、氷はどうしたんだ?」と。お答えしましょう。氷をZとします。そうすると、先ほどの方程式はX÷Y+Z=X+Y+Z=X×Y+Zとなります。各項共通のZは、消去できますから、結局もとのX÷Y=X+Y=X×Yとなり答えは同じです。しょせん氷は解けてなくなる運命なのです。

 やっぱり、こんなこと考えながら水割り飲んでもオイシクないなと、オイシクない水割りを飲みながら今これを書いてます。


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