初雪の日は嬉しい

 子供の頃から、初雪の日には、とても嬉しい気持ちになります。もちろん今、この年になっても。

 季節の変わりめを肌で感じ、きっと、これから何かが変わる。そんな気持ちにさせてくれるからでしょうか。初桜、初落ち葉なんて言葉が、あったとしても季節の変わりめを感じるには、初雪の前ではとうてい色褪せてしまいます。きっと北国の住人でなければ理解できないのかもしれません。また、あの白く美しい別の世界が訪れる。

 どういうわけか、初雪の日には必ず嬉しいことがありました。学生時代、大好きだった親友が欲しくてたまらなかったフィアット800という車を買った日、いの一番に私のところへ見せにきてくれた日は初雪でした。

 高校生の頃、お小遣いを貯めて欲しかったレコードプレーヤーを手に入れ、荷物をかかえお店を出たときも初雪が降っていました。

 小学校2年のとき、オール5を取ったら買ってくれると約束していた自転車。やっと鉄道便で送られてきて木枠に梱包された自転車を駅まで受け取りにいった帰り道、薄暗い空から雪が舞っていました。鼻のあたまに汗をかいていたこと、言葉にならないくらい嬉しかったこと、どんより曇った空の色のことは今でもはっきり憶えています。

 小さな嬉しいことをあげると、きりはないけれど、初雪は嬉しいということを知っていた私は、ぜったいに雪虫に触れて殺すようなことはしない子供でした。

テレビ番組最大の不手際

 以前、テレビを観ていて、とてもクヤシカッタことがある。「もうこれ以上はナイッ!」っていうくらいのクヤシサ。文字で書くと

グヤジィー

 っていうぐらい。これでも、どれ程なのか伝わらないかもしれないが、人生の千分の一いや百分の一くらい足元から崩れ落ちてしまう程のショック。

 あるクイズ番組でした。特番で長時間もの。視聴者からの質問を何人かのゲスト解答者が答え、その中のどれかに正解があるってやつ。質問は、こうでした。「私は、本屋さんへいくと、必ずウンコをしたくなります。どうしてなのか教えてください」。これに対して、これから解答者が答えようという矢先にCM。私は、おもわず身をのり出してテレビに喰い入りました。というのは、何を隠そうこの私自身そうなのです。何がって? だから、本屋さんへ行くと必ずウンコがしたくなるんだって!

 最近は、トイレのある本屋さんが増えました。昔は数も少なく、本を選んでる最中、そういう状態になり大変。店を出て近くにどこか用を足せるところがあればいいんですが、そうでないときは駆け足状態。信号待ちのあいだは当然足踏み。「あなたは、リンゴをかじると歯ぐきからウンコが出ませんか?」というくらいの緊急事態に陥ることしばし。

 こんなのは自分だけだと思っていて、人に話せるような悩みでもなく (まっ、あまり悩んだこともないけど)、子供の頃から、ずうっと不思議に思っていた謎が今ようやく、ここに解きあかされようとしているのです。ところが、ところが、ところが、期待していたCMあけ何かが違うんだなあ。テレビの中では、別の問題の解答が流れていて「そか、そっか、さっきの答えはこの次にまわされたんだ」と、ちょっとガッカリしながら観ていると、なぜか問題の答えが全部わかってしまう。「あれぇ、これさっき観たんじゃない?」というデジャブー状態。

 ここで気がついた。番組は30分前にさかのぼって流されている。「なんじゃ、これ!」せっかく期待していた人生最大の謎の究明が、どこかへ行ってしまった。まっ、それでも、しばし待てば、またさっきの問題にたどり着くし、そうすりゃOKよ。と待つこと20分。ついにやってきました。例の質問!そしてCM(ん?あの時とまったく同じCM)。

 よし今度こそ!いよいよだあ!待ちに待ったCMあけたら

番組終了!

「ナニィー!」

 『ただいまの番組中、不手際がありましたことをお詫びします』のテロップ1行。

 私の人生最大の謎は

だれが解明してくれるんだあー?

 もう二度とテレビなんか観るもんか。そんときゃ、そう思ったんですがね。

クスリ呑むの苦手

 クスリ呑むの苦手です。粉グスリなら、まだ何とか。錠剤は、なかなか呑み込めない。カプセルにいたっては、もう死ぬ思い。たとえば3粒のクスリを呑もうとすると、当然1粒づつ。その1粒を呑み込むためにクスリと水を口に含み、うつむいてる状態から首をクッとそらせ、呑み込むタイミングを計りながら何度もトライ。やっと呑み込んで次にまた1つ。そのために必要とされる水の量は、たいてい1粒につきコップ1杯。だからクスリを呑むと、けっこうお腹いっぱいになってしまう。小粒のものは、まだよしとしてバファリンみたいな大粒は、見るだけでゲップ。カプセルの場合、やっと呑み込めたとしても、いつまでも喉につっかえているような気がして。子供の頃から、ずうっと同じ。まっ、呑めんもんは呑めんのだ。しゃーないとあきらめている。

 ところが、まだスゴイのがいて亡くなった伯父貴。入院先の部屋に入るとベッドの上で、すごい形相で苦しんでいる。「どうした?」あわてて聞くと、指でのどのあたりを指して「クスリッ!クスリッ!」。「どうしたって?」。「呑めない!ひっかかってる!クスリ!」。そのうちゲーゲーやって、やっと吐き出したものを見るとアルミで包装されたままのもの。少し厚めの銀紙に包まれ、長さ2~3センチの筒状で両端が手で切れるようギザギザになっている。それをそのまま呑み込んだらしい。

 「このクスリ、ぜんぜん呑めんわ」「なんで袋から出して呑まないの?」「だって、お前。ここに書いてあるぞ 『噛まずに、そのままおのみ下さい』って」。そうなんです。たしかに書いてありました。

 この笑い話のようなホントの話をクスリの問屋さんに話したところ、結構いるんだそうです。包装のまま呑んでしまう人。実際、胃に穴があいてしまうこともあるそうで。その問屋さんの話「いろんな人いますよ。座薬を座って呑んだって人いましたから」

 「・・・・・・?」効き目はどうだったんかしら?

話がデカくなる釣り自慢

 釣りはほとんどしない。子供の頃、川でウグイを釣ったくらい。ニジマスやヤマベを釣ったこともあるが、それも釣り堀でのこと。自分が釣りに向いているのかどうかもわからない。短気な人ほどイイそうだが呑気な私には、どうも...。

 こんな私だが釣果を自慢できることが一度だけある。じつは、なにを隠そう(別に隠してはいないが)私は「マイ山」を持っている。マイ山、つまりボーリングでいうところの「マイボール」みたいなもの。そのマイ山の中にはマイ池があって、そこでマイ鯉やマイ鮒が暮らしている。

池の主 どういう風の吹き回しかたまたま、その池に釣り竿を下ろしたことがある。突然、目の前をゆうゆうと4~50センチはあろうかという鯉。きっと「池の主」と思われるデカイ鯉が現われた。ひょっとすると、ご無沙汰している地主様にご挨拶でもと出てきたのかもしれないが、この上なく人なつこい池の主。あれよという間に私の垂らした糸の先まで近づき、いきなり針に喰いついてしまった。竿が折れるんじゃないかと心配したバトルも私の勝利!

 しめしめと家へ持ちかえり、タライに泳がせ泥を吐かせる。今夜は鯉の洗いか鯉こくかと舌なめずりをしてはみたものの、どうにも主様の顔を見てるとカワイソウになり、結局マイ池へお戻りいただいた。

 というわけで、数少ない釣り体験の中で全長1メートルもの鯉を釣り上げたというのが自慢。(やはり話が大きくなってしまうのは、釣り人なんでしょうか?)

この世で一番オイシイ鯉料理
オーソドックスには、洗いや鯉こく唐揚げだが、こうして食べるとヤミツキになってしまう。
▼ 材料:
新鮮な若い鯉一匹
笹の葉数枚
砂糖少々
▼ 調理法:
1,まず笹の葉を何枚か並べて敷く。
2,その上に鯉を置いたら、上から砂糖をまぶし包んでじっくり焼く。
3,これで「アマイコイノササヤキ」の出来上がり。

Fly me to the moon - Doris Day

 この季節、どんどん日が短くなっていきます。

 薄暮が沈み山の上から月が出はじめると、とっても大きく見えます。「わあー、スッゲェー、デッカイ」と感激するほどです。時がたちそれがだんだん昇るにつれ小さくなっていきます。出はじめと昇りつめた時では何倍にも大きさが違って見えます。

 お月さんは、出はじめは近くにいて昇ると遠くへ離れていくのだと子供の頃から思っていました。でも、それは錯覚なのだと聞かされ、そんな馬鹿なとあちこち調べてみましたが、どこを調べてもやはり錯覚なのだそうです。じつは今でも信じられません。

 「この現象は人間の目の錯覚によるものと言われている。カメラとは異なり、人間の目は視界に入るすべての物体を鮮明に見るべく、常に焦点位置を調節し、脳で画像を合成している。このため月と近場の物体とが同時に視野に入った場合、合成画像では月が巨大化する。逆に空高くに位置する場合は、比較となる対象物が存在しないために、小さく見えるのである。」Wikipedia

 いろいろ調べていくうちに、月の「視直径」は、腕を伸ばして持った五円玉の穴の大きさとほぼ同じであるということがわかりました。空高くにある小さな月は、五円玉の穴にすっぽり収まってしまうように見えますが、地平線近くの大きな月の場合、五円玉の穴にはとうてい入りそうには見えません。ところがなんと実際には小さな月と同じように五円玉の穴に全部が収まってしまうのです。うーん、錯覚とはいえ不思議な現象ですねぇ。

お月様へ簡単に行く方法

 新聞紙一枚あれば簡単にお月様へ行けます。暇な人は新聞紙を42回折り重ね、その上に立ってみて下さい。月までの距離は、およそ38万km。新聞紙の厚さは約0.1mm。これを順に折っていきます。現実に新聞紙を折るのは、せいぜい7回ぐらいが限度らしいですが、それでも何とか42回まで折り重ねてみましょう。

1回 / 0.1×2=0.2mm
2回 / 0.2×2=0.4mm
3回 / 0.4×2=0.8mm
4回 / 0.8×2=1.6mm
・・・・・・・・・
10回 / 51.2×2=102.4mm≒10cm
20回 / 100m
30回 / 100km
40回 / 10万km
41回 / 20万km
42回 / 40万km

天は二物を与える

 またまた、マライアキャリーの新しいアルバムが出ました。

 マライアはお気に入りの歌手の一人ですが、美人でキュートでセクシーで、その上歌唱力があり、なんたって8オクターブも声が出ちゃうのだからスゴイ。「天はニ物を与えず」 という言葉があるけれど、彼女を見てる限り、それは持てない者のヒガミなんじゃないかという気がしてくる。それって、なんとなく 「差別につながるから、ミスコン廃止すべし」 という ブス の訴えに似ているような...

熱波の東京jazz2003

 行ってきましたぁー、東京jazz2003

 「jazzは万年」「石の上にも東京jazz」、うーん訳わからんキャッチコピー。今年で2回目のビッグイベント、東京から世界へ向けてJazzを発信しようってことなんだけど、そうかなぁー。なんたって、今年の目玉はダイアナ・クラ―ル、よぉ―し遂に生ダイアナに逢えるぞぉーってことで、暑さには滅法弱い私、想像するだけで ゾッ としてしまう8月の東京へダイアナ逢いたさに出かけて来ました。

 ところが、なんとその肝心のダイアナが急遽、来日中止。ウィルス性感冒の為って、アンタそりゃないべ!往復航空券に宿泊代、アリーナの Gシートチケット代、〆て6万ナンボの大枚は、ダイアナに逢えないという時点で無意味というかカネ返せぇー。

 暑くなるぞ―って言われてた私は、万全の準備で半ズボンにアロハという軽快ないでたちで千歳から飛行機に乗ったんですが、やはりその格好ではクーラーの効き過ぎる機内では鳥肌モン。ところが、羽田で機内から1歩足を踏み出した途端、まるで室内の温水プールのドアを開けた瞬間のような熱気に包まれて愕然!一瞬、ウェットサウナに入ったような気持ち良さを感じたのも束の間、なんだぁーこの異常な暑さは、いや熱さと言った方がピッタリ!33℃なんて嘘でしょ! これは絶対にもっとあるぅ...。京急で品川、山の手線で新宿、京王線で調布、各駅に乗換え飛田給、うーん拙宅から札幌へ向うほどの時間をかけて、やっと味の素スタジアム。

 そこでは、ハンディマイクを持ったスタッフの兄ちゃんがダイアナ・クラ―ルが来れないってことを盛んに叫んでやンの。通りすがりのオジサンも、なんやらブツブツ文句言いながら...。うーん、わかるよなぁーオジサンの気持ち。とは、云ってもここまで来てしまった事だし、熱波の中を汗だくになって人波のままに進んでスタジアム内へ。指定のゲートをくぐって、エーッと愕然!

 なんたって、スタジアムってのはバカでかいサッカー場、周りのスタンド席には屋根が掛かってるんですが、いわゆる特等席のGシートはグランド内、その天井はまったくの空だけ。

 そうなんです、ステージ前のトビッキリお値段の高い席の上には屋根も無く、5分も座っていれば絶対日射病になること間違い無しという地獄のようなところ。とてもじゃないけど、日が沈まなければ座れるような場所ではないって事に気づきまして、高いチケットの甲斐なくスタンドの自由席に腰を下ろし、ただただ大画面を観ながら暑さとの我慢比べ。

 とんでもないところへ来てしまったなぁと ビール三昧。これがまたいくら呑んでもすぐ汗になって消えていくんですからきりがない。ユッスー・ンドールというアフリカンのスッゲ―迫力の唄を聴き、スピーチというヒップホップの唄を聴き、はぁーこれは俺のjazzじゃないよなァーと時代遅れの自分を再認識。そうこうしてる内に少しは日も傾き始め、Gシートへ移動する頃にはダイアナの穴埋めでプログラム変更となり、ハービー・ハンコックのトリオ、うーん、ハンコックのピアノってあんなモンなんだけど、なんたってジャック・ディジョネットのドラムはスゴイ!周りの空気をドラムがタタッ切っているような迫力!エエゾ、エエゾ、これこそがJazzだぁー!

 そしてお待たせっ!ジョシュア・レッドマン登場!でもなぁー、シンセとドラムとサックス。完全に今風のJazz。当たり前のことなんだけど、ウケネライ(でも、私にはウケテナイ、ここでも時代遅れの自分を再認識。ハァー)

 そして最後は、スーパー・ユニット。もうここまで来る頃には、ジャンルにこだわる自分を捨てていて、開き直りというか来るもの拒まずというか、なんかとってもイイ感じになってきて。楽しかったなぁー、なかでも途中でソロを取った17才のピアニスト松永貴志、最高でしたねェ。ハンコックはもちろんスゴイテクなんだけど、ただ弾いてるって感じ、でも松永のピアノは弾いてる楽しさが伝わってくる。そんな感じ...。ひょっとしたら、この日の演奏の中で私が最高に気に入ったものだったような気がする。

 そんなこんなで、午後2時に始まったライブも午後9時には終演。まだ熱気覚めやらぬというか熱波覚めやらぬ真夏の夜の興奮も心地よい余韻を残しながら私の中を通りすぎていきました。それにしても、初日はダイアナのトラも無く終わってしまいましたが、2日目はチャカ・カーンを呼んだとのこと、なんかさぁそれって初日だけのチケット買った私としては、とっても悔しい気持ちになるんですが...

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