あと1週間でクリスマスイブ。クリスチャンでもないのに日本人はハシャギ過ぎという意見もありますが、何かにカコツケて楽しく過ごすのは別に悪いことではないような気がします。
子供の頃のクリスマスを想い出します。毎年決まって伯父の家で、今で言うパーティ。近所の人たち、普段からウチに出入りする人たち、住み込みの人たち、とにかく家族のような人たちが大勢集まり、美味しい料理を食べて楽しく過ごす。貧しかったあの時代、とても贅沢な気分を味わえるイベントでした。それも毎年決まったメニュー、ザンギ、チンピ、フヨウハイ、クローヨウ、ポテトサラダ。今でもはっきりと覚えています。
こんな豪華なご馳走にありつけるのは、年取りの夜とクリスマスだけだったような気がします。なんたって、運動会にしかバナナが食べられない時代でしたから。お腹がいっぱいになれば、大人たちは応接間でダンス、子供たちはプレゼントのおもちゃで遊ぶ。幸せなひと時でした。何もない時代だからこそ、季節のイベントを大事にする。そんな想い出をたくさん残してくれた当事の大人たちには今でも感謝しています。
物が溢れている今の世の中、我が家でも似たようなことはするのですが、あの頃の感激を子供たちに与えているのかといえば、少し違うような気がします。やはり、有り余る物の世界では、毎日がクリスマスなのでしょうか。決して我が家は貧乏だったとは云わないけれど、裕福でもなかったあの頃を、いろいろな感動とともにリアルタイムで過ごせたことが私の自慢です。
余談ですが、中学2年の時にビートルズがデビューして、彼らとともに時代を過ごせたことも自慢の一つです。私は、今でもよくJazzを聴きますが、やはり1950年代のあの熱く燃える黒人プレヤーのハードバップにリアルタイムで接することができなかったことが残念でなりません。
話が飛びましたが、一つ一つの季節の催しを大切にしていた日本人の心が失われつつある昨今、考えられないような事件がアチコチでおきています。物に溢れた世の中で、満ち足りなさを感じて生きている人が多くなってきたのでしょうか。貧しい時代の不便さを強いるつもりはありませんが、多少不便でも心の持ちよう一つで幸せになれるということを今一度思い返してほしいと思います。
ところで、アナタにとっての幸せとは何ですか?例えば、どこかでオシッコをしたくてしたくて我慢ならないときに、やっと見つけたトイレで一気に放出するその瞬間、「はあー」という無上の喜びが口から漏れてきませんか?あの瞬間こそが幸せの極致なのです。人間誰しも、あれ以上の幸せを求めてはいけないのです。そう思って生きていければいいなあと、この歳になって思います。