先日、上京の折、本屋に立ち寄り奥田英朗の「港町食堂」という本を買った。最近、ドキドキハラハラする警察小説にはまっている私としては珍しいジャンルの旅物である。東京から仙台へ行くのに新幹線を使えばイイと思うのだが、東京から名古屋へ行きフェリーで仙台まで向かうという、いかにも贅沢というか暇人の旅行である。これを読んでいて昔の船旅の記憶がよみがえってきた。
現役で大学受験のとき、青函連絡船で内地へ。それまで修学旅行で連絡線に乗ったことはあるが、当然2等の座敷席。しかし、受験生であるからと甘やかされた私は「特等寝台」で津軽海峡を渡った。4時間あまりグッスリ眠り快適な旅を過ごし疲れることなく受験会場へ向かったが、みごとに散った。
1浪で受験のときは、甘やかされることなく2等船室。2浪での受験にいたっては「受かるまで帰ってくるな」と内地へ島送り状態のまま。大学生になってから、たびたび連絡船の世話になった。名古屋から東京まで新幹線、上野から青森まで東北本線、今は無き青函連絡船に揺られ、函館から札幌、芦別へと長かったなあ。懐かしい旅の想いでだ。
大学の夏休み、クルマを持っている神戸の同級生と一緒に北海道へ帰ることになった。名古屋港から仙台経由で苫小牧へ。これが逆ルートなら、吉田拓郎の「落陽」そのまんま。
友人いわく「夏の北海道行きフェリーは、エエぞお。キャピキャピ女子大生でイッパイヤデ!エライ楽しいでぇ。エヘエヘエヘッ」。二人して、恋が生まれるかしらと鼻の下を伸ばしてフェリー乗り場へ向かった。あの日は雨だったなあ。
小雨に煙る名古屋港のフェリー乗り場、入り口には大きな看板が立っていた。「歓迎!全国民謡の旅ご一行様」。ま、そんなものを見ても事の重大さには気づかず、乗船手続きを済ませた。ところが乗船するとキャピキャピどころか若者は私たち二人だけ。まわりはジイチャンバアチャンで混雑している。
「エライ話が違うやんか」「ホンマヤなあ・・・」。座敷席に陣取るも「ちょっとニイチャン、スマンけどその棚から毛布とって来てもらえんかの」と声をかけられる始末。なにが女子大生イッパイや、なんもエエこと無く21時間も船に揺られて上陸した。
別の機会に、やはり同じ友人が北海道へ来た。帰りは小樽から敦賀・舞鶴航路フェリー。私も同乗し名古屋へ帰った。出航は夜8時。夕闇落ちる埠頭には大勢の見送りの人。デッキから紙テープを投げ、下にいる人と結んでいる。フェリーのデッキは意外と高く、見送りの人たちは遥か遠く小さく見える。そこで私たちも売店で紙テープを買ってきて、見知らぬ女の娘二人に向かってテープを投げた。なんと受け取ってくれた初対面の女の娘達と手を振り合い、別れを惜しみつつロマンチックな波止場の別れを経験した。
実は、そのとき私は小さな仕掛けをした。ショートホープの外箱を外し、そこに住所と名前を書いてテープに通し彼女の手元に落としたのだ。しばらくして名古屋のアパートに1通の手紙が・・・
こんなオイシイ話は友人にはナイショ。ということで、2~3度手紙をやりとりし「次の冬休みに逢およ」と約束した。「あの髪の長い方の娘だったらいいな」なんてことを想いながら帰省した私は、札幌の喫茶店で待ち合わせた。お互い初対面なので何かを目印にしたのだと思う。その憧れの彼女が店に入って来て目の前に座った途端、私は急に用事を想いだしてしまった。というか用事を作ってしまった。「ゴメン、これから行かなきゃいけない所があるんだ・・・」
夜目遠目に美しく感じた面影も明るい光で間近に見ると、かなり想像とはかけ離れていて、やはり夕闇落ちる波止場でデッキから眺める女の娘は、遠くから眺めるに限る。と気づいた。きっと相手も私を想像とは違うと感じたことだろう。早々に別れてムナシイ気持ちを味わったことが想い出される。
この話をかの友人に打ち明けたところ「抜け駆けするからや」と、以来、私は腹黒い人間と評されている。
教訓その1:夜目遠目に眺める港の女は、想い出だけにとどめること