まだ雪は消えないが、日差しは春の気配。
融けはじめた池の氷。薄くなった氷の上にキツネの足跡。
今日も元気な二人の娘達。
まだ雪は消えないが、日差しは春の気配。
融けはじめた池の氷。薄くなった氷の上にキツネの足跡。
今日も元気な二人の娘達。
河島英五の「時代おくれ」が、カラオケの十八番。あんなオトコのように生きてみたいと思うが、なかなか難しい。そんな私にも「時代おくれ?」な部分があり、この禁煙社会にあっても今だにタバコを吸っている。
一応はマナーを守ろうと、携帯灰皿を持って出掛けるのだが薄くてかさばらず、その上容量の大きいモノが理想。そんな中でも「携帯用酒精綿入れ」が使いやすい。往診に来たお医者さんが注射をする前に、肌を拭くときに使うアルコール綿が入ってるヤツ。今こんなモノが使われているかどうかわからないが、昔から我が家にあった錆びて汚れていたのを磨いてキレイにした。なかなか使い勝手がイイ。
蒸しかまど、文化ナベ、ガス炊飯器、電気炊飯器と我が家の「ご飯」も時代の流れととともに炊き方が変わってきた。現在、「圧力式電気釜」というモノで炊いているが、圧力が高いと旨くなるのかどうかわからない。
風化した想い出を美化しているだけなのか、ただ、腹を空かしていただけなのか、子供の頃に頂いていた「蒸しかまど」で炊いたご飯の味やオコゲの味が一番だったように思う。「ガス炊飯器」の味も捨てがたく、お腹いっぱい食べることができた年代の想い出の味だ。
今となっては、食べる量も少量になり。というか量を制限されるようになると簡便さが優先され「電気釜」の味に慣らされてしまった。ただ、この電気釜はスグレモノ。ご飯だけじゃなくナンでも炊けるようだ。圧力式ではない古いタイプの釜で、ケーキを焼いている。
とにかく簡単にということで、ホットケーキミックスにバターや卵、牛乳、砂糖を入れ、かき混ぜて炊飯スイッチを押すだけ。我が家の場合、「普通炊き」ではなく「玄米炊き」のメニューを選び、時間を長くして焼き色を濃くしている。
焼き上がったら切り分け、娘達はそのままで、私たちはシナモンシュガーを振りかけて頂く。休日のブランチはユッタリ気分
吹雪とは違う「冬の嵐」が吹き荒れている。ここのところ、連盟役員を辞めるまで気分がすっきりしなかったが、日歯連盟理事・道歯連盟理事長の辞職が決まり、安堵の気持ちで連休を迎えた。
「こんな風の強い日に出かけたら、ナニが飛んでくるかわからないよ」という制止の言葉を背に受けて、娘二人と野花南へ出かけた。案の定、ひどい風で歩くのもままならず。なんとか着いたが、風で倒れたカラ松が道路をふさぎ通行止め状態。
とりあえず樹を切り、脇に寄せて通れるようにしたが、一人でヤルには重労働。吹き荒れる風と寒さの中で汗だくになってしまった。よほど風が強かったせいか、他にも何本か倒れているが道をふさいではいないので、雪が融けてから片付けることに。カラ松は枝が広がることはなく、枝振りと同じほどにしか根が張らず、樹高の割には根を張る範囲が狭く、どうしても風に弱い。
ぬかるむ雪に埋まりながら、春を探して歩いてみた。今年一番の春は、サラサモクレンとハクモクレンの花芽。こんな寒い中でも命をつなぐために一生懸命生きている。フワフワの毛に覆われて防寒対策はバッチリだ。ネコヤナギの花穂に似た部分が割れ、中から上品な香りのピンクの花が顔を出すのがサラサモクレン。ビックリするほど大きな白い花が咲くのがハクモクレン。あと半月もするとフキノトウが出はじめ「油味噌炒め」のほろ苦さを味わえる季節になる。厳しい冬が過ぎ、着実に春の足音が近づいている。
自転車通勤も三日坊主で終わってしまった。雪が融けて路面が出ていたのもつかの間。また寒い日に逆戻り、雪が降り続いている。
南の地では桜の便りが聞こえ始めているというのに、北国の春はまだ遠い。融けては降ってを繰り返し、少しづつ冬が終わってゆく。一気に季節が変ってしまうと味気ないが「春の気配が行ったり来たりする、この季節」、ただ春が待ち遠しい。
一
春は名のみの 風の寒さや
谷の鶯 歌は思えど
時にあらずと 声も立てず
時にあらずと 声も立てず
二
氷解け去り 葦は角ぐむ
さては時ぞと 思うあやにく
今日もきのうも 雪の空
今日もきのうも 雪の空
三
春と聞かねば 知らでありしを
聞けば急かるる 胸の思を
いかにせよとの この頃か
いかにせよとの この頃か
街中では、まだアチコチ雪が残っている。車道の路面が露出してきたので、片道徒歩10分の通勤を自転車に乗り換えた。さすがに風が冷たく毛糸の帽子と毛糸の手袋は必需品。完全防寒スタイルの「ツーリング」ではなく「ツーキング」。
よく考えたら、人生60年にして初の自転車通勤だ。地球温暖化防止にはなるが、短い距離なのでカラダが温暖化する前に着いてしまう。ところどころ凍った路面も走るが意外と滑らない。健康にもイイが、なにより風に吹かれるのは気持ちイイ。
娘達をオモイッキリ走らせようと、まだ雪深い野花南へ連れて行った。やはり途中からクルマが入れず、山荘の入り口まで1キロほど歩く。このところ暖かい日や寒い日を繰り返しているので雪が固まり、それほど沈まずに歩ける。
まわりを見渡しても、まったく春の気配は感じられず完全に冬景色。それでもあと一月もすると福寿草やクロッカスが芽吹きはじめ、春は急速に訪れる。
ひとしきり走り回って帰ってきたが、よほど疲れたのか、ララはグロッキー。お股を拡げてグッスリ夢の中。
奴らが眠っている間に、我が家の定番「ホットケーキ粉と豆腐のコーン蒸しパン」を作る。牛乳パックと電子レンジで作るお手軽メニュー。10分もあれば出来上がる。冷める頃には娘達も目を覚まし、私たちのおやつタイム。日曜の昼下がりはノンビリムード・・・
ちょうど1年前「最後に愛は勝つ・・・」でも書いたが、お気に入りのものは徹底的に使う。欠けた湯呑みを金蝋で溶着して長年使っていたが、またまた欠けてしまった。
新しい仕事場には技工室がないので、やむなくコンポジットレジンで修復してみた。これでしばらくは使えそうだがツギハギだらけで「趣のある風景」には、ほど遠くなってしまった。この陶器を焼いた作家は、もうこの世には居ない。もし今、この茶碗の変わり果てた姿を見たら嘆くのだろうか、それとも喜んでくれるのだろうか。
なんだかんだ理由をつけては、ご馳走を頂く。我が家には縁のない雛祭りだが、二人の娘を祝って今夜もご馳走。富良野チーズ工房のカマンベールと熱々の串カツでビールを1本。マグロのヅケで燗酒を1本。締めは甘納豆のお赤飯と我が家自慢の玄米漬け。食い過ぎたァ
道産子の定番、甘納豆の赤飯だが、内地にはないらしい。小豆の赤飯もたまには蒸かすが、なんとなく黒飯のイメージで弔事を連想してしまう。祝い事には、なんといっても甘納豆の赤飯。ちなみに甘納豆の黒飯を見たことがないのは何故だろう。
普通、お赤飯は小豆の煮汁で色をつけるが、甘納豆赤飯の場合は食紅を使う。ただ、今夜の場合、家内が言うには「食紅をきらしていたので小豆を煮て、その汁で色をつけた」とのこと。それならいっそ小豆の赤飯にすりゃイイものをと思うが、それでも甘納豆だ。ザルに入れた甘納豆に水をかけて砂糖を落とし、蒸し上がった塩味のオコワに混ぜると、ほんのり甘くほんのり塩味がきいて・・・
もう一つ道産子の定番は、節分の豆まき。煎った大豆ではなく殻付き落花生を撒く。大きな升に落花生とキャラメルを入れ、親父が家中に撒くのを歓声を上げて拾い集めたのも遠い昔の想い出・・・
まだまだある道産子の定番、坂ビスケットの「英字フライ」。子供の頃のオヤツといえばコレ。というかコレしかなかった。学校から帰って「なんかない?」と聞くと、決まってコレが出てくるのでいい加減飽き飽きだった。今でもたまにスーパーで見かけるが、名前が変わったのか「しおA字フライ」と書いてある。なんの変哲もないビスケットだが、アルファベットを並べて遊びながら食べた懐かしい味を今でも舌が覚えている。
3人の息子が社会に巣立ち、自分に与えられた使命も半ば終わった。年齢に節目を迎えたので、これからの人生を設計し直そうと生命保険を見なおすことにした。子供達が巣立つ前は、不慮の死後、あとに憂いを残さぬようにと多額の保険をいくつも掛けていたが、この歳になると月々の保険料が倍ほどに跳ね上がり、生活を圧迫するので大幅に減額した。その途端、月々の支払いが嘘のように安くなった。
生きてるうちに使えるわけでなし、死んでから宝くじに当たったとしても嬉しくも何とも感じないだろうと相当安くしたのだが、新しい保険証券の額面を眺めていたら「自分の命の値段」を見るようで、なんだか情けなくなってきた。
命の重さは誰もが同じはずなのに、掛け金の額で命の値段に格差が生まれるとしたら、リッチな人の命は高額で貧しい人の命には価値がないことになってしまう。
命の値段を決める基準は、どこか別のところにあると思いたい。
運転免許の更新に行った。ところが視力検査に引っかかり、もう一度出直してこいと言われ、やむなく退散。最低限見えなければならない基準に達していないとのこと。眼鏡をして両目で0.7以上必要らしいのだが、ボヤけてまん丸にしか見えないのだからしょうがない。
普段、この眼鏡で何不自由なく暮らしてるのにと思いつつ、眼鏡屋さんに行った。検眼したところ右目はOKなのだが、左目は相当悪い。心当たりがないでもないが、去年チェンソーで樹を伐採しているときに受けた左目の負傷が原因かもしれない。とにかく免許の更新にパスするためだけの眼鏡をあしらえてもらうことにした。
以前、度数が合わなくなり眼鏡を新調したら遠くはハッキリ見えるが手元が全然見えなくなり困った経験がある。仕事の時は拡大鏡を使うので問題ないが、カルテを書くのにさえ不自由したことがある。この年になっても老眼に悩まされることなく、視力には自信があったのだが、いよいよ寄る年波には勝てなくなってきた。
まあ、世の中見え過ぎると幻滅することもあるからなあ。クルマの運転以外は、今のままの眼鏡で暮らそうと思っている。