上下水道使用料、今月支払い分なんと18万円!フザケルナアー!毎月1~2万円程度。先月は1万4千円だったということは、どこかで誰かが垂れ流しているようなので設備屋さんに調べてもらった。屋外の地中に埋まっている水道メーターのつなぎ目から漏れているとのこと。早速、地面を掘り起こし修理してもらったが、すでに漏れ出た水は、すべて地中に染みこんでどこかに消えてしまった。この料金を支払わなければならないのかと思ったら、ウチの責任じゃないので減免されるらしい。料金は、いつもの平均値で計算されるとのこと。いつから漏れていたのか知れないが、24時間垂れ流しっぱなしにすると水道代もバカにならないようだ。

 桜の季節も終わったが、今年は遅れ気味の農作業がなかなか進まない。連休中の悪天候や土日の行事が重なり未だに畑を耕せていない状況。まあ、ノンビリやるさ。

 今年もいつもの場所で京ブキを収穫してきてキンピラを頂いた。

京ブキのキンピラ

失業率9%

 アメリカ人のトムは、現在失業中の身である。朝7時に時計(日本製)のアラームが鳴る。コーヒーメーカー(台湾製)がゴボゴボいっているあいだに、顔を洗いタオル(中国製)で拭く。電気カミソリ(香港製)できれいに髭も剃る。朝食をフライパン(中国製)で作ったあと、電卓(日本製)で今日はいくら使えるかを計算する。腕時計(台湾製)をラジオ(韓国製)の時報に合わせ、クルマ(ドイツ製)に乗り込み仕事を探しに行く。

 しかし、今日もいい仕事が見つからず、失意と共に帰宅する。彼はサンダル(ブラジル製)に履き替え、ワイン(フランス製)をグラスに注ぎ、豆料理(メキシコ製)をつまみながら、テレビ(インドネシア製)をつけて考える。

 「どうしてアメリカにはこうも仕事がないのだろうか・・・」

民族ジョーク

 タイタニック沈没から100年目、豪華客船「コスタ・コンコルディア」が地中海で座礁し沈没。不謹慎だが、このニュースを観てすぐに頭をよぎったのは、あの有名な民族ジョーク・・・

▼タイタニック号がいよいよ沈没することになりました。救命ボートの数は女性と子供の分しかありません。男性は冷たい海の中に飛び込むしか方法はなく、それはつまり死を意味すること。そこで乗組員は、なんと言って男性乗客を説得したか?

 イギリス人には、「あなたはジェントルマンです」と言うと、プライド高いイギリス人は、我れ先にと海に飛び込み、アメリカ人には、「これであなたもヒーローです」と言い、ドイツ人には、「これはルールです」と言うと皆、海に飛び込んだ。さて日本人には何と言ったのか? 「皆さん、そうなさってますよ」

 今回の報道では、船長が我先に逃げ出したらしい。これも民族性によるものなのだろうか。ギリシャの経済危機やイタリアのベルルスコーニの報道を見てると、やはり民族性というのはあるように思う。そんな中、残念ながら日本人は主体性のない人種というのが世界の常識らしい。次の無人島ネタにも現れている。

▼無人島に男2人と女1人が流れ着いた。さあどうする?

フランス人:女は片方の男と結婚し、もう一人と不倫する。
アメリカ人:女は片方の男と結婚し、離婚して次の男と再婚する。
イタリア人:男同士が決闘し、勝った方が女と結ばれる。
ドイツ人:女と男一人が結婚し、残りの男が立会人を務める。
ロシア人:女には目もくれずウォッカを飲み始める。
スウェーデン人:男二人は愛し合い、女は自分を愛する。
日本人:男は、どちらが女と結婚したらいいか本社に問い合わせる。

 地域ヴァージョンで、おまけに名古屋ネタ

▼東京人・大阪人・名古屋人が会食後、会計のとき
 東京人は、「・・・予算足りるかなあ」と考える。
 大阪人は、「割り勘、なんぼになるやろ」と考える。
 名古屋人は、「お礼の言葉」を考える。
 Q. 名古屋にいる美人を総称してなんと呼びますか?
 A. 旅行者

ネタ元:Joke avemnue

西村まさみ不倫報道

 週刊文春で西村まさみの不倫が報道されて半月。その後、週刊新潮でも掲載。相変わらず纏まりも信念もない日歯連盟、初動対応が非常にマズイ。どの世界でも、トップがリーダーシップに欠けると組織も会員も不幸である。一番大事なことは、会員に対して、いかに納得いく説明ができるかなのだが。ただでさえ、連盟離れが進み各地で再入会勧誘キャンペーンなどが行われている矢先に、逃げの口実を与えてしまう出来事が起きたわけで、ここを何とか切り抜けるにはリーダーとして責任の取り方を明確に示し、会員に謝罪する必要がある。これが真っ先に行われなければ誠意は伝わってこない。

 個人のゴシップとはいえ、選挙で無理矢理汗を流すことを強要された会員にとって、とんでもなく迷惑な話である。こんなゴシップネタになるような女のために、知人友人に頭を下げ選挙運動をした会員が大勢いるに違いない。

 誠心誠意とか不退転の決意とか、言葉だけで格好をつけるのが民主党議員の本質。もともと能力もなければ信念もない。約束は守らず開き直り、罪を犯しても知らぬ存ぜぬ。挙げ句の果てに秘書や事務方に責任をなすりつける。しょせん、西村も同類相哀れむ民主党議員。

 世間では、西村が歯科医師会の議員として映るわけで、今回の報道で結局、恥をかくのは歯科医師会と歯科医師連盟とその会員。組織の役員が恥をかくのは、ある意味仕方のないことだが、西村選挙に汗を流した会員のイメージが悪くなり、日々の診療や歯科保健活動に支障が出るとしたら、誰かが責任をとらなければならない。

 西村支援を決めた前執行部理事長である現会長が詰め腹を切らなければ、会員に示しがつかない。責任の取り方として本来、辞任に値するが、最低でも報酬を全額返上して会員に頭を下げるのは当たり前。こうして自らの責任の取り方を示すことで、西村本人に猛省を促すことこそ「担いだ人間としてのスジの通し方」というもの。

 ところが現在、日歯連盟の対応は「報道された事実は大変遺憾ではあるものの、公務に直接支障はなかったと判断し、またプライベートな事柄については関与しないとの認識ではあるが、西村議員に対し厳重に注意するとともに再びこのようなことが起きないよう申し渡した。その際、西村議員からは書面をもってのお詫びがなされた。」というもの。

 これで果たして何が解決したのだろうか。ただ体裁を繕うために「本人を呼びつけて注意をしたところ、詫びが入った。」というだけのこと。会員に迷惑をかけたという事実に対して、誰も何の責任も取らずに済まそうというのか。まして、悪いのは西村であって自分は何にも悪くないという姿勢は、組織として支援を決めた責任、組織として管理できなかった責任を自覚していないと言わざるを得ない。

 これでは、西村選挙を一生懸命やった会員ほど、辞めたくなるのは当然で、西村選挙に反対していた会員に辞める口実を与えることになるのは避けられない。日歯連盟存亡の危機だというのに、開き直る政治家、責任を取らない日歯連盟役員、どちらも同じ穴の狢・・・

極上の秋の香り

 嬉しいことに毎年この時期になると、長野の知人からカリンが届く。一度、生で囓ったことがあるが果肉は固く渋くて酸っぱくて食べられなかった。蜂蜜に漬けたりカリン酒にすると、甘い香りが移って美味。風邪の薬にもなるようだ。だが、なによりもカリンの価値は、その芳香にある。言葉で表現するのは難しいがフルーティで甘く優しく清楚で品のある香りにウットリする。

 この香りは、玄関ではお客さんをモテなし、茶の間では2匹のボーダーコリーの様々な臭いを覆い隠して余りあり、枕元では気持ちよく夢の中へイザナってくれる。まさに、この時期にしか味わえない極上の秋の香りを楽しんでいる。特に狭い空間の中では一層、香りが引き立つのでクルマに1個乗せてある。以前、人工的な香りの芳香剤を使って、その甘ったるいイヤな香りに辟易して捨てて以来、クルマに香りを乗せたことはなかったが、自然そのもののカリンの香りでα波出っぱなし状態。

民主的四字熟語

 こういう人にだけは、この国を任せたくはないのだが・・・

▼ 夜郎自大(やろうじだい)
 自分の力量をわきまえず、仲間うちで威張ること。知識も力もないのに尊大にふるまうことのたとえ。

▼ 唯我独尊(ゆいがどくそん)
 世の中で自分だけがえらいと思い上がること。

▼ 遼東之豕(りょうとうのいのこ)
 他の世界を知らないため、他人から見れば何でもないことを、得意に思うこと。ひとりよがりなさま。

▼ 厚顔無恥(こうがんむち)
 あつかましく恥知らずでずうずうしいこと。つらの皮の厚いこと。

▼ 傍若無人(ぼうじゃくぶじん)
 人前もはばからず、まるで近くに人がいないかのように勝手気ままに振る舞うこと

▼ 傲岸不遜(ごうがんふそん)
 人を見下すような態度を取ること。

▼ 得手勝手(えてかって)
 わがままなこと。他人の気持ちや立場を尊重しないで、自分だけに都合のいいように行動すること。

▼ 我田引水(がでんいんすい)
 我が田に水を引く。つまり物事を自分の都合のいいように取りはからったりすること。

▼ 牽強付会(けんきょうふかい)
 道理に合わないことを無理にこじつけ、理屈づけること。

▼ 断章取義(だんしょうしゅぎ)
 原文の意味に関係なく、自分の言に適する部分だけを取って自由に解釈する。

▼ 郢書燕説(えいしょえんせつ)
 こじつけてもっともらしく説明すること。<

▼ 漱石枕流(そうせきちんりゅう)
 自分の言ったことの誤りを指摘されても直そうとしないこと。
 また、負け惜しみをしてひどいこじつけをするような偏屈な態度。

▼ 独断専行(どくだんせんこう)
 他人に相談しないで勝手に決め、物事を行うこと。

「知ってる? ほら、今度、キミんちの近くにできた 愛のファミリーレストラン」

「いや~、知らなぁ~い」

「こないだ、行って来たんだけどね、これがすごいんだよ」

「なにがぁ?」

「ハンバーグを注文したんだけどね、それが出てきたらビックリさ」

「どぉしたの~?」

「それがさ、ハンバーグからチヂレた毛 が一本でてるんだよ」

「えーっ! うっそぉ~! やだぁ~!」

「それでね、ウェイトレスを呼んで "これ、ひどいじゃないか"って言ったんだよ」

「うんうん、そぉしたら~?」

「そのウェイトレスがね "お客さん、知らないんですか?これは、ウチの特製ハンバーグなんですよ。ウチのハンバーグは、こうやって作るんですよ"って言うんだ」
(右の手のひらを左の脇のあいだにはさんで、脇をパフパフと開閉させながら)

「えーっ! やだぁ~! なにそれぇ~! しんじらんな~ぃ!」

「そうだろう、えーっ!って、驚いているとね、そこへボーイがやって来てね、"お客さん、こんなんで驚いていたら、ウチのドーナッツなんか食べられませんよ"って言うんだよ」
(左右の手で、親指と人差し指を輪にしてドーナッツの形を作り、腰を前後に振りながらズボンのチャックの前で前後に動かして)

「きゃあ~! やだぁ~! うっそぉ~! はずかし~ぃ! ひぃどぉ~い! それでぇ~?」

「なっ、それでね、またまた、えーっ!って 驚いていると 今度は支配人がやって来てね "お客さん! そんなんで驚いてたら、ウチのギョウザなんて食べられませんよ!"って」

「・・・・・・・・?」

ああ、「愛のファミリーレストラン」で餃子を喰ってみてぇ

 例年に比べ雪が少なく、楽してる。朝早く起きての雪掻きはつらいからなあ。これも地球温暖化の影響なんだろうか。とすれば、温暖化も悪くないんじゃない?と思えてしまう不埒な私である。

 性格が素直じゃないので一度、考えてみる。「地球温暖化ってのは本当に悪いことなんだろうか?」。強調されるのは、海面上昇や砂漠化など負の側面ばかりだが、暖かい冬を経験してしまうとまんざらでもないような気が。

 もともと地球は、過去に何度も氷河期・温暖化を繰り返してきた。現在、超長期的にみると氷河期にむかっているという。想像できないくらい長いスパンで考えると、地球自身、環境を変えながら存在し続け、今このとき、ほんの一瞬に過ぎない期間に人間ごときが文明の利器を振り回して多少、地球の表面を汚したとしても地球自身の生命力がリカバリーしてゆくのだろう。

 砂漠化する地域もあるが、シベリアのタイガやツンドラが穀倉地帯になる可能性だってあるのだし、温暖化によって得をする人もいれば、損をする人も出てくる。温暖化で今の世界の秩序が乱れ、国際的な力関係が変わってしまうことから、国際政治問題として取り上げられている側面もある。言い換えれば、これはエコではなくエゴだ。いたずらに不安を煽るだけでなく、何が不都合な真実なのか教えてほしい。

 ただなあ、明日の天気予報でさえ正確に当たらない世の中、長期的な気候変動が本当に予測できるのだろうかと心配になってくる。

勘違いの男達

♪ダバダ~

 「違いがわかる男」がインスタント・コーヒーなんか飲むわけねぇだろ。と、あのCMが始まった頃、テレビに向かって毒づいていた。その「違いがわからない勘違い男」が、こんなに沢山いるとは思わなかった。というのも例のCM、毎年一人か二人づつ出演していて今年で40年も放映されている。世にいう有名人。それも皆、一芸に秀でる人達ばかりだ。

松山善三(映画監督)、黛敏郎(音楽家)、中村吉右衛門(歌舞伎役者)、遠藤周作(小説家)、池坊専永(華道家)、北杜夫(小説家)、岩城宏之(音楽家)、清家清(建築家)、野村万作(狂言師)、二谷英明(俳優)、江藤俊哉(音楽家)、曾田雄亮(陶芸家)、後藤純男(日本画家)、石丸寛(音楽家)、阿川弘之(作家)、やまもと寛斎(ファッションデザイナー)、観世栄夫(能楽師)、由良拓也(レーシングカーデザイナー)、沢井忠夫(箏曲奏者)、高倉健(俳優)、靃見芳浩(経済学者)、小田和正(シンガーソングライター)、宮本輝(小説家)、坂東八十助(歌舞伎役者)、宮本亜門(演出家)、錦織健(オペラ歌手)、川瀬敏郎(花人)、石丸幹二(劇団四季俳優)、熊川哲也(バレエダンサー)、和泉元彌(狂言師)、山本容子(銅版画家)、松本幸四郎(歌舞伎役者)・市川染五郎(歌舞伎役者)・松たか子(女優)、野口健(登山家)、外尾悦郎(彫刻家)、緒形拳(俳優)、唐沢寿明(俳優)・三谷幸喜(劇作家、脚本家、俳優、映画監督)、大平貴之(プラネタリウムクリエーター)、小林崇(ツリーハウスクリエーター)

 CMが開始されたのは、昭和45年。「違いがわかる男」から「上質を知る人の」にキャッチコピーが変わったのは、平成3年のこと。「やっぱり気づいたかよ。遅いんだよ」と、またまたテレビに向かって毒づいた。その後、平成12年からは「違いを楽しむ人の」と、どちらかというとマトモな解釈になった。

 普通のネスカフェとゴールドブレンドでは、味が違うのかもしれないが、私にはよくわからない。つまり私は「違いのわからない男」ということになる。でも、ビールの味の違いならキキワケる自信はある。昔「クリープを入れないコーヒーなんて」とカッコつけてた「田村正和」が、最近「ビールと間違いましたあ」と叫ぶ「麦とホップ」。発泡酒か第3のビールか知らんけど、それはナイッテ。「ゼッタイ間違いませんって」

 そういえば「違いがわかる男」のリストに「田村正和」の名前はなかったよなあ。

やればできる

 「ヤレばデキる」。誤解のないように言っておくが、中学校の性教育でいうところの意味ではない。

 子供の頃、親にも学校の先生にも「おまえはやれば出来るんだから」と言われた記憶がある。また、通知箋の通信欄に「玉磨かざれば光なし」と書かれたことも。当時の私が玉であったかどうか怪しいものだが、能力に応じた努力を促し、子供をオダてヤル気にさせようという魂胆だろうことは、今ならば理解できる。しかし果たして今の世の中、やれば必ずできるのだろうか。夢も希望も溢れていた昭和の中頃、明るい未来を信じて努力すれば必ず報われると誰もが一生懸命生きていた。

 全体主義にとらわれない個人主義、いわば利己主義ばかりが蔓延する現代、「やればできる」を信じて、やった結果が悪ければ落ちこぼれてゆく。「やればできるというのは、やってできた人のセリフ」であって、実際は「やればできるかもしれないが、やってもできないかも」、「むしろやればできるとは思わないほうが良いかも」、「やれば出来るほど世間は甘くない」、「やらないより、やったほうが良いかも」という退廃的な考え方が大勢を占めてきたような気がする。

 この風潮が良いことでないのは当たり前だが、今の閉塞感に満ちた社会では、生きることに精一杯であったり、生きることが困難であると感じる人もいて、どうにも出口が見えてこない。せめて、気の持ち方を変えることで殻を破ることは出来ないだろうか。

 「やって、あたりまえ」という感覚。

 「やらなければならないことは、やってあたりまえ」。学生は勉強して当たり前。社会人は働いて当たり前。家庭の主は一家を養って当たり前。人間は一生懸命生きて当たり前。政治家は国民のことを第一に考えて当たり前。それぞれの人がそれぞれの道を当然のように歩んでゆく。そんな世の中になれば、いつかまた「やればできる」という努力が報われる希望に満ちた社会が戻ってくるのではないだろうか。

 甘いと言われれば、それまでだが。

1  2  3

  すべての記事概要

  ラジオ録音盤

  リンク

CLUB ZENA

Powered by Movable Type 5.14-ja

  SSL証明書



  |  全記事一覧