ヤマドリタケモドキ ヤマドリタケモドキ

 カンカン照りの猛暑だった今週月曜日。スライスした「野花南産ポルチーニ」は、午前中だけでカラカラに乾いてしまった。濃厚な旨味を感じさせる独特な香りが漂うが、なんたって人生初のポルチーニ茸。果たして、この香りが本物なのか?味わったとしてもホンマモンの味なのか?どうかがわからない。

 もしドクヤマドリであれば、ほんの少しの量でも5時間ほどで下痢、腹痛、嘔吐、発熱などがおきるという。未だに「ヤマドリタケモドキ」なのか「ドクヤマドリ」なのか確たる自信が持てない。しかし今さら、これがドクヤマドリであったとしても喰わずに死ねるか!と思わせるほど旨そうな香りがする。

ポルチーニのクリームペンネ  今週は過密スケジュール。月火水木と毎晩出掛けなければならないため、万が一ドクヤマドリであった場合、どの日に食べてもヤバイことになる。やっと今夜金曜の夕食に口にすることができた。どう料理するのが一番旨いか。やはりポルチーニはイタリアンということで、クリームペンネで味わうことに。乾燥ポルチーニを水で戻し、バターで炒めてから戻し汁を加えて煮詰める。そこに生クリームを注ぎ、コンソメで味付けてソースが完成。茹でたペンネを入れ、粉チーズと黒胡椒を振りかけソースを絡ませる。見た目は、完全にイタリアン。これなら「ドン・アルフォンソ」に出しても恥ずかしくない?と思えるような出来栄え。あいにく赤ワインを切らしていたので、ビールで頂く。

なんだあ!この深い味わいは!

 これは旨い。魚の干物のような生臭さは完全に消え、コクと旨味成分だけが凝縮された味。なんとも表現できない香りが鼻から抜ける。ポルチーニ初体験なので本物かどうかわからないが、とにかく旨い。もう本物かどうかなんてどうでもよくて、考えることさえ無意味に思えてしまう。

 こんな旨いものを一人占めするのは悪いと思い「旨いぞお、食べてみ」と家内に勧めるが、「まだ、死にたくないから」と絶対に口にしない。やっぱり、私の採ったキノコは信用できないようだ。というか、私自身を信用していないふしがある。夕飯を終えたのが7時半。今、9時半を過ぎたところだが体調に変化なし。あと3時間ほどでドクヤマドリだったのかどうかが判明する。

毒キノコの幻覚作用

 トキメキの季節がやってくる。キノコのことを考えると、居ても立ってもいられないので横になってキノコ図鑑を眺めている。今年初めてのキノコ狩り。というか、どんな具合かしらと山荘へ下見に出かけた。なんと今年最初のゲットが、あの美味なる「タマゴタケ」。傘が開いて大きくなって食べ応えありそう。

タマゴタケ タマゴタケ

 ラクヨウは時期的に早いが、裏が管孔(スポンジ状)になっているイグチ系のキノコを見つけた。ヤマドリタケモドキのように見えるが、ヤマイグチかドクヤマドリということもあるので持ち帰って図鑑で調べることに。図鑑で見比べ、インターネットで調べる。「たぶんこれだろう」という結論に達するが、あくまで「たぶん」の域は出ない。あとは実食で確認することに。まさに命がけのトライアル。久々にワクワクする興奮。

ヤマドリタケモドキ ヤマドリタケモドキ

 もし、これがヤマドリタケモドキであれば、フレンチで云うところの「セップ茸」、イタリアンでは「ポルチーニ茸」、ヨーロッパのマツタケと呼ばれる「キノコの王様」「香りの女王様」。とりあえず、スライスして干してみた。外で天日にあてていたら雨が降ってきたので部屋干しに変えたが、これが臭いのなんの。部屋中、魚の干物のようなスルメのような動物性の強い匂いが充満。当然、家族からはヒンシュクもの。ここまで香りが強いと料理に使うのも躊躇してしまいそうだが、これが旨味成分だとすると、かなり濃厚な出汁が期待できそう。どちらにしても野花南産ポルチーニの乾物を味わうのは、少し先になりそう。

ヤマドリタケモドキ タマゴタケ味噌汁

 タマゴタケは早速、味噌汁にして頂いた。タマゴタケの黄色い色素が落ちて、まるでカボチャの味噌汁のような色になる。滋味溢れる旨味成分が口中から脳天まで広がり「はあー、幸せだなあ!」という気分にさせてくれる。ラクヨウキノコの味噌汁にも匹敵するほど旨い。味がどうのこうのというより、言葉に尽くせぬ安らぎと充足感に満たされる。まるで母なる大地に抱かれているよう。やはり、私はキノコから生まれてきたのかも。

 と思って調べてみたら、タマゴタケの色やカタチは、あの派手な色彩の毒キノコ・ベニテングタケによく似ている。どちらも同じテングタケ属。ベニテングタケに含まれる毒成分のイボテン酸は非常に強い旨味成分(味の素のグルタミン酸ソーダの約16倍)であり、幻覚作用をおこすという。同じ属のタマゴタケにも強い旨味成分と幻覚を起こす物質が入っているのだろうか。そのせいで私は、幸せな気分でいられるのかもしれない。それとも、誤ってベニテングタケを食べて、単に幻覚を見ただけなのだろうか。

恋泥棒は罪?

丹波栗 もう何年も前に植えた丹波栗。春の新芽が毎年、鹿に喰われ大きくなれずにいた。桃栗3年のはずが10年経っても成長しない。「桃栗3年、柿8年、梅は酸い酸い13年、柚子は大馬鹿18年、林檎ニコニコ25年、女房の不作は60年、亭主の不作はこれまた一生」からすると、結実しない我が家の丹波君は、私のように一生不作なのかと思っていたが、昨年から急にグングン伸びてきた。オクテな丹波君にも遅い春がやって来たようだ。これから栗の花の臭いをまき散らしながらブイブイいわせるに違いない。今のところは、ヘンな虫がつかぬよう見守るだけ。

 一昨年、苗を取り寄せ植樹した初孫の記念樹「どんぐり」は、順調に育っている。春は、鹿に新芽を摘まれぬよう、しばらく冬囲いを外さずにいた。また、マーガレットの時期には鹿や狐の目につかぬよう周囲を刈らず、わざと雑草に埋もれるようにしていた。おかげで今も雑草だらけだが、青々と葉を茂らせて元気。このまま大きく育ってくれることを願っている。

ミズナラ 鯉

 私も一度だけ見かけたが、ときどき見知らぬ人が来て池の鯉を釣っていくらしい。いわゆる鯉泥棒。恋泥棒なら罪にならないが(ホントか?)、鯉を盗んだら立派な犯罪。ただ、普段誰も常駐してないので防ぎようがない。その上、山荘の鯉は地主に似ず愛想良く、人の姿を見ると寄ってくる。あれじゃ釣って下さいと云ってるようなもの。去年より激減したと思っていたが、あちこちで賑やかに泳ぎ回る姿に一安心。以前、野生のミンクにヤラれて全滅したことがあるが、釣人にも情けがあるようで根こそぎは捕られていない。

 これからの季節、鯉泥棒だけじゃなくキノコ泥棒も出没する。これが問題なのだ。キノコに恋する私にとって山荘内のキノコを採ってく奴は、まさに恋泥棒以外の何者でもない。他人にキノコを採られると、私の心にポッカリと大きな穴が開く。これって、やっぱり恋?

白クマ塩おかき 旨いモノがあると、押しつけがましく配ってしまう。先日も旭山動物園限定「白クマ塩ラーメン」をお裾分けしたら、先様からお返しに「白クマ塩おかき」という土産を頂いた。二番煎じを狙ったとしか思えない同じデザインのパッケージ。「オホーツクの塩使用」と書いてあるが、とにかくショッパイ!口に入れると、まるで海で溺れてるようだ。きっとこれは、オホーツクの海水の味を再現したモノに違いない。ということは、白クマが食べるおかきなのかい?それでも、どうにかして食べようと試みる喰い意地の張った私は、塩気を落とそうとザルにあけて振るってみた。でも、無理!ギブアップ。結局、親の教えに背いて食べ残すことに。たまたま、製造過程で底に溜まった濃い塩味のところだけ袋詰めされてしまったのかも。

 同時に頂いた土産が、札幌円山動物園限定「白クマ塩ラーメン」と「熊出没注意」醤油・味噌ラーメン。こちらからの「旭山」に対して「円山」で返してくる洒落たセンスには嬉しくなる。白い袋、円山動物園のオフィシャルキャラクター「ピリカ」という名のホッキョクグマを模したデザインはイケてるが、熊出没注意の奇をてらったデザインもここまで徹底されると、なんとなく北海道が馬鹿にされているように感じるのは私だけなのだろうか。昔、木彫りの熊が北海道土産の代名詞のように云われていた時代、土産物屋の片隅に飾られた熊出没注意の暖簾やTシャツの垢抜けない姿が北海道の貧しさを卑屈に表現しているように感じていたあの頃の記憶がよみがえるせいかもしれない。

円山動物園白クマ塩ラーメン 熊出没注意ラーメン

 だが、外見で中身を判断できないのは、日本一旨いインスタントラーメンの称号をもつ旭山の白クマラーメンで実証済み。今回頂いたラーメンすべてが、旭山白クマと同じ製造元「藤原製麺」の製品。マズかろうはずがないということで実食。私は熊出没味噌、家内は熊出没醤油を頂いた。うーん、インスタントの域は超えているが、お店の味そのものと云うには無理がある。旭山塩ラーメンによく似た麺だが、この細麺は味噌や醤油には合わない。どうやら、藤原製麺シリーズでは、塩味がベストのようだ。マズいと云ってる訳じゃないので誤解のないように。インスタントにしては、かなりハイレベル。きっと、あの田村正和なら「間違えましたあ」と叫ぶはず。

 残った1個がシリーズ中ベストの塩味、その名も同じ「白クマ塩ラーメン」。「旭山」が勝つか「円山」が勝つか、その結末はいずれの機会に...

バリスタの言語能力

 朝起きて一番に湯を沸かし「煎茶」を淹れる。亡くなったオフクロの口癖「朝茶は、その日の基礎になる」を今でも実践している。残りの湯で「千草28茶」を煎れ、ステンレスポットに移し職場へ持って行く。午前の休憩に、この温かいお茶を頂きながらホッと息をつく。家に戻り昼食後「玄米茶」を呑んで昼寝。寝起きに「抹茶」を一服頂いて午後の仕事へ出掛ける。午後から暇な私は、読書をしながらゆっくり「コーヒー」を落とし至福の時を過ごす。夕餉のあとは「焙じ番茶」。一日中、お茶に接して過ごしているのは「好きだから」というより「生活の一部になっている」からだと思う。

 ときどき台湾茶も頂くが、本当に旨いモノは高価なので、そうそう口に入らない。「阿里山高山金萱茶」や「文山包種茶」は100g7~8千円もする。そんな特別な頂き物でもない限り普段は、うおがし銘茶の「しゃん」という煎茶、玄米茶は「茶太郎」、焙じ茶は「はいから」というのが我が家の定番。「どうせ頂くなら、美味しい方がイイ」というのがモットーだが、これでなかなか難しいのがコーヒー。豆の種類や焙煎の具合、淹れ方によってまったく味は変わるが「雑味がなくスッキリした白湯の中にコーヒーの味がする」というのが私の好み。言葉で表現するのは難しいが「苦すぎず酸っぱすぎず濃すぎず薄すぎず、無味無臭の透明な湯の中に奥深いところから立ち上がるコーヒーの香りと深い味わい。まるで銀紙を噛んだときのような味」と云ったら、余計わかりにくくなったってか?

タリーズコーヒー 先日、タリーズのコーヒー豆を頂いた。ブラジル、キリマンジャロ、マンデリンの3種。親切にもそれぞれの袋に味の特徴が書いてある。例えばマンデリンの場合「大粒に揃ったこのマンデリンは、華やかで甘いアロマ、大地を感じる力強いコクが特徴的です。マンデリンらしいバターのような風味がその味わいに深みを加えます」という具合だが、読めば読むほど理解できない。大地を感じる力強いコクって何だ?そもそもコーヒーなのにバターの味がするのか?イッタイどんな味なのさ?

 いわゆる「バリスタ」と呼ばれるコーヒーの専門家が、プロとして豆の特徴を表現しているのだろうが、言語能力に限って云えば「銀紙のような」としか表現できない私とたいして違わないような気がする。そこで、実際に飲んでみた。「うわっ!濃い!苦い!」というのが、マイ・ファースト・インプレッション。まるで苦すぎるエスプレッソ。これは豆の持ち味じゃなく淹れ方に問題があるようだ。そのせいか、大地のコクもバターの味も銀紙の味もしなかった。

 味を言葉で表現するのは難しい。旨いモノは旨い、不味いモノは不味いとしか云いようがないが、世の中そう単純に割り切ってしまうと「バリスタ」も「ソムリエ」も、おまんまの食い上げになってしまう。だから、私もあえて「違いがわかる男」の振りをしてコジャレタ言い方で表現してみよう。淹れ方さえ間違わなければ「風に漂う羽毛のように軽やかな酸味が特徴的。サッパリしてるのに、どこか懐かしい都会の風景のようにコッテリしている。口に含んだ瞬間、舌が痺れるような苦みを楽しむことができます」なんてのは、どうだ。

午後の暇つぶし

 仕事のメインは息子なので、オマケの私は暇してる。それでも午前中は「私でなければ」というリクエストに応えて結構忙しい。人間、必要とされるうちが華。アリガタイことです。いつまでアテにされるかわからないが、あくせくしないで働けるのは幸せなこと。

知恵の輪 仕事中の余暇?は、もっぱら読書。ほとんどが推理小説。最近特に小難しい内容の本は読めなくなってしまった。興味のあることしか頭に入らないのは、歳のせいかも。あとはブログの更新やネットサーフィンで時間をつぶしている。いや、つぶすという言い方は良くない。時間を有効に活用している。

 そんな暇な午後の私にとって、新たな楽しみ。待合室にある「知恵の輪」。息子が解き終えたものを患者さん用に置いてあるのだが、これがなかなかの難物。レベル1からレベル6まであって難易度が低いのは、なんとか解けるが、さすがにレベル6は難しい。指が金属臭くなるまで格闘している。

 最近やっと、レベル6の一つが解けた。こういうのは解けた瞬間の喜びは大きいが、解き方を覚えてしまうと、急に興味を失ってしまう。まるで「オンナをものにするのと同じ」と言ったら怒られそう...

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