朝起きて一番に湯を沸かし「煎茶」を淹れる。亡くなったオフクロの口癖「朝茶は、その日の基礎になる」を今でも実践している。残りの湯で「千草28茶」を煎れ、ステンレスポットに移し職場へ持って行く。午前の休憩に、この温かいお茶を頂きながらホッと息をつく。家に戻り昼食後「玄米茶」を呑んで昼寝。寝起きに「抹茶」を一服頂いて午後の仕事へ出掛ける。午後から暇な私は、読書をしながらゆっくり「コーヒー」を落とし至福の時を過ごす。夕餉のあとは「焙じ番茶」。一日中、お茶に接して過ごしているのは「好きだから」というより「生活の一部になっている」からだと思う。
ときどき台湾茶も頂くが、本当に旨いモノは高価なので、そうそう口に入らない。「阿里山高山金萱茶」や「文山包種茶」は100g7~8千円もする。そんな特別な頂き物でもない限り普段は、うおがし銘茶の「しゃん」という煎茶、玄米茶は「茶太郎」、焙じ茶は「はいから」というのが我が家の定番。「どうせ頂くなら、美味しい方がイイ」というのがモットーだが、これでなかなか難しいのがコーヒー。豆の種類や焙煎の具合、淹れ方によってまったく味は変わるが「雑味がなくスッキリした白湯の中にコーヒーの味がする」というのが私の好み。言葉で表現するのは難しいが「苦すぎず酸っぱすぎず濃すぎず薄すぎず、無味無臭の透明な湯の中に奥深いところから立ち上がるコーヒーの香りと深い味わい。まるで銀紙を噛んだときのような味」と云ったら、余計わかりにくくなったってか?
先日、タリーズのコーヒー豆を頂いた。ブラジル、キリマンジャロ、マンデリンの3種。親切にもそれぞれの袋に味の特徴が書いてある。例えばマンデリンの場合「大粒に揃ったこのマンデリンは、華やかで甘いアロマ、大地を感じる力強いコクが特徴的です。マンデリンらしいバターのような風味がその味わいに深みを加えます」という具合だが、読めば読むほど理解できない。大地を感じる力強いコクって何だ?そもそもコーヒーなのにバターの味がするのか?イッタイどんな味なのさ?
いわゆる「バリスタ」と呼ばれるコーヒーの専門家が、プロとして豆の特徴を表現しているのだろうが、言語能力に限って云えば「銀紙のような」としか表現できない私とたいして違わないような気がする。そこで、実際に飲んでみた。「うわっ!濃い!苦い!」というのが、マイ・ファースト・インプレッション。まるで苦すぎるエスプレッソ。これは豆の持ち味じゃなく淹れ方に問題があるようだ。そのせいか、大地のコクもバターの味も銀紙の味もしなかった。
味を言葉で表現するのは難しい。旨いモノは旨い、不味いモノは不味いとしか云いようがないが、世の中そう単純に割り切ってしまうと「バリスタ」も「ソムリエ」も、おまんまの食い上げになってしまう。だから、私もあえて「違いがわかる男」の振りをしてコジャレタ言い方で表現してみよう。淹れ方さえ間違わなければ「風に漂う羽毛のように軽やかな酸味が特徴的。サッパリしてるのに、どこか懐かしい都会の風景のようにコッテリしている。口に含んだ瞬間、舌が痺れるような苦みを楽しむことができます」なんてのは、どうだ。