ご飯にナニかを乗せて食べるのが嫌い。ご飯とオカズは別々に食べたい。ご飯はご飯、オカズはオカズ。例えば納豆。納豆は好きだが、ご飯と納豆は別に盛って食べる。ちなみに好きな納豆の薬味は、オカカと刻みネギ。あまり、かき混ぜず醤油は少量。あくまで醤油「本膳」であって、添付のタレは使わない。ご飯にかけないので味は濃くしない。
毎年秋に漬けるイクラの醤油漬けもイクラ丼にしない。ご飯にかけず別々に食べる。イクラだけを口に入れ、プチプチと潰れて口一杯に広がった旨味を味わってからご飯を放り込む。こうするとイクラの味が洗い流され、また新鮮な感覚でイクラを味わうことができる。まさに無限イクラ。同様にウニも丼にしない。ウニとご飯は別々。ウニはワサビ醤油で味わって、ご飯を口に入れる。ウニをご飯に乗せると、生暖かくなってしまうのも気になるところ。
外食の場合はしょうがないが、家ではカレーとご飯は別の器によそう。カレーはカレー、ご飯はご飯で食べる。牛丼の汁ダクなんてのはモッテの他、できれば別盛りがいい。最近、テレビで「コクー」とか「ウマー」とか叫ぶキムチのCM。ご飯にキムチを乗せるとキムチの汁が白いご飯に染み込んでいくラストシーン、もう見てるだけで気持ち悪くなってしまう。
たぶん、子供のころの弁当に原因があるのかもしれない。小中高を通して一度も給食に巡り合ったことがない私。学校へは弁当持参が当たり前。オカズは、だいたいが前の晩の残り物。今のように密閉容器なんてない時代。アルマイトの弁当箱で、いちおう仕切りを境にご飯とオカズが並ぶ。最悪なのは、オカズが煮しめのとき。鞄に入れて持ち歩いた弁当箱は縦になったり横になったり。蓋を開けるとご飯は片寄り、ご飯の一部が煮しめの汁に染まっている。これが嫌で嫌でしょうがなかった。オカズと白いご飯の部分だけ頂き、煮しめ味のご飯は残していた。この歳になるとモッタイナイと思うことも、なんといっても子供の頃の話。たぶん、そんな経験がトラウマになっているのかも。
そんな私だが、ご飯の上に乗っていても許せるものがある。
うな重
世の中にこんな旨いものがあるのかと思わずにいられない。これこそ、ご飯の上に乗っていなくてはいけないし、ご飯とご飯の間に隠れていたらもっと嬉しい。パソコンの壁紙を「うな重」にしてヨダレを垂らしている私は、白焼きより蒲焼派。あの焦げたタレの匂いには抗えない。
これも子供の頃のトラウマか。我が家では、ウナギは大人が食べるもので子供の口には入らないものと決まっていた。初めて食べたのは大学生になってから、「親父たちは、こんな旨いものを食べていたのか」愕然とした。その反動で「ウナギの蒲焼き様」を信奉するようになり、パワーの源ウナギンを求めるカラダになってしまったようだ。
良いにつけ悪いにつけ、子供の頃の「食育」の大切さを実感する今日この頃である。
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