我が家では、素焼きの焙烙(ほうろく)で煎茶を焙じて飲んでいる。炒りたてのほうじ茶の香りは、やはり格別。焙煎にかかる時間は、ほんの数分なので、毎回飲む直前に焙じている。そのときの気分によって、浅く煎ったり深く煎ったり。そのとき、部屋中に昔のお茶屋さんの前を通りかかった時のような香ばしい匂いが漂い、いっときの幸せを感じる。
匂いといえば、犯罪ともいえる匂いがある。街を歩いていると風向きによっては遠くからでも強烈な匂いが漂い、その匂いを嗅ぐと私は、ついフラフラと引き寄せられてしまうか、その時の腹具合というか懐具合によっては、逃げるように離れることにしている。あれは反則というか、凶器というか、まるで犯罪だ。ケムに巻かれるという言葉は、まさにあのこと。
鰻屋さんは、どうして意図的に強力な換気扇を使ってまで蒲焼の匂いを外に振りまくのか。店の周辺は、蒲焼の匂いで公害状態。あれこそ職権乱用以外の何物でもない。匂いだけでは、生唾ゴクゴク頭がクラクラ状態になってしまう。「鰻を焼く匂いだけで飯が一杯喰える」と言う人がいるが、匂いだけでは、これ以上ないっていうくらい欲求不満に陥ってしまう。
じつは私、毎日でも「うな重」「うな丼」が食べたい。世の中にこんな旨いものがあるかしら。と思えるくらい大好き。そのうえ、どういう訳か、鰻を食べると、その日一日、精神的に落ち着く。ユッタリとした気分になり、とても優しい気持ちになるから不思議だ。きっとウナギに含まれるナニかの成分が、そうさせるのかもしれない。嘘か誠か試してみたい人は、ぜひ、私に「うな重の松」をご馳走してみてくれませんか。
生まれて初めて鰻を食べたのは大学生になってから。子供の頃、我が家では大人の食べるものであって、子供の口には入らないものと決まっていた。初めて食べたのは小さな蒲焼が一切れだけ乗った500円の「うな丼」。40年も前のことだが、あの当時でさえ格安だったこと、汚れた雰囲気の店だったことは忘れない。
ただ、味を覚えたのが名古屋という土地柄のせいか、蒸さずに焼く関西風に慣れてしまい、道内では名店と名高い店でも、どうにも皮も身も柔らかく感じてしまう。しかし、私の中の日本人としてのDNAが、あの濃厚なタレの味を求め、焦げたタレの匂いに誘惑され続けている。
あー、まさにあの匂いは犯罪だあ。