毎年恒例の大根干し、今年は40本。1本の紐で二つの輪っかを作り、重ねて二重にしたところに大根を通して絞る。これを繰り返し下から編んでゆく。昔は2本の縄を平行に垂らしスダレ干しにしていたが、最近は手を抜いている。子供の頃、どこの家でも大根はスダレ干し。まさに秋の風物詩だった。たぶん、軒先に吊るすと外から丸見えなのでキレイに干していなければ、だらしない家だと思われる風潮だったのかも。そういう意味では外から見えないとはいえ、ベランダに乱雑に吊るされた大根を見るかぎり私はかなりダラシないようだ。自分でも、そう思うのだから間違いない。
山荘への脇道を曲がらず直進すると100m程で「矢野沢林道入り口」、ちょうど山荘の裏手にあたる。厳重なゲートに閉ざされていて一般車両は通行できない。この先は国有林なので造林・伐採などの林内作業をする業者が通行するのだが、林道は延々と最長25kmも続くらしい。
このゲートを越えてすぐ二股に分かれる。まっすぐ進む本線林道と右に曲がる支線林道。この支線林道は丸山山頂への登山ルート。麓まで緩やかな上りを歩き、東側の尾根裾から急勾配の斜面を登る。この入り口から2時間もかからず登頂できるらしい。「丸山ピラミッド」の頂上岩塔からの見晴らしは野花南ダム湖(丸山ダム湖)を眼下に見下ろし、遠くに芦別岳や崕山を含む夕張山地が眺望できる絶景が広がるとのこと。いつか機会があれば制覇をと夢見ているが、熊との遭遇が怖い。だからといって熊が冬眠する頃は寒いしなあ。
国土地理院の地形図に林道入り口からの登山路を書き込んでみた。それにしても等高線をみると、丸山は見事に完璧な「三角錐のピラミッド」であることがわかる。
The Dark End of the Street / James Carr
ジェイムス・カーの代表曲「ダーク・エンド・オブ・ザ・ストリート」、1967年ビルボードのブラック・チャートで上位に輝いた。不倫関係の二人がいつも密会する「街はずれにある暗がり」が曲のタイトル。多くのミュージシャンにカバーされている。なかでも、ライ・クーダーのアルバム「Boomer's Story (1972)」で演奏するボトルネックギター奏法の音色が印象的。
「Boomer's Story」はアルバム3作目、邦題「流れ者の物語」。ライ・クーダがワールド・ミュージックに傾いてゆく以前のアメリカ南部の薫りがムンムン。いまだにこのアルバムに執着しているのは、B面1曲目を飾る「The Dark End of the Street」との衝撃的な出逢いのせい。枯れたスライド・ギターの音色にヤラれてしまった。後に札幌狸小路のシアター・キノで「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ 」を観ることになるのも、第1回東京JAZZ(2002)で来日したキューバの美空ひばり「オマーラ・ポルトゥオンド」と出逢うことになるのも、すべてライ・クーダのこのアルバムから始まる。
The Dark End of the Street / Ry Cooder
それにしても「amazonプライム」の会員であれば、このアルバムがタダで聴けてしまうなんて便利な世の中になったなあと思う反面、複雑な心境でもある。
雪虫が舞い初雪を迎える季節。晴れた日の午後、暖かな日差しに照らされる遠い山々の色とりどりが美しい。山荘の木々も冬を迎える準備中。散る寸前まで紅く黄色く移ろいながら、季節が変わるステージで主役を演じる。
写真は、山荘へ続く道、ツルアジサイの紅葉、ミズナラ(初孫誕生の記念樹)の紅葉、ヤマモミジの紅葉。
以前、「山の恵みで健康に」や「健康はカネで買わずに自分で手に入れろ」で実践した桑の葉茶。「桑の葉は晩秋の霜にあたったものが良質とされ、霜桑葉(そうそうよう)や冬桑葉(とうそうよう)と呼ばれる」という情報をネットで見つけ再度挑戦しようと思っていた。今朝、気温が下がり全道的に霜が降りチャンス到来。桑の葉刈りに出掛けたが、紅葉した葉ではご利益なさそうで諦めた。というより池の味や沼の味が脳裏をかすめ、最悪の場合、ドブを味わうことになると立ち直れなくなる予感がして躊躇。
子供の頃、食べていたが最近口にすることがなくなった「想い出の味」にグスベリがある。その辺りの草っぱらに生える子供の背丈くらいの低木、夏の終わりに実をつけた。薄緑色の透明な小さな実の表面にスイカ模様の白い線があり、かなり酸っぱかったように覚えている。よほどオヤツに飢えていた時代、お腹を壊すまで摘んだ記憶がある。あれだけアチコチに生えていたグスベリだが、最近ほとんど見かけない。知らなかったがグスベリは熟すと紅くなり甘くなるらしい。そうなる前に食べ尽くしていたせいなのか紅く色づいたグスベリの実の記憶がない。(グスベリは北海道の方言。正しくはグーズベリー。gooseberry、ガチョウのベリー)
同じように「懐かしい味」にオンコの実がある。近所の庭や生け垣で、秋になると真っ赤な実をつけた。小学校の帰り道、摘んでは口から種を吐き出し甘い果肉を楽しんだ。大人になってから知ったがオンコの実、果肉以外は有毒で種を飲み込むと危険なのだそうだ。あれだけ食べて、よく危険な目に合わなかったものだと今更ながら胸を撫で下ろしている。
山荘では、オンコの実が盛り。子供の頃と違って摘んでみたいという気にならないのは、満ち足りた食生活のせいなのか。オンコは、北海道の方言らしいがアイヌ語ではない。正式には、一位(イチイ)。他にはシャクノキ、アララギ、アカギ、スオウ、ミネズオウ、アブラギなどの別名もあるらしい。木材としては年輪の幅が狭く緻密で狂いにくくヒノキより堅い。聖徳太子が手に持つ「笏(しゃく)」の素材であるとのこと。オンコの木は雌雄異株、山荘では実のなる木は横に広がり低木だが実のならない雄木は背が高い。
新旧交代を象徴する縁起物。艶々で光沢を放つ葉は、遠くからでも目立ち存在感がある。エゾユズリハ(蝦夷譲葉)、山荘のアチコチに見かける。雨でもないのに濡れたようにピカピカ輝く様は、どの葉っぱより美しい。若葉が伸びると古い葉が落ちる。つまり子が成長すると親が譲るという子孫繁栄を象徴する縁起のよい木。正月のしめ飾りや鏡餅にこの葉が使われる地域もあるらしい。別名ショウガツノキ、オヤコグサ。
もともとは内地に生息するユズリハが、多雪地帯に適応して低木化したもの。枝がしなり折れにくく、特に山荘のような豪雪地では樹高が1mにも満たず地を這うように広がる。葉下の脇に小さな花を咲かせ、秋には藍黒色のブルーベリーのような実が熟す。残念ながら毒性アルカロイドが多く食べられない。雌雄異株であり、下の写真には夫婦仲良く並ぶ姿が。右の大きな個体が♂で実をつけず、左の小さな個体が♀で実をつけている。ちなみに雌雄異株は「しゆういかぶ」ではなく「しゆういしゅ」と読む。
常緑広葉樹だが、太陽光が減少し気温が低くなり「葉緑素」が壊れると「カロチノイド」のため黄変する葉もある。黄葉しても葉の表面の艶の美しさは変わらない。
「ゆづり葉」河井酔茗
子供たちよ。
これは譲り葉の木です。
この譲り葉は
新しい葉が出来ると
入れ代つてふるい葉が落ちてしまふのです。
こんなに厚い葉
こんなに大きい葉でも
新しい葉が出来ると無造作に落ちる
新しい葉にいのちを譲つて――。
子供たちよ。
お前たちは何を欲しがらないでも
凡てのものがお前たちに譲られるのです。
太陽の廻るかぎり
譲られるものは絶えません。
輝ける大都会も
そつくりお前たちが譲り受けるのです。
読みきれないほどの書物も
みんなお前たちの手に受取るのです。
幸福なる子供たちよ
お前たちの手はまだ小さいけれど――。
世のお父さん、お母さんたちは
何一つ持つてゆかない。
みんなお前たちに譲つてゆくために
いのちあるもの、よいもの、美しいものを
一生懸命に造つてゐます。
今、お前たちは気が附かないけれど
ひとりでにいのちは延びる。
鳥のやうにうたひ、花のやうに笑つてゐる間に気が附いてきます。
そしたら子供たちよ
もう一度譲り葉の木の下に立つて
譲り葉を見る時が来るでせう。
夏から秋にかけてよく見る花、ユウゼンギク(友禅菊)。北米原産、鑑賞用に持ち込まれたものが野生化し帰化した種。黄色い筒状花の周りに青紫色の舌状花がつく。在来種のエゾノコンギク(蝦夷野紺菊)に似ているが、舌状花の数がエゾノコンギクより多い。アメリカ産の紺菊という意味で別名「メリケンコンギク」。英名は「ニューヨーク・アスター」だが、中華料理の「銀座アスター」とは無関係。花言葉は「若者に負けぬ元気・老いても元気で」。なんか励まされるなあ。