I shall be released

 ザ・バンドのラストコンサートでフィナーレを飾った "I shall be released" は、ボブ・ディランの代表作。「現代の吟遊詩人」と称されるディランゆえに、メロディの美しさもさることながら歌詞も美しい。released(解き放つ)" という言葉で「自由」を表現し、"someday(いつの日か)" ではなく "anyday(いつだって)" で、「いつか自由になる」んじゃなく「いつだって自由でいられる」と謳っている。

 10年ほど前、田舎のFM局で毎週日曜夜に2時間の生放送を担当していたが、3年半続いた番組の最終回でフィナーレを飾ったのが「この曲」。Jazz番組としては異例の選曲だが、始めたときから最後は、この曲で締めようと決めていた。山口百恵の「さよならの向う側」でも、キャンディーズの「つばさ」でも、X JAPANの「ザ・ラスト・ソング」でもなかったのは、やはり、ザ・バンドの「ラスト・ワルツ」の影響だろう。


Bob Dylan / I shall be released


"I shall be released"

They say ev'rything can be replaced
Yet ev'ry distance is not near
So I remember ev'ry face
Of ev'ry man who put me here
I see my light come shining
From the west unto the east
Any day now, any day now
I shall be released


何事にも代わりはあるという
道のりは常に遠いらしい
だから僕は忘れない
僕をここに送った人々を
光が僕を迎えにくる
はるか西から東に
いつだっていつだって
僕は自由でいられる

They say ev'ry man needs protection
They say ev'ry man must fall
Yet I swear I see my reflection
Some place so high above this wall
I see my light come shining
From the west unto the east
Any day now, any day now
I shall be released

人間は弱いものらしい
すべての人間は堕落するという
でも僕には自分の姿が見える
この壁の上のずっとかなたに
光が僕を迎えにくる
はるか西から東に
いつだっていつだって
僕は自由でいられる

Standing next to me in this lonely crowd
Is a man who swears he's not to blame
All day long I hear him shout so loud
Crying out that he was framed
I see my light come shining
From the west unto the east
Any day now, any day now
I shall be released

この孤独な群衆の中に
無実を訴える者がいる
一日中彼は叫び続ける
ぬれぎぬを着せられたと
光が僕を迎えにくる
はるか西から東に
いつだっていつだって
僕は自由でいられる

 この曲は、ジョーン・バエズやピーター・ポール&マリー、ベット・ミドラー、ザ・ホリーズ、ザ・バーズなど、多くのミュージシャンにカヴァーされている。なかでも「ニーナ・シモン」が唄うと雰囲気が変わり、捨てがたい魅力ある一曲になっている。

Nina Simone / I shall be released


 日本では、「ディランⅡ」や友部正人、岡林信康、忌野清志郎らが意訳して日本語で唄っている。なかでも「ディランⅡ」の大塚まさじの訳は、タイトルが「男らしいってわかるかい」となり原曲とは全く異なる超訳。ここまで変わると、意訳と云うより創作といったほうがイイ。

 泥臭い唄い方のせいか、一番ボブ・ディランの雰囲気を醸し出しているように思う。ピエロや臆病者が男らしいと唄っているが、その云わんとする深い意味を理解できないのは、私が男らしくないせいかしら。

 RC サクセッション忌野清志郎の意訳は、KING OF ROCKらしく社会の権力に抵抗する姿勢を前面に出す内容になっている。さすがに「ロックしてるぜぇ!」という雰囲気満々。早い話が、他人の曲に自分の詩を重ねる手法だが、これに関する清志郎の才能は天才的。

 その天才ぶりに触れるには、「I shall be released」ではなく「サマタイム・ブルース」を聴くに限る。内容が過激過ぎて所属レコード会社東芝EMIで発売中止となった「COVERS」(1988録音)に収録。チェルノブイリ事故のあとということもあり、原発サプライヤー東芝の子会社東芝EMIにとっては喉元に刺さる棘。親会社の圧力で発売中止となったが、他のレーベルから発売された。このアルバムで取り上げられた「サマタイム・ブルース」は、エディ・コクランやザ・フーの名曲に自作の歌詞を乗せたもの。反原発への熱い想いをぶつけたパフォーマンスは最高の出来だと思う。当時、日本には原発が37基しかなかった。「癌で死にたくねぇ」というアドリブが印象的だが結局、癌で亡くなった。今も生き続けていて福島を見る機会があったなら、よりパワフルなメッセージを発して世論形成の最前線にいたことだろう。

プカプカ - 西岡 恭蔵

 学生の頃だから40年も前のこと、大阪出身のクラブの先輩が実家へ帰るというので付いていった。当時、名古屋に居た私は短い休みに北海道へ帰るのは面倒ということもあり、アチコチ近間の友人や先輩の家に世話になることが多かった。このときが、マイ・ファースト・大阪ステイ。その夜、連れられてミナミに遊びに行った。難波の駅で降りて何処をどう歩いたのかわからないが、カウンターと椅子席だけの小さな店。ライブハウスではなかったような気がする。カウンターに居たお客さん?が皆に「ヤレ!ヤレ!」と囃されて、その場でギター片手に唄い出したのが「プカプカ」。泥臭い哀愁ただようブルース、さすが大阪はバタ臭いというのが第一印象だが心に残るイイ曲で一辺にファンになってしまった。今にして思えば、アイツが「西岡恭蔵」だった。

 ♪俺のあん娘はタバコが好きで いつもプカプカプカ~

 その後、ときどきラジオで流れる曲に耳を傾けていたが、あるとき「ハスッパなイメージの『あん娘』は、実は深い愛情の持ち主」であることに気づく。4番の歌詞に占いが好きというくだりがあるが「明日死ぬという占いが、いつかは当たる日が来る。それまでは一緒にいようね」というラブソング。素直になれないオトコとオンナの不思議な幸せ感がにじむ。

 この曲は、ジャズ・シンガー安田南をモチーフに作られたらしい。大塚まさじ、原田芳雄、桃井かおり、泉谷しげる、桑田佳祐、大槻ケンヂ、福山雅治など、多くの人にカバーされている。時代を超える名曲だと思う。

将来の夢

 掃除の行き届いた部屋は、空気が張りつめ清々しい気分に満ちている。基本的に私は「キレイ好き」だが、多少の散らかりなら気にせず過ごしている。ただ、何かのきっかけでヤル気になると徹底して掃除を始める。学生の頃、定期試験前日になると決まって部屋の片付けを始めた。いわゆる大掃除。学生が住む程度の狭い部屋だが、棚から下ろして本のホコリを払い本棚に雑巾をかけ、床から壁から部屋の隅々まで徹底的にキレイにするには、結構な時間がかかる。無心になって片付けている時間が好きなのか、片付け終わった部屋でコタツに入り達成感に浸るのが好きなのか、気がつくといつも真夜中を過ぎていた。それから文字通り「一夜漬け」のまま朝を迎え、徹夜明けで試験を受けた。今にして思うと勉強したくないがために掃除を始めたのか、本当に掃除が好きだったのかわからないが、結果、ピンと張り詰めた清々しい空気の中で集中できたからこそ留年もせず無事卒業できたのだと思う。

 結局、無精なのかキレイ好きなのか自分でも判断しかねるが、古い物を捨てられず整理整頓が行き届いてないのは確か。私の部屋は古いレコードやカセットテープをはじめ他人にはガラクタにしか見えない物で溢れているが、どれも自分にとって大切なものばかり。輪をかけて書類関係の保管は不得手である。整理できないまま溜まりすぎた書類は、最終的に古紙回収業者へ回されるものがほとんど。書類をファイリングして表紙をつけて分類なんてことは、全く性に合わない。その点、亡くなった父の几帳面さには今でも頭が下がる。

作文集 私の仕事を手伝ってくれていた晩年の父が綴っていた社会保険や労働衛生関係の書類は、今なお整然と保管されている。何よりも私の子供時代の通知箋(通信簿)が、小・中・高・大学と全て保管されているのは、父の手によるもの。小学2年生の2学期にオール5を採ったことを自慢できるのは、父の几帳面さゆえ。

 先日、古い本棚で探し物をしていたら、小学2年生と3年生の作文集の綴りを見つけた。2年生で4冊、3年生で7冊の計11冊をガリ版で印刷し綴じて配ってくれた担任の斉藤英樹先生への感謝の気持ちとともに、それを捨てずに表紙をつけて保存してくれていた父の気持ちを思うと言葉に尽くせぬ有り難さを感じる。

 その中の一節。「ぼくは 大きくなったら 外こうかんになりたいと思っています。お父さんは 敏幸が外こうかんになったら お父さんより きゅうりょうがもらえるんだよと いいます。ぼくは 早く大きくなって お父さんたちを らくにさせてやりたいと思います。そして 世界の国々を自由に 見て歩きたいと思います。それから まだえらくなって 岸さんみたく そう理大じんになりたいと思います。」

文集 文集

 50年以上前、小学3年生の私が書いた作文。読み返すと恥ずかしくもあるが、この時の素直な気持ちだったのだろう。当時の男の子は、将来の夢を語るとき「プロ野球の選手」や「科学者」や「博士」、女の子は「スチュアーデス」や「看護婦」や「学校の先生」などが多かった。今でこそ「プロ野球の選手」であったり「サッカー選手」、「宇宙飛行士」や「お医者さん」や「芸能人」なのだろうが、それほど昔と変わってないように思う。いつの時代も夢多き子供たちは、素直に憧れを語れる存在のようだ。

 人生で一番ポジティブな年代は、12才頃だという話をラジオで聴いた。9才当時の可能性は無限だとはいえ、総理大臣になりたいと書いた私の作文を読んでも頷ける。これが中学・高校を卒業する時期を迎えると、自分の資質と現実のギャップに気づき、その時点で「総理大臣」や「プロ野球の選手」になりたいと作文に書けるのは、ごく一部の特殊な能力を持った子だけに限られる。ほとんどの子供たちは、華やかな夢とかけ離れた現実に即した選択肢を目標にする。

 未来を担う子供たちには、夢を憧れのままで終わらせず、ぜひ実現してもらいたいと願わずにはいられないが「将来の夢」というテーマで作文を書く機会があれば、「職業」ではなく「生き方」を記してほしいもの。そうすれば、50年後読み返すとき「総理大臣にはなれなかったが、清く正しく美しく?正義を貫いて生きてる自分」に巡り会えるかもしれないじゃん。

もう話したくない

 クルマを運転するとき、車内が無音であると落ち着かない。だから、常に何某かの音楽が流れている。一人だけの空間で誰にも邪魔されず音楽を聴くのは好きな時間なので、運転するのは苦にならない。

 運転の途中、列車通過のため踏切で一時停止をすることがある。そのとき決まって私は、必ず運転席側の窓を少しだけ開ける。こうすると、車内に広がる音楽と車窓から飛び込む列車の音が重なりナントも云えないイイ感じで、まるで目の前を通過している列車とともに私の心も旅をしてるような感覚になる。だから、運転中に目の前の遮断機が下りはじめると「ラッキー!」と思う。ただ、私の住んでる田舎では単線に1両編成の列車しか走っておらず、すぐに通り過ぎてしまうのがツマラナイ。運が良ければ、たまに延々と長い貨物列車の通過にぶつかることもある。

 踏切と云えば余談だが、一時停止違反で捕まった知人が「いつ列車が通るかわからない田舎の踏切と、開かずの踏切のような都会の踏切で反則金が同じなのはオカシイ」と最高裁まで争った奴がいる。裁判には負けたそうだが一理あるとも思う。

 クルマの車窓から飛び込む列車の音は、ガタンゴトンと遠くから近づき目の前で最高頂に達しドップラー現象で遠ざかってゆく。この雰囲気は、列車の中にいては味わえないが、リタ・クーリッジが唄う「I Don't Want To Talk About It」に列車の音をかぶせると、別の意味でいい雰囲気が漂ってくる。



 "I Don't Want to Talk About It" は、ロッド・スチュワートが得意とする持ち歌。「セーリング」と並ぶ代表的なバラード。「どんなに心が傷ついたかなんて、もう話したくない」というサビの部分が印象的な美しい曲。オリジナルは、ニール・ヤングのバックバンド「クレイジー・ホース」のダニー・ウィッテン。

 もう話したくない / I Don't Want To Talk About It (Danny Whitten)


 お前の目を見れば解るよ お前はずっと泣き続けていたのが
 夜空の星はお前には何の慰めにもならない そいつはお前の心を写したようなものだからな

 お前が俺の心をどんなに傷つけたかは 話したくないが
 でももう少しここに居させてくれ
 ここに居られるなら 俺の胸のうちを聞いてくれ 俺のつらい胸のうちを

 もしお前と別れて一人でやって行けるのなら 影は俺の心のうちを隠してくれるだろうか
 涙の水色 夜の恐怖の黒の色を
 夜空の星はお前には何の慰めにもならない そいつはお前の心を写したようなものだからな

 お前が俺の心をどんなに傷つけたかは 話したくないが
 でももう少しここに居させてくれ
 ここに居られるなら 俺の胸のうちを聞いてくれ 俺のつらい胸のうちを
 俺の胸のうちを・・・

 お前が俺の心をどんなに傷つけたかは 話したくないが
 でももう少しここに居させてくれ
 ここに居られるなら 俺の胸のうちを聞いてくれ
 俺の胸のうちを

 この曲といえば、もちろんロッド・スチュワート。ライブでは必ずといっていいほど取り上げられ、決まって観客の大合唱がある。数あるこの曲の録音の中でのマイベストは、ロイヤル・アルバートホールでの一夜かぎりのチャリティーライブ。ロッド・スチュワートとデュエットする「エイミー・ベル」は、この時点でまったく無名のシンガー。1週間前までグラスゴーのストリートで歌っていたところをロッドに見出されたという。エイミーの初々しさと、それを気遣うロッドの優しさが何ともいい感じ。

コーヒーバネット

 「違いがワカル男」風にコジャレタ言い方で、「風に漂う羽毛のように軽やかな酸味が特徴的。サッパリしてるが、どこか懐かしい都会の風景のよう」と、意味不明な表現でコーヒーを嗜む私。仕事の合間に1杯、自宅で1杯「I drink two cups of coffee almost every day.」を楽しんでいるが、この2杯の味が全くの別物。職場で飲むコーヒーは「雑味がなくスッキリした味」で、まさに私好み。自宅でも同じ豆を頂いてるが「濃いめで複雑なアロマ」を感じる。どちらもペーパードリップで落としているが、違いがあるとすれば水?自宅では浄水器を通したアルカリイオン水、職場では水道水。浄水器を通すと水のクラスター値が低くなり(分子が細かい)、より濃く抽出するせいだと思っていた。

 日常の何気ない行為も、別の視点から本質が見えてくることもある。自宅では、カリタの陶器ドリッパーに台形の紙フィルター。職場では、簡便に扱えるということでユニフレームのコーヒーバネットに円錐形の紙フィルター。ここに大きな原因があることに気づいた。アウトドア派でなければ、コーヒーバネットに縁がないかもしれないが、いわゆるキャンプ用のドリッパー。針金をグルグル巻きにしてあり、折りたたむと持ち運びに便利というモノ。こんなみすぼらしい姿のドリッパーだが、何故かスッキリ味のコーヒーを落としてくれる。

コーヒーバネット コーヒーバネット

コーヒーバネット インターネットで調べると、私と同じように感じる人は多いらしい。もっともらしい理由も書いてある。「蒸れない」とか「落ちるスピードが速い」とか etc. 科学的に解き明かすと答えは出るのだろうが「エンジンの構造を知らずとも、クルマは走る」と同じ理屈で私には「そんなの関係ねぇ」。旨ければ、それだけでイイ。

 もともと砂糖やミルクを使う人には、無意味かもしれないが、ブラックで飲むと「穴が3つのカリタ君」や「穴が1つのメリタさん」で淹れたモノと違うことがハッキリ認識できる。「コーノ君」とは円錐フィルターという共通点はあるが、やはり似て非なる味わい。いずれにしても嗜好品なので、個人の好みが分かれるところ。人によっては「薄い」と表現するかもしれないが、スタバや宮越屋のコーヒーを濃すぎると感じる人にはベストマッチかも。

 ちなみに写真のバネットは、昔に買った二脚式。今では、ヴィンテージ物となってしまった。現在は、三脚式になり安定感が増したが針金がやや細めになっている。円錐式フィルターの純正品は高いので「ハリオ」を使用している。紙フィルターで淹れると「紙くさい味がする」と感じる人もいるらしいが、私はフィルターにタップリのお湯を注いで充分に湿らせてから挽いた豆を入れる習慣があるので気になったことがない。機会があれば、バネットのミラクルな味を試してほしいものです。

悲しき天使

 1968年、ザ・ビートルズが設立したアップル・レコード。ビートルズやメンバーのソロ活動をレコーディングしたのはもちろんだが、あらゆるジャンルのアーティストのレコードを出版した。その中でもビートルズに次いで有名なのは、ビートルズの弟分と云われた「バッドフィンガー」。ニルソンやマライア・キャリーなど多くのミュージシャンにカヴァーされた不朽の名作「ウィズアウト・ユー」は、彼らのオリジナル。ジェームス・テイラーのソロ・デビューは「アップル・レーベル」だったし、MJQ(モダン・ジャズ・カルテット)もアップルに2枚吹き込んでいることは、あまり知られていない。

 ビートルズの曲を含めて、アップルレコードの中で最も多くの日本人の記憶に残るのは「悲しき天使(Those Were The Days)」ではないだろうか。

悲しき天使 悲しき天使 悲しき天使

 アップルでのメリー・ホプキンの曲だが、森山良子らがカヴァーして流行り、後に「花の季節」というタイトルで中学音楽の教科書に掲載された。原曲はロシアの歌謡曲だが、哀愁漂うメロディは一度聴くと忘れられない。

 私が20歳前後にメリー・ホプキンや森山良子で聴いた、この曲と再び巡り会うのは10年ほど経ってから。ススキノ玉光堂で買ったデクスター・ゴードンのアルバム「THE TOWER OF POWER!」を聴いたときのこと。B面最後の曲、どこかで聴いた懐かしいメロディだが、すぐにこれが「悲しき天使」だと気づかず、情感豊かに歌い上げるデックスに聴き惚れて何度も針を下ろしていた。それまで聴いていた力強い男臭さとは違う魅力のデックスに触れた瞬間だった。


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