私のファーストカメラ、今はもう手元にないが子供の頃に買って貰った「フジペット」。子供向け入門カメラ。露出は天気マークで合わせ、シャッタースピードは1/50秒とバルブの2つだけ。レンズ左横の①というボタンを押してシャッターをチャージ、右横の②というボタンでシャッターを開放する。もちろんフィルムは手動で巻き上げ、ボディ背面の赤窓でフイルム番号を合わせる。ピントはパンフォーカスだが、絞りを間違えると距離によってはボケる。ブローニー判白黒フィルムは子供が小遣いで買うには高すぎて、親戚が集まったり墓参りに出掛けるなど特別なときにだけ買って貰えた。だから普段はフィルムを入れずに持ち歩き、ファインダーを覗き①→②とボタンを押しシャッターを切り仮想の写真を撮っていた。それでも嬉しかったなあ。今、ネットで検索するとボディは5色あったらしいが、私のは青色だった。当時の値段で1,950円というから昭和30年代のこと、子供のオモチャにしては結構高い物だったに違いない。
30代半ばを過ぎて初めて自分でカメラを買うまで、家にあるカメラで間に合っていた。一番記憶に残るのは「オリンパスペンEE」。ハーフサイズなので36枚撮りフィルムで72枚も撮れてしまう。縦横逆になるが「固定焦点」「シャッタースピード1/60秒」「自動露出」で何も考えずボタンを押すだけ。暗いとファインダーに赤マークが現れ、シャッターが落ちない。つまり、すべてカメラまかせ。使いやすいカメラだった。
長男が生まれて、よく使ったのが「マミヤフレックス2」という二眼レフ。完全マニュアルだが、絞りとシャッタースピードを合わせるのは「フジペット」で慣れているので、お手の物。大きな磨りガラスのファインダーには見やすいピントルーペが付いていて焦点も合わせやすい。操作は簡単で写りも良い。ブローニー6×6版なので正方形のプリント。1950年代製のカメラなので60年は経過しているが、今でも現役。下のバラの写真は、このカメラで撮ったもの。(※クリックすると拡大表示されます)
もう一つ古くから家にある「ウェスター・クローム6」。西田光学の6×6判蛇腹カメラ。通称「三角お屋根」と呼ばれる1951年製初代ウエスタークロームのようである。ファインダーはあるがピントに連動していない。距離がフィート表示であり、ピントは目測で合わせるタイプなので難しく使ったことはない。
亡くなった父の晩年のメイン機「ピッカリコニカ」。1968年発売のコニカC35は「ジャーニーコニカ」。1975年発売のコニカC35EFは、世界初のストロボ内蔵コンパクトカメラ「ピッカリコニカ」。1977年発売のコニカC35AFは、世界初のオートフォーカスカメラ「ジャスピンコニカ」。
世界に誇る高い技術を持つ小西六写真工業は、1987年コニカ株式会社と改め、2003年ミノルタと合併しコニカミノルタとなった。2006年にはカメラ部門をソニーに譲渡しコニカの名前は消えたが、私が今一番憧れている35mmフルサイズセンサー、ローパスフィルターレス仕様「DSC-RX1R」の技術の礎になっている。