ベニヤをカットすると、当然のことだが切れ端が出る。小さくても形あるものは、いつか何かの役に立つだろうと捨てずに取ってある。四角や三角、大きいモノや小さいモノ。
孫を子守で預かった日、干支を作って欲しいとせがまれ十二支初めのネズミを作ることに。作業を見ていた小学2年生の孫が「私も何か作っていい?」と聞くので「いいよ、何を使ってもいい」というと、切れ端の箱をいじり始めた。いろいろ組み合わせてボンドで張り合わせている。しばらくして「魚ができた」という。見てビックリ。
ベニヤクラフトを始めたころ、いかにシンプルにデフォルメできるかを目指していた。デフォルメとは「対象を意図的に変化させる絵」の事で、技術が足りずに変形した絵やバランスがおかしな絵はデフォルメとは呼ばないらしい。怪獣やカメのように、できるだけ単純な線を用いてイメージを連想できるように心掛けている。
アイディアが枯れ、ネットで拾った画像を参考にするようになり、どちらかと言うと多少リアルさを加味した複雑な形に囚われはじめた昨今。その典型がゴジラやパンダ。シンプルなデフォルメとは程遠く、自分でも「何かが違う」と感じ始めている。
そんな折、せがまれて止む無く作った「ネズミ」と、孫が作った「魚」を比べて愕然とした。自分のネズミは「らしさ」だけを表現しているのに対し、孫の魚は「あまりにも自由で屈託なくシンプル」にデフォルメされている。ジジ馬鹿ではないが、才能もあるかもしれないが「ただ、好きなように自由に作った」ゆえの潔さを感じる。これを見たら、自分のネズミが恥ずかしくなってくる。
孫が帰った後、初心に戻ってシンプルさを追求してネズミを作り直してみた。まだまだ奇をてらうデザインから脱することができずにいる。スランプだあ。
ちなみに孫が切れ端を利用して同時に作ったモノ。「クマと鹿」だそうだ。自分に、この発想は無理。自由があふれている。