突然聞かれると困ることがある。「自分の携帯番号、自分のクルマのナンバー」。そんなもん覚えてない。もっと困ること。「自分の長所短所・性格」。そんなことわかるわけがない。意識したこともない。よく「人の振り見て、我が振りなおせ」と言うが、他人のことは気になっても自分のことはさっぱりわからない。
趣味は何ですか?と聞かれると、これは自信を持って言える。「高額流通紙幣の収集」と言いたいところだが実現不可能なので、こう答える。「選挙です!」。趣味とは実益のともなわない道楽だと思う。読書も音楽も料理も好きだが、これは、ただ好きなだけ。やっていると楽しいがドップリ浸かってしまうわけではない。そこへゆくと選挙は別物。
小さい選挙も大きい選挙も、強い選挙も弱い選挙もいろいろ経験してきた。勝ったこともあれば負けたこともある。子供のころから選挙になると我が家はお祭りだった。いろんな人が出入りしては、なにやら賑やかしく、大人たちの興奮が伝わってきた。選挙事務所へ行くと茶菓子がたくさん用意してあり、何でも好きに口にできた。そうなると子供心にも○○さんに勝ってほしいという気持ちになり、票なんかなくても大人と同じ気持ちで応援するようになっていた。
小学生か中学生のころ、知事選に町村金吾、道議選に土山宇三郎、市長選に側見清一、市議選に大西善平が立候補した。それぞれに対立候補はいたが、我が家で応援しているのはこの4人。事務所の大人の口真似をして「町や村の土の山を側で見ている大西ゼンベェ」と訳もわからず、あちこちへ行って選挙運動したのを覚えている。町村金吾の街頭演説の際、花束を手渡したのは小学生の弟だった。今なら、子供を選挙に使うなんてと非難されそうだが。
そんな家庭に育ってしまったこともあり、ウチの子供たちも小さなころは選挙カーが近づいてくると道路に面した窓まで走っていき必死で「だてちゅー」と叫びながら手を振っていた。
なぜ、選挙は燃えるのか?例えば、競馬場へ行き馬の走る姿を眺めたとしよう。第三者の立場で眺めてもそれほど興奮するものではない。馬券を買ってこそ自分の応援する馬に勝ってほしいと願うのである。馬券を買わなければ、ただの家畜の駆けっこを眺めているにすぎない。なんにも面白いことはない。それと同じ、選挙では自分の応援する馬の馬券を買うが如し。また、票を集める行為は自分が騎手になるが如しなのである。
1票1票集めた票の積み重ねが成績表、つまり当落の結果に現れる。自分一人だけで稼いだ票じゃないことは重々承知だが、その1票で当落が決まるとすれば、それはあくまで自分が稼いだ1票に違いない。ただ、この1票を集めるという行為は並大抵のことではない。
この世の中で1番難しいことは「人の心を変えること」。他の人が別の候補者へ投票しようと決めている時に「我が方へ」心を傾けさせるにはどうするのか。
うーん、これ以上、手の内をさらすと次の選挙に影響が出ると困るので、ここでは書けない。ここから先のノウハウは二人っきりのときにジックリ伝授しよう。ワタクシ、選挙を語らせると1冊の本になりそうなくらい話が長くなります。そのつもりで...