甘い卵焼き

 意外にも「ようかんパン」に関して、メールで何件かの反響が寄せられている。いやいや実は、まだまだ驚くべきモノがあるのだが。それは別の機会にするとして、ヨウカンといえば、子供の頃に読んだ「お話し」で妙に心に残っているモノがある。

 工事現場で昼食をとっていた大工さん達が、遠くからモノ欲しそうに眺める裸足で汚いナリをした二人の小さな子供に声をかける。「おーい、坊たち。こっちへおいで。ヨウカンあげる」。ただでさえ飢えている子供たちは、コワゴワと大人達に近づき手を差し出す。そこで一人の大工さんがタクアンを一切れづつ渡すと、怪訝な顔で受け取り口の中へ入れる。「よう噛ん(ヨウカン)で食べるんだぞ」と言い、周りの大人達が皆で笑うというシーンだった。

 昭和20~30年代の貧しかった時代の話だが、その時期まだ多感であった子供の私は、何故かイタタマレナイ気持ちになったのを覚えている。満足に食事があたらず、いつもお腹をすかせている二人の兄弟のこと。決して豊かではない大工さんが自分のおかずを子供に分け与えること。からかう大人、からかわれる子供。何がどうだと具体的には言えないが、とても気持ちが暗くなる話だった。

 あの当時、時代背景のせいなのか暗い話やミジメな話が数多くあったような気がする。自慢じゃないが私は、今だかって学校給食というものを食べたことがない。同世代の大半の人たちは小中学校で経験してるらしい。実際、同じ市内でも地区が違う学校では給食があったらしい。

 別に給食を食べなかったことが自慢になる訳ではないが、お弁当の想い出は沢山ある。だいたいが前の日の残り物が詰められていたが、ご飯の上にカレーがかけられていれば最高のご馳走。煮シメがオカズの時はご飯に汁が染み込んで大嫌いだったが、ほとんどがショッパイ鮭を乗せたモノが定番。今でいうシャケ弁だが、鮭しか乗っていないのが普通。

 小学1年生のとき、後ろの席の女の子とオカズを一つ取り替えっこした。こっちが何だったか覚えてないが、相手のは卵焼きだった。それが甘くて初めての味だったのを覚えている。それまで、あんな甘い卵焼きは食べたことがない。その時、その子がモノスゴイお金持ちの家の子なんだと思えてしまったが、あとで、旅館の子だと知った。この卵焼きのことは今でも記憶に残っていて、大げさだが自分の人生の起点になったような気がする。(んな訳ないべ・・・)

 皆が一斉に同じモノを食べる学校給食は、いかにも平等で良さそうに思われるが、家庭環境も貧富の差も現れることがない。戦後の栄養状態が悪かった時代ならまだしも「学校給食」の是非について議論されてもイイのではないだろうか。運動会でも順位をつけず、皆が一律であることが教育の原点みたいに言われるこの時代、「大きくなったら、こんなオイシイ卵焼きが食べられるようになろう」という気持ちが芽生えることこそ、子供の将来に必要なことなんじゃないのかなあ。

 民主党が政権とったら、日教組主導の文部科学大臣誕生かあ・・・

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